尾道七沸めぐり
尾道の文化・風情を味わうのにおすすめなのが「尾道七佛めぐり」。尾道を代表する7つの古寺の御朱印を集めて満願成就を目指す街歩きで家族や友人・恋人と一緒に、一人旅でも楽しめる企画です。
尾道らしい細道を巡ります。
細道を慣れた手つきで走るバイクも尾道ならでは。
持光寺
承和年間(834~848年)、慈覚大師により天台宗の寺として草創されました。 永徳2年(1382年)浄土弘伝の沙門善空頓了上人により浄土宗の寺に中興改宗され、以来京都東山・禅林寺(永観堂)の末寺です。
延命門は持光寺裏山の日輪山より切り出された36枚の花崗岩で出来た大石門。門をくぐると、巨石より発するパワーにより寿命増長されるといわれています。
持光寺で行える体験「にぎり仏」。左手で、ぎゅっと握った粘土から現れるのは、あなただけの仏さま。顔を描き住職が心を込めて焼き上げお届けします。
天寧寺
1367年に尾道の道円の発願により、足利義詮が尊氏の遺志を継いで工事を寄進し、普明国師を請して開山された。創建当時は東西三町にわたる七堂伽藍を配した大寺院であった。創建当時は臨済宗であったが、元禄年間に現在の曹洞宗に転宗した。
五百羅漢
釈迦の弟子のひとり・賓頭盧(びんずる)の仏像は「さすり仏さん」とも呼ばれ、自分が患っている場所と同じ場所をなでると治ると伝えられています。
千光寺
千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、大同元年(806)弘法大師の開基で中興は多田満仲公と伝えられています。 珍しい舞台造りの本堂は別名「赤堂」とも呼ばれ、林芙美子も『放浪記』の中で「赤い千光寺の塔が見える」と書いています。33年に一度御開帳の本尊,千手観世音菩薩は聖徳太子の御作と伝えられ、昔から「火伏せの観音」と称せられ、火難除けに霊験あらたかで、今は諸願成就の観音様としてお詣りが絶えません。
鐘楼
岩の上をたたくと「ポンポン」と鼓のような音がするポンポン岩
大山寺
米瑠山天神坊大山寺と称し、平安時代前期創建、延久年間(1069~1074)に中興され、承安5年(1175年)再建したと伝えられています。また、延喜元年(901年)菅原道真公が九州筑紫へ赴くとき、当浦に寄られ、袖に御自筆の御影を描き村人にお渡しになられました。その後境内に、社が建立され「御袖天満宮」と呼ばれ別当寺となりました。境内東側には霊験あらたかな「日限地蔵尊」をお祀りしています。前面の6体のお地蔵様は、心願成就の「重軽地蔵」とも呼ばれます。隣接の庚申堂には珍しい青色金剛神をお祀りしています。
「見ざる、言わざる、聞かざる」とは真逆の「見てご猿、言うてご猿、聞いてご猿」世の中の正しいことを「よく見よう」「よく言おう」「よく聞こう」という願いがこもっているのだとか。
西國寺
西國寺は、天平年間中、行基菩薩創建と伝えられる真言宗醍醐派の大本山です。ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基は、その夜、加茂明神霊夢を見られ、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられます。
坂の町尾道では、昔から脚が健康であることがとても大切でした。仁王様のたくましい脚にあやかろうと、仁王門には大わらじをはじめ、願立ての証の大小のわら草履がところせましと奉納されています。
浄土寺
616年、聖徳太子の創建と伝えられています。 足利尊氏が九州平定や湊川の戦いの際、戦勝祈願をした寺としても有名です。 「本堂」「多宝塔」は国宝、「山門」「阿弥陀堂」は国重文、境内一帯は国指定文化財に指定されています。 奥庭には伏見城から移築したといわれる茶室「露滴庵(国重文)」があり、また「奥の院(浄土寺山展望台)」から見下ろす尾道の風景は、尾道を代表する風景の一つです。
浄土寺山の鎖岩
海龍寺
瑠璃山の麓に佇む海龍寺は、西国巡教をしていた定證上人が浄土寺再興の時に、当時曼荼羅堂と呼ばれていたこのお寺に安居していたと伝えられています。寛元3年(1245)、この寺の別当職であった備後の大田庄の荘官、和泉法眼渕信が定證上人に寄進しました。 徳治2年(1307)に大本山浄土寺の塔頭となり、江戸時代の寛文2年(1662)には寺の名を海龍寺と改めました。
満願成就を目指す街歩き尾道七沸めぐり、いかがでしょうか?