芥川龍之介「藪の中」考察①

 芥川龍之介の「藪の中」について、あれこれ綴ります。
 未読の方は、青空文庫にテキストがありますから、是非お読みください。


■概要

 非常に短い短編です。
 文章の最後まで目を通すだけなら、30分もかからないと思います。
 長い時間を必要とするのはそこから先、というタイプの作品。

 黒澤明の映画「羅生門」の原作となった小説です。
 芥川は「羅生門」という題の小説のほうが有名なので、集客のことを考えて、映画のタイトルと、いわゆるお白洲の舞台設定だけ、羅生門に変えてみた、ということのようです。
 私は黒澤の羅生門はまだ観ていないのですが、その評価は海外でも非常に高いそうです。

 この小説は、検非違使に対する証言だけで構成されており、いわゆる「地の文」がありません。
 つまり、「これは真実ですよ」と作者により保証されている要素がないということですから、それぞれの語りを比較検討し、何が真実かを読み解かねばなりません。
 しかし、これが簡単にはいかない。
 それぞれの登場人物の証言に、多くの矛盾点があるためです。
 事の真相が明らかに出来ないことを表す「藪の中」という言葉は、この小説の題名が由来となって生まれました。
 ちなみにこれと同じ意味を表そうとする場合、英語では「Rashomon effect」と言うのだそうです。
「羅生門効果」と訳されます。映画のタイトルが由来になったのでしょう。

 実際「これが、小説『藪の中』の真相である」という統一見解は、いまだ生み出されていないようです。
 10人読めば10通りの真実が見えてくる。
 そういう物語なのでしょう。


■登場人物とあらすじ

 とりあえず、確かなのは、登場人物。
 それをまず列挙します。

 武弘:殺された男
 真砂:武弘の妻
 多襄丸:盗人

 木樵り:男の死骸の発見者。
 旅法師:道中、夫妻を見かけたと証言。
 放免:多襄丸を捕縛した者。
 媼:真砂の母。

 検非違使:今で言う裁判官と警察官を兼ねた職。

 あらすじとして、書けることは、
・男が殺されていた。
・その容疑者として、盗人である多襄丸が捕らえられた。
・男には、妻がいた。
・事件に関して、それぞれの証言を検非違使が聞くことになった。
 これだけです。

 証言中に出た地名や、検非違使等の役職名から、物語の舞台は平安時代の京都であるらしいことが解ります。


■作品への第一印象

 登場人物の証言への細かい考察は、回を改めるとして。
 この作品を私が初めて読んだのは、中学生のときです。
 そのときの感想は、「何が何だかさっぱりわからない」でした。
 そして今回、改めて読んでみたところ、やっぱりスパッとは解らないわけですが、歳をとった分、わからないなりに、思うところはあります。

 人は、物事を、自分が望む形で解釈します。
 このとき、意図的に嘘をつく場合もあれば、そうでない場合もあります。
 ひとつの物事に対して、各人それぞれ嘘偽りなく語っているつもりでも、それでもその証言に大きな食い違いが生まれる、ということも、よくあることなのです。

 人の精神は、事実に常に耐えられるほど、強くはないからです。

 例えばの話。
 あるカップルが道端で話をしていたとします。
 AさんとBさんだとしましょう。Bが車道側に立っていたとします。
 Bが別れ話を持ちかけようとしていたのだとします。
 そのとき、目つきの怪しい人がこちらに走ってくるのを、Aだけが気づいたとします。
 AがBに手を伸ばし、Bが車道側によろけ、運悪く、走ってきたバイクか車にBが撥ねられたとします。

 このとき。
 Aは「車道で喧嘩していて、Bを宥めようとしていたら、知らない人が襲ってきた。自分はBを守ろうとしたが、Bは車道に追いこまれた」と言うでしょう。
 Bは「車道で別れ話をしていたら、Aがそれに対して逆上し、怒りにまかせて自分を、車が来ているのを見計らって車道に突き飛ばした。他に怪しい人なんか見なかった」と言うでしょう。

 この二人の証言だけをいきなり聞いた人は、どちらかが本当のことを、どちらかが嘘を言ってるのだろう、と思うかもしれません。
 でも、そうじゃない。
 事実と真実は、同じであるとは限らない、ということなんです。

「藪の中」の登場人物は、自分にとっての真実を語ります。
 その真実が、事実と合致しているところもあれば、そうでないところもあるのでしょう。
 そこに、いくつもの矛盾が生じ、物語を複雑にしている。
 そういう物語なのだろうと感じています。


■芥川の厭世主義

 ところで、芥川は、写真でも解るとおり、なかなか端正な面立ちです。
 のみならず、東大出のインテリ、作家という華のある職種ですから、ぶっちゃけそこそこモテたらしい。女癖は悪かったみたいです。
 芥川は、有島武郎や志賀直哉のように裕福な家に生まれたわけではない上に、家族、親戚の生計を一人で支えなければならない状況だったので、芥川の女遊びは、現実逃避の側面もあったんでしょうね。

 で、数人の女性と人目を忍ぶ関係となるわけですが、そのうちの一人と、関係がこじれます。
 彼女は、愛する男の為に耐えるという考え方が染みついている他の女性たちとは違い、「自分を軽んじるなら、この関係を白日の下にさらす」と芥川を脅します。
 当時はまだ姦通罪が刑法に残っていたのに加え、この女性自身も既婚者でした。関係がバレたら、この女性も無傷では済まないはずで、これは、芥川の思考では、全く理解できない言動です。
 しかし、男の価値観に立脚して構築されたある種の合理性は、彼女にはまったく通じなかった。
 結局、芥川が一時期南京に逃げたのは、この女性との関係の自然消滅が目的だったようですし、芥川の家族宛の遺書には、自殺の理由としてこの女性との関係が書かれています。
 自殺の理由として有名な「漠然とした不安」は、友人の久米正雄宛の手紙に書かれたフレーズです。

 要は、芥川は、自分も含めて、人間がいかに利己的な生き物であるか、自分が守りたいもののためなら、いかにたやすく事実を歪めて認識し語るのかを、身にしみて感じていたのだろうと思います。

 というわけで、この作品も、何が事実で、何が嘘で、何がその人にとっての真実なのか、これを見極めつつ読む必要があるのでしょう。
 それが簡単にできないから、今でも「真相は藪の中」なのでしょうけど。

 次回以降、自分なりに細かく考察していく予定です。
 どこまでやれるかはわかりませんが。

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