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認知症の父。娘のわたしを忘れてしまう寂しさよりも思うこと。

初期の認知症アルツハイマーと診断された父81歳。
診断結果を聞いて驚き、コロナ渦ではあったけど、顔を見たくて名古屋へ向かった。約1年ぶり。

2021年1月31日。
ひとり暮らしをしている父は元気そうだった。しかしいろいろと、これから気をつけなければならない点や、心配、思うことがたくさんあり、なんとも気持ちが動かされる弾丸日帰り帰省となった。

「明日帰るよ」
認知症の人にはこの言葉すら曖昧となることを知った。
基本的に曜日や日時を伝える場合は気をつけなければならない。「明日帰る」の「明日」とは、父の中では簡単に抜け落ちてしまい「帰る」のみが脳内で印象付けられたのか、帰省する前日からずっと待ちわびていたのだ。

玄関から外に出て、娘が駅から歩いてやってくるのを、しばらく見つめて待っていたらしい。二日間にも渡って。

わたしと会ってからはさほど認知症の症状は現れることもなく、昔話を楽しそうに大きな声で話したり、遠く住む娘が帰省したことに対しての安堵感がところどころで伝わってきた。
なんといっても日帰り帰省のため、日頃の症状がどんなものか、短い時間では見ることはできなかったけれど、近くに(車で約30分)住む姉が書いたのであろうメモ書きが部屋のあちこちに貼ってあり、認知症の事実を目の当たりにした。

父との短い時間を過ごし、自宅に戻ってからは正直ずっと、父に思いを馳せている。いま自分がこうしている間にも、認知症の症状は刻々と進行している。車のことお酒のこと自転車のこと。もし、買い物に行ってつまづいて転んだら…もしストーブを消し忘れたら…もしお風呂場で転んだら…心配は尽きることはない。そしてもし、わたしのことを忘れてしまったら…。

名古屋キッチン合成

↑名古屋のキッチン。L字型でとても使いやすい。


でも。
父がわたしを忘れてしまったとしたら。それはそれは悲しさで胸が締め付けられる思いだろう。考えただけで苦しくなる。
でも父は。そのとき父は、きっと悲しみの中にはいないのだ。悲しいかな娘のわたしを忘れてしまったとしても、その時の父はきっと、悲しみの中にはいない。だとしたらそれはちょっと、救いだと思う。

父が悲しいことが一番かなしい。
それよりもこの先、一日一日を楽しい気持ちや穏やかな心で過ごしてもらいたいと思う。
ハガキを書く。メールをする。電話をする。わたしも父を思いながらすることが多くなった。
というかこれまでしなさ過ぎた。親不孝な娘である。
時間はイヤでも進むのだ。それなら悲しい気持ちで進むより、なるべく楽しい気持ちで進められたほうがいい。絶対。

たつやさん

↑帰省した時の父の笑顔。すごくうれしそう。20210131


母を亡くして十分さみしい思いをした父。これから先はどうか穏やかに、楽しい気持ちで日々を過ごすことを。娘として、心から願っています。





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