聖なる性の精

自分は私立の男子校に中学高校と六年間通った。地獄の六年間だった。思春期の真っ只中を、女子との接触を遮断された状態で過ごした。精液にまみれた教室にはガリ勉の糞芋メガネ君たちが常に転がっていて、また、カトリックの学校だったために、毎日主に対して強制的な祈りを捧げさせられた。そんな青春だった。今思うと狂気の沙汰である。

教師は全員気狂いだった。ある授業中に、自分は官能小説を書いていた。休み時間に友達に見せてあげようと思ったのである。発見した教師は、自分のノートを取り上げ、にやつきながら「愛欲の桃汁(ピーチジュース)」を読むと、これ見よがしにビリビリと破り、恥ずかしないんか?と言って、自分の頭を数回本気で殴った。

また、あるとき自分は教室の隅にあるストーブでマシュマロを焼いていた。マシュマロは焼くと甘みが増す、というのを前日のテレビで見たからである。発見した教師は、やはり自分の頬を数回本気で殴った。

また、神父が宗教についての授業をしている中、自分は小声で、ザーメン、ザーメン、と呟いていた。アーメンの駄洒落である。発見した神父は自分に向かって聖書をぶん投げてきた。

自分は、大人を信用することを放棄した。

淡い恋愛とは程遠い自分たちは、毎日のようにゲームセンターに通い、コロッケを食べて、事あるごとに自慰行為の話をした。とある友人が、飛行機の中で射精したらものすご気持ちええらしいで、高度何千メートルの上空やから圧力の度合いが変わるんや、と理にかなっているのかよく分からぬ主張をした。せやけど飛行機なんか簡単に乗られへんやん、と自分が言うと、友人はニヤリと笑って、ちっちっち、と指を振り、少しの間を空けた後、ジャンプするねん、と言った。射精の瞬間にジャンプすれば、飛行機ほどでは無いにしろ圧力が変わり快楽が増す、ということだった。友人は、圧力って何なん?という質問には最後まで答えてくれなかった。

自分は家に帰るやいなや、学生服のままチャックを下ろして直立不動で自慰行為を始めた。帰り道にすれ違った眼鏡ギャルの太ももを想像しながら陰茎をこすり続けた。そしてそのままベッドの上に登り、絶頂の直前にジャンプして床に飛び降りたが、射精は出来ず、その後何度もチャレンジを試みたが、ジャンプすることと射精に達することの両方を念頭に置くことが難しく、結局、成功しなかった。息切れしながらベッドに寝転んで、いつも通りに果てた。

六年間、頭の中は、想像と妄想でぱんぱんに膨らんでいた。女性というものへの神格化はとどまることを知らず、エロスは加速していき、度重なる自慰行為とともに性癖はねじ曲がっていった。ある友達はアニメの女性で無ければ興奮出来ないと言い、ある友達は幼女で無ければ興奮出来ないと言った。ある友達は女刑務所に入れられたいと言い、ある友達は女空手家に金玉を蹴られたいと言った。当時の自分は、一言も喋らない女が良い、と熱弁した。高校三年の終わり頃、阿呆みたいな不細工女とデートして、女の家でやることをやった。よく喋る女だった。何も面白くなかった。失望した。

これまでの人生で、いったい何度射精したのだろうか。放出され玉砕していった無念なる精子たちのことを想うと何だか申し訳ない気持ちになる。

普段は、あまり自分の性癖を語ることはしない。それは裸になることであり、それは、恥を捨てることである。今度、GO TAKATAさんという方と舞台で性について語り合うことになった。クリスマスイブの夜である。おそらく誰も見に来ないだろう。それでも主は見てくれている。天におられるわたしたちの父よ、みなが聖となりますように。わたしはわたしの性について、精について、いつわり無く、さらけ出します。ザーメン。

何もいりません。舞台に来てください。