日記 2024/06/15

 こんばんは、島流しです。今日は友人と「同じ映画を観て感想を言おう」という試みをしていました。そのため、今日の日記としてその感想を残そうと思います。しかし夜も遅いので、手短に済ませたいと思います。

 今回観た映画は『フォレスト・ガンプ』です。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FYNCZRY/ref=atv_dp_share_cu_r

 生と死とは、生きる目的とは何か、といったアメリカ的な人生訓をテーマにした感動系のストーリーです。主人公はフォレスト・ガンプという名前の男性。彼はベンチに座ってバスを待つ間、他の待ち客達を相手に彼の半生語りだします。バスが来るたびに待つ人の顔ぶれが変わり、フォレストの話す思い出も変わり、いつかフォレストも目的地に向かってバス停を後にします。そしてバス停を離れても映画は続き、まだ思い出ではないフォレストの人生も続いていきます……
 
 この映画は全体を通して、アメリカらしいキリスト教世界の人生観が反映されていると感じました。人の人生は運命で定まったものであり、自由意思など存在せず意味がないのか。人の人生は自由意思によって選択できる、偶然を孕んだ可能性そのものなのか。答えは出ていないと思いますが、フォレストを通して問いかけていることは確かです。
 なぜそう感じたかですが、幼少期から青年期にかけてのフォレストは無口で鈍くさい、言ってしまえば軽度知的障害者または自閉症のように描かれています。冒頭の大人フォレストからしても、そういった雰囲気があります。
 フォレストは自分で考えて行動せず、人から言われたことしかできません。同級生にいじめられても、唯一の友達のジェニーから「走って逃げて」と言われるまで棒立ちでした。夢についてジェニーと話した際にも、自分の将来など考えたことがないといった様子です。そしてフォレストはこの「人に言われたことしかできない」という特性によって、人生が大きく変わります。
 大学時代には「走れ」と言われるがまま走り続け、足の速さゆえにアメフトのスター選手になりました。卒業後は「君のような人物に来てほしい」と言われて軍隊に入り、「上官の指示を忠実に守る」がために評価され、ベトナムに送られます。そしてベトナムではジェニーに言われたことを思い出し、ゲリラの奇襲に対して「走って逃げて」生き延びます。
 ここまでのフォレストの決断には自由意思が存在せず、訪れる「運命」に従い続け、人生を好転させていきます。
 しかし、次第に彼にも「意思」を見せる場面が増えていきます。フォレストはジェニーしか友達がいないので彼女に半ば惚れているのですが、ジェニーの男運がクソなので色々良くない現場に立ち会います。その度にフォレストはジェニーの男達をグーで制裁します。そしてジェニーは男達と微妙な雰囲気になり、そんな好きでもない幼馴染から遠くへ離れていきます。また、ベトナムでは逃げる途中で負傷した仲間たちを助け、上官であるダン隊長の拒絶も聞かずに彼を助けます。その結果フォレストは勲章を授かるのですが、死の誉れと両足を失ったダン隊長に恨まれます。これらのフォレストが自分で判断して動く場面は、明確に悪い結果になるように描かれています。

 しかしながら次第に、「運命」に従い続けてきたフォレストの人生に、「意思」によって蒔かれた数々の種が芽吹き、開花する時期がやってくるのです。

 長くなり、物語の核心にも迫るので端折ります。

  最終的には、フォレストの人生は多くの幸運と不運に見舞われ打ちひしがれながら、しかしそれでも生きる意味を見つけます。人生はコントロールできるものではないが、その結果をどう受け入れるかは人の自由。そんなお話だったように思います。

そんな感じです。

映画を観ながら10ページくらいノートにメモ書きを残していましたが、noteに残すのは面倒くさいのでこの辺にしておきます。

それでは、おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?