日記 2024/05/16

こんばんは、島流しです。ここ一か月ほどの日記では、とても日常的な話題に収めて踏み込んだ話を避けていましたが、そろそろ怒りが溜まってきたので書いていこうかと思います。もちろん日常的な話題が悪いわけではありません。史学系の人間ならわかると思いますが、特定の人物の特別な事情だけでなく、ありふれた人々のありふれた日常にも価値があります。例えば文字資料の少ない時代に敢えてありふれた日常を記す人は少なく、そもそも主体の認知的に残らない「当たり前」も多い。具体的に言えば、毎日食べてるパンの種類とか味、あるいは毎日来ている服などでしょうか。Twitterを見ていると誰もが高級外食やおしゃれな服を楽しんでいるように思えますが、実際には毎日冷凍白米を温め直して適当に焼いただけの豚肉切り落としを食べたり、中学高校から着ている適当なTシャツで暮らしたりしているのです。そういった残される「特別」と残らない「当たり前」が次第に量的に入れ替わり、外から見ているだけの人間には偏った情報が渡ることもあります。創作をやる人にはよくある悩みなのではないですか?この時代、この世界、この人たちは一体何者で、何を食べて、何を着て、何に憧れて生きているのだろう?小説でも漫画でも音楽でも、作った人間がそこへの考察を怠っているとすぐ分かりますよね。まんま現在の日本と同じ価値観で作られていると、そこに暮らしている我々は「臭い」で分かります。ですから、そういった普遍的な感覚を残し、忘れないためにも、「つまらない」日常的な記述も大事にしていきたいんです。今回はしませんが。

承認欲求の話をします。どんな人にもある大切な欲望です。これがあるからこそ人は他者と関わろうとし、優れた人を中心に社会が形成され、人類の文明は発展してきたのだと思います。しかしながら、インターネット時代においては特別厄介なものでもあります。何らかで世界一レベルの人々が身近になり、比較対象が巨大化しすぎて、自分自身を肯定できなくなってしまうからです。愚直に夢を追う人々を蝕む現代病、それが承認欲求でしょう。単に上とのレベル差に落ち込むだけならまだしも、SNSなどでは具体的な数字となって帰ってくるのがタチが悪く、安易に目先の数字や反応を求めようとすると個性がコモディティ化してしまいます。インターネットで流行ってる構文を使ってみたり、ウケの良い語録を使ってみたり、付け焼刃のキャラ付けを行ってみたり、もう散々です。私も以前はそういう時期がありましたから、気持ちはわからなくはないです。でもそれでは本質的に自分を確立することができませんし、回り回って自分で自分の首を絞めることになります。レディメイドなウケの構造から脱して、世間で褒められる正義や正論から逃げ出し、冷笑主義などと蔑まれようとも、ドカ食いして気絶することもない微妙に健康な日々を生きることで自分を少しづつ認めていけばいいのです。そこに他人からの羨望や、褒め言葉など必要ありません。曇った日でもベランダに出て、星の見えない空を見てもいいのです。

殺します。

虫が出る季節になりつつあります。皆さんも水回りや生ごみの扱いには気を付けましょう。なんか白くて小さいのが蠢いていても、まず落ち着いて、深呼吸をしてから殺念を噴射しましょう。

そろそろ虫殺し器を買ってきましょうかね。

それでは、おやすみなさい。

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