銀色の青

久しぶりに本屋で本を買った。最近はブックオフなどの古本屋でばかり本を買っていて、たまには本屋で新刊の本でも買おうと立ち寄ってぶらぶら見定めた結果、平積みされていた、笑い飯哲夫さんの『銀色の青』という小説が目に入り、否応なしに手に取って、そのまま購入した。

というのも、何年か前に『花びらに寄る性記』という本を読んだとき、それはもう、滅茶苦茶に面白かった。という記憶が蘇った上に、『銀色の青』は、新作の長編小説、しかも、表紙には青春小説と書かれてあり、お、と思って、そのままレジに行って、サ店に行って、読んだ。やはり、滅茶苦茶に面白かった。『花びらに寄る性記』は谷崎潤一郎を思わせたが、『銀色の青』は太宰治を思わせた。人間失格に似たシーンなどは恐らく相当意識して、ふざけて書いたような気がするが、『銀色の青』はただのパロディーなどでなく、えげつないほど悲惨で純粋な学生時代の内面を暴いていて、まさに青春小説であり、純文学である。友達や知り合いとの人間関係において、常に疑問や思考を巡らしてしまう人にとって、これほど突き刺さる純文学は、そう無い。

笑い飯の漫才は、我々の世代にとっては衝撃だった。何遍見ても面白くて、阿呆で、皆が真似したくなるような、痛快な漫才だった。高校生の頃、相方と友達と三人で、笑い飯がいかに面白いか?という話になったことがある。議論を交わした結果、いっぺん生で見なあかんな、と言って、学校終わりに三人でbaseよしもとへ行った。ちょうど夜7時から笑い飯が出演するスーパーbaseライヴというのがあったので、チケットを買って、見た。客席は満席で、我々学ランの男三人は一番後ろの立ち見で、腹を抱えて爆笑したのを覚えている。色々出てたけど、やっぱり笑い飯やな、と言いながら、ラーメンを食べて帰った。

随分昔のM-1グランプリの準決勝に、我々は運良く出れることになり、そこには笑い飯もいた。なんば花月の廊下でネタ合わせをするその後ろ姿を見て、痺れた。本番で我々は気持ちよく滑り、笑い飯は爆笑を取っていた。悔しい、などという気持ちは一切無く、格好ええなあ、と純粋に惚れていた。

誰かにおすすめの文学作品を聞かれたら、今までは『花びらに寄る性記』を勧めてきた自分だが、これからは『銀色の青』を勧めると思う。

何もいりません。舞台に来てください。