妊活記録⑤流産

第一子を妊娠する半年前のこと。妊娠初期に流産した。

4年ほど経った今感じるのは、月並みな表現だが

「あんな悲しさはもう味わいたくない」と
「貴重な経験をさせてもらった」

改めて振り返ってみたい。ちょっと暗め。


最初の1週間

1日目

血が出ていた。あわてて主治医のもとへ受診。
「流産の可能性が9割」という診断を受ける。
母子健康管理カードに1週間の休養必要と書いてもらった。


2日目

職場へ電話で1週間休む旨と仕事の引き継ぎをした。


3日目

Netflixでドラマ「黒革の手帖」を見続ける。


4日目

午前中、夫と読書。
午後、夫と散策。夕方から腹部の痛みが強くなる。

夜、腹部の激痛が繰り返しやってきた。
主治医へ電話で相談し、夜間診療の病院へ受診。
タクシーがなかなか捕まらず、最寄り駅まで電車を利用。
タクシーアプリを入れておけば良かったと後悔。

流産確定との診断。

帰ってきた後も激痛が続く。
便器が血で染まる。


5日目

特になし。


6日目

午前、主治医のもとへ受診。
流産確定、3日間、安静にするよう指示を受ける。
夜から激痛が始まり、そのまま眠る。


7日目

夫が泊まりの仕事のため、実家の母に泊まりに来てもらった。
母の提案で、出血で布団が汚れるのを防ぐため、
布団にビニール袋を貼り付け、その上にシーツを敷いた。


8日目

午前
胎嚢が出てきた。大出血ではない模様。


1日目の主治医から「9割流産している」と言い渡された日。

帰りのバスの中でマスクをしながら涙が溢れていた。
家では声を上げながら何度も泣いていた。

食事をとりながら
お風呂に入りながら
また泣いていた。

それが3日ほど続きながら、
夫と終日黒革の手帳を見続けて、昼夜出前を取り続けた。

「流産の可能性が9割」と診断された1日目〜3日目の間、めそめそしていた私と一緒にめそめそしてくれた夫。
一緒に黒革の手帖を見ながらで現実逃避をしてくれた。

家事をするエネルギーが湧かず、昼夜出前を取り続けた。

夫婦で一緒にめそめそする。
本当に貴重な3日間を過ごさせてもらったと今となっては思う。


1週間経過後

辛さを少しずつ時間で薄めていた時期。
「育休とるなら上司に住所を伝えておいた方がいいよ」というアドバイス。
(「妊娠した」は伝わっていたものの、「流産した」という情報は伝わっていなかったと思われる。)

「長く休んでいたよね。もしかして妊娠?」という質問。

「私も流産したの。辛いけど、次に生まれてくる子はいい子だって言われているから大丈夫よ」という励まし。

そういう言葉をやり過ごすことで
精一杯だった。

その後

意識の変化

以前より仕事や活動をやっていく気力が湧かなくなっていた。
体力が戻ったにもかかわらず。

すでに身体は妊娠していないのだけど、親になるというアイデンティティが抜けない。
だから、仕事や趣味に取り組むことよりも、自分やパートナーの健康、今後の収入の見通し、食事バランスなど「今、子ども産むとしたら?」という視点がかなり強く残った。

外へ向いていた意識が、急に内側に向かうようになった感じ。

自分を守るスキル

アトピー治療でお世話になっていた漢方医から「●●の漢方を飲み続けていれば流産することはあまりないのよ。今度は、妊娠後も飲み続けてね。」

私は●●の漢方薬を妊娠と同時に止めていた。
「薬を止めなければ、流産しなかったのでは?」
と、後悔の念に苛まされた。

その後、かかりつけの内科医に診てもらったときのこと。
「●●の漢方薬は、あなたの身体は今は欲していないみたい。▲▲の漢方薬がいいよ」
と、別の漢方を処方された。

それぞれの医者が良かれと思う意見を口にする。

どちらも私にとっては信頼する治療者であった。
その意見が正反対だったので混乱していたことを覚えている。

今となって感じるのは、その頃は人からのアドバイスを聞ける状態ではなかった。

今、自分はアドバイスを欲しているのか?
それとも、心落ち着かせる時期なのか?

そういう見極めスキルは自分を守るためにとても大切。
そんな学びを得た経験だった。


そして、何よりも、
その時のことを振り返ると
「来てくれてありがとう」の気持ちが今も湧いてくるのだ。

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