時代背景から読み解く『Les Misérables』
『Les Misérables』に映画・ミュージカル・ドラマ・本等の何かしらで触れたことがあったり、横浜Fマリノスの「民衆の歌」やスーザン・ボイルの「I dreamed a dream」などで知らぬうちに劇中歌を聞いたことがあったりする人は多いのではないでしょうか?
そんな人たちも『Les Misérables』が漠然とフランス革命頃の話であることは知っていても、詳しい時代背景を知らないことが多いのではと思います。
自分も大好きな作品ではあるものの全く時代背景を知らなかったので、世界史について全く勉強したことのないド素人ですが簡単に整理していきたいと思います。
なぜジャン・バルジャンはパンを盗んだか?
物語は1796年にジャン・バルジャンが姉の子供のためにパンを盗んで捕まることから話は始まります。
この頃のフランスと言えば、対外戦争と飢饉・宮廷の浪費による慢性的な財政の圧迫に苦しんでいました。
さらに1778年にアメリカ独立戦争に参戦して勝利したものの、賠償金を得ることが出来ず莫大な借金を抱えてしまい財政が破綻してしまいます。
そんななか、1789年のバスティーユ牢獄襲撃事件を発端にフランス革命が起こります。
1793年に国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットが処刑され、共和制を目指して様々な人の思惑がぶつかり合う激動の時代でした。
もともと経済的負担が厳しい上に、国の情勢も不安定。
そんな時代だったからこそジャン・バルジャンはパンを盗まざるを得なかったのです。
「パンが無ければケーキを食べれば良いじゃないの」
家来の「国民は飢えており、パンも食べることが出来ません」という発言に対して、マリー・アントワネットが発したとして知られている有名な一言。
マリー・アントワネットはフランス革命の原因となった人であり、ジャン・バルジャンがパンを盗んで捕まることから話が始まるのが何とも皮肉な話ですね。
ちなみにこのセリフを言ったのはマリー・アントワネットでなないという説が有力である上に、多くの人がこの発言の意味を誤解しているようです。
原文では「ケーキを食べれば良いじゃないの」という部分はフランス語で「Qu'ils mangent de la brioche!(訳:ブリオッシュを食べれば良いじゃないの)」と書かれています。
このブリオッシュというのは当時パンより安価な食べ物であり、「自分の身の丈に合った生活を送りなさい」という意味を込めて言われたそうです。
空白の19年
少々脱線したので話を戻しましょう。
ジャン・バルジャンが捕まり、フォンティーヌが生まれたのは奇しくも同じ1796年。
そして、ジャン・バルジャンが出獄し、フォンティーヌがコゼットを授かったのも奇しくも同じ1815年。
映画やミュージカルでは全く描かれていない、この空白の19年について起こった出来事について軽く整理しましょう。
先程も述べたように、共和制を目指して様々な人の思惑がぶつかり合う激動の時代でしたが、その時代に終止符を打つ人物が現れます。
かの有名なナポレオン=レオパルトです。
1799年に起こしたクーデターによって、10年にわたるフランス革命を終わらせ事実上の独裁を始めます。
諸外国の民法典の模範ともなったナポレオン法典を制定したり、遠征を繰り返して領土を広げたり、と精力的に動き回ります。
しかし1814年のライプチヒの戦い・1815年のワーテルローの戦いに破れて失脚してしまいます。
映画やミュージカルでは全く描かれていない空白の期間は、ナポレオンによって始まりナポレオンによって終わった19年でした。
ジャン・バルジャンとナポレオンの共通点
先程ジャン・バルジャンとフォンテーヌの人生における転換点が奇しくも同じであることが述べましたが、実はジャン・バルジャンとナポレオンにも奇しくも共通点があるのです。
ジャン・バルジャンが1796年に捕まって収容された刑務所がトゥーロンの徒刑場。
ナポレオンは1793年のトゥーロン攻囲戦で活躍し、さらに1796年のイタリア遠征で一躍有名になります。
そして、ジャン・バルジャンが出獄したのが1815年。
その1815年にはナポレオンがワーテルローの戦いで敗れて完全に失脚してしまいます。
貧しい環境で育ってきたジャン・バルジャンは刑務所で1796~1815年を過ごして、裕福な環境で育ってきたナポレオンは1796~1815年に大活躍をした。
作者のヴィクトル・ユゴーはジャン・バルジャンをナポレオンと対照的に描くことによって当時のフランスの貧富の差を際立たせ、そのことが『Les Misérables(哀れな人々)』という題名をつける所以となったのではないでしょうか?
「民衆の歌」の背景
Jリーグが好きで観戦しに行く人なら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
横浜Fマリノスが試合前に唄う「民衆の歌」は、2013年に帝国劇場でのミュージカル『Les Misérables』とコラボしたのが最初です。
この歌が歌われるシーンが6月暴動のきっかけとなるラマルク将軍の葬列です。
ナポレオンの失脚後、王政復古の流れが強くなります。
そんな中でも、貧民層である労働者や農民の人権・政治的自由を訴えていたことで支持を集めていたのがラマルク将軍ですが、当時流行していたコレラで亡くなってしまいます。
同時期に亡くなった首相が壮大な国葬をされたのに対して、ラマルク将軍は質素な葬儀を行われます。
その葬列で歌われたのが「民衆の歌」です。
この葬儀をきっかけに、王政に不満を抱く貧民層がパリ市街にバリケードを作り抗議運動を起こします。これが6月暴動です。
最終的にはこの暴動は鎮圧されてしまいますが、これから16年後のフランス革命により王政が崩壊して、再び共和政の道を歩み始めるのです。
総括
こうして見てみると、『Les Misérables』は当時のフランス情勢をかなり根強く反映している作品であることが分かると思います。
まだ見たことのない人も、見たことがある人も、ぜひ当時のフランス情勢を理解したうえで再度『Les Misérables』も見返してみてはいかがでしょうか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?