軍艦島

小さな海底炭坑の島は、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。

最盛期の昭和35年(1960)年には約5300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度に。島内には小中学校や病院などが完備され生活を全て島内で賄うことができ、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていました。

端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより昭和49(1974)年に閉山。島は無人となりました。

平成21(2009)年4月に一般の方の上陸が可能となり、現在では多くの方が軍艦島上陸ツアーに参加して、軍艦島を訪れています。

上陸ツアーでは、主力坑だった第2竪坑跡や、端島炭坑の中枢であったレンガ造りの総合事務所、大正5(1916)年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造の7階建て30号アパートなどを見学通路からご覧いただけます。

平成27(2015)年7月5日世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として正式登録されました。

※ 軍艦島へ上陸するには各船会社が運航している軍艦島上陸ツアーに参加する必要があります。ただし、天候等により上陸できない場合があります。乗船に関する予約・お問い合わせ等は、各船会社までお問い合わせください。
《船会社のご案内》
 ●やまさ海運(株)    Tel.095-822-5002
 ●軍艦島クルーズ(株)  Tel.095-827-2470
 ●(株)シーマン商会   Tel.095-818-1105
 ●軍艦島コンシェルジュ Tel.095-895-9300
 ●馬場広徳       Tel.090-8225-8107


<端島は炭鉱開発のために周囲を埋めたてられ、要塞のような人工島になった>
長崎の離島航路や連絡船の発着地・大波止港から直線距離で南西方向19㎞、野母半島からは4.5㎞にある端島は、当時三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ていることから別名「軍艦島」とも呼ばれました。元は瀬であったが埋め立てにより形状は周囲1.2㎞、面積は約6.3haあり、南北に細長く長さ約480m、幅約160m海岸線は直線的で島全体が護岸堤防で覆われています。炭鉱で採炭される石炭は八幡製鐵所の製鉄用原料炭として供給し、日本の近代化を支え続けてきました。

<海底炭坑だった端島は日本で最先端の暮らし・未来都市があった>
最盛期の1960年には狭い島内に5267人もの人々が暮らしており、東京の9倍という脅威の人口密度でした。炭鉱労働者は所得も高く、大半の人が都会にも無かったコンクリートでできた高層マンションに暮らし、カラーテレビの普及率が平均10%時代に、この島では100%の人が所有しており、島には土地も無かったため土を購入しベランダで植物栽培をしたり、主婦の人気の習い事が生け花教室であったりと、水道や風呂、トイレ、炊事場以外は文化的な生活が営まれていました。

<1974年に閉山、その後35年間は島民といえども上陸できなかった>
1810年に石炭が発掘されて以来1887年に第一竪坑を深さ44m掘りましたが1890年当時の所有者(佐賀深堀領主だった鍋島孫六郎)が三菱社へ売却。以後100年余に亘って三菱の社有地となります。その後エネルギーの主役は石炭から石油へと移り、戦後初めてのマイナス成長となった1974年1月15日に閉山となり、4月20日に全島民が島を離れ、その後は無人島になりました。累計5000万を越す超ヒットコミック「進撃の巨人ATTACK ON TITAN」に登場し、ドラマ化されました。
住所 長崎市高島町字端島
お問い合わせ やまさ海運(株)
電話:095-822-5002
ホームページ:http://www.gunkan-jima.net/

軍艦島クルーズ(株)
電話:095-827-2470
ホームページ:http://www.gunkanjima-cruise.jp/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?