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独裁者

数多の政敵たちを殺し、権力闘争に勝ち残り、中華人民共和国の初代の「最高指導者」となった毛沢東主席。一党制や個人崇拝を敷き、政治手法は強権的とされる。

北朝鮮の初代の「最高指導者」、「大元帥」となった金日成。個人崇拝を徹底させ、強権的な政治を行なったとされる。
現代の意味で「独裁」を初めて使用したのはフランソワ・ノエル・バブーフである。「独裁」は抑圧的で残虐な支配や、権利の濫用などに対する批判的な用語として、圧倒的に使用されるようになった。

なお類義語に「専制 autocracy」があり、「絶対権力を持ったひとりの者によって統治される国や社会」[3]である。

独裁は、しばしば法の支配による手順を無視した形での、国家の非常事態宣言、市民の選挙や自由権の停止、法令による規制、政治的抑圧などが実施され、更には一党制や個人崇拝となる場合もある

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合議制、寛容、多様性あるいは法の支配などを軽視または無視した強権的・独善的な政治を行うと批判される場合が多い。

軍事政権、一党独裁制、文民政府、いずれも独裁政治と呼ばれる可能性がある。なお右翼か左翼かは問わない。

具体的に誰を「独裁者」と呼ぶかは、場所により異なる。独裁者は、独裁政を行っている国の中だけでは「指導者」や「英雄」などと呼ばれている、あるいはそう呼ぶことを強制されている(そう呼ばないと殺されてしまう)が、その国の外では通常「独裁者」と呼ばれている。ただし、国の外でも国民は支配されていて「指導者」や「英雄」と呼ぶことを強要される(たとえば「C」という国でXという独裁者がいると、C国民は、たとえC国の外に(商用などで)出国している状況でも、Xのことを「指導者」と呼び続けなければならなくなる。そう呼ばないと、C国に帰国した時に殺されてしまう。また別の国に移住した人でも、いつか自分か家族が帰国する時があるかも知れない、と考えるだけでも、恐ろしくて「指導者」などと呼ばざるを得なくなる。たとえ内心はそうは思っていなくても、自分や家族が殺されるのが恐ろしいので、呼ばないわけにはいかなくなる

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元来独裁政権や植民地支配に対抗した人物、国内で「指導者」「英雄」と呼ばれるようになった人物が、権力を得た後に、結局、独裁政治を行ってしまう場合もある。

独裁者が使う政治手法
一般に、政敵の粛清を行うことと、言論統制(言論弾圧)を行い世論を操作することで、権力の維持を図る。
また、国民に対して「現在は非常時だ。非常時に必要な緊急対応を行うのであり、国民や民族などの自由、財産、安全などを防衛しているのだ。更にパクス・ロマーナのような「平和」な状態を目指しているのだ」などと説明し、国民に我慢を強いる。失政をしても、失政だと指摘されることを許さず、指摘した者は粛清する。
独裁者が行う言論統制は、放送、新聞、雑誌など、ありとあらゆる媒体で行われる。現代ではインターネット上のサイトやSNSも遮断され、検閲される。文章が強制的に削除されたり、サイトが閉鎖されたり、投稿者が逮捕されたりする。
中国では(独裁者、独裁している党によって)グレート・ファイアウォールがつくられてしまっており、欧米の世界や日本で自由に読むことができるウェブサイトが、ウィキペディアなども含めて、一切読めないようにされてしまっている。中国国内の国民は、世界のインターネットから遮断されてしまっているのである。
独裁者がいると、ウィキペディアなども検閲され、(サイバー部隊などを動員して)改ざんされたり、閲覧不能になるように技術的に遮断されてしまったりする。2022年3月にはベラルーシでロシア語版ウィキペディアの投稿回数が多い投稿者が逮捕されてしまった[

古代ギリシアの哲学者プラトンは、「民主政は衆愚政治に陥る可能性がある」と批判し、著書『国家』では「哲人王による独裁政治が理想」と主張したが、後年の『法律』では意見を修正して寡頭制的な要素による政治が理想とした。

フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソー(1712 - 1778)は著作『社会契約論』で、「人民の一般意志には、統治者も人民も服従すべき」と記した。

イギリスの哲学者ジョン・スチュワート・ミル(1806 - 1873)は著作『自由論』で、「多数が一人を黙らせることは、一人が多数を黙らせることに等しい」と記し、個人主義的自由主義の立場から多数派による専制を批判した。

ドイツの政治学者カール・シュミットは、著作『政治的なものの概念』で、「議会制民主主義は利権集団」と批判し、「『例外状態』で決断を下すものが主権者」と記した。また独裁制と専制政治の違いは「具体的例外性」の有無とし、「独裁制は例外的事態だが、その具体的例外性を失えば専制政治に転化する」と記して、具体的例外性が存在する限りは独裁は正当化されるが、具体的例外性の消失後は正当化されない、と主張した。

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