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【落語・講談台本】逢魔が辻②

 女房を亡くし、打ちひしがれている亭主の元に、一人の男が訪ねて参ります。
「ごめんください」
「…どちらさまで」
「そちらさまにはお初にお目にかかります。手前は、与吉といいます。江戸市中、方々歩きまわっちゃぁ、他人(ひと)様の要らねぇものを買い、それをまた、誰か、要るってぇ人に売る。そうしてお足をいただいております。こちらのような立派な店こそありませんが、これでもまぁ、商人(あきんど)の端くれです。
 この度は、残念なことでございましたね。
 おかみさんに、線香の一本も、あげさして貰いたいんですが」

 与吉と名乗るその男は、これといった特徴のない男でございました。顔も、服も、背格好も、声も、どこにでも居そうな、ごくごく平凡な雰囲気を醸しております。
 強いて言うなら、歳の割に落ち着いているという印象になるでしょうか。決してあの男のような、悪党の匂いは致しません。
 それなのに、何度会っても、どれほど話をしても、じゃあと別れたその後には、その顔をすぐに思い出せなくなるような、名前以外は何も手元に残らなくなるような、そんな捉えどころのなさを、亭主は、与吉をしげしげと眺めながら、感じておりました。

 それでもこの男を、奥に上げたのは、その捉えどころのない目の奥に、何かを見たような気がしたからでしょうか。丁稚の頃を思い出しながら久方ぶりに自ら茶を淹れ、じっと仏壇の前で手を合わせた後向き直った与吉の前に、そっと差し出しました。

「こういったことはもう随分、女房に任せきりだったものだから」
「ああいえ。いただきます」
 湯飲みで両の手をぬくめ、一口、二口、口を湿し、そうして与吉は、柔和な顔を崩さぬまま。

「おかみさん、皆さんに、とても大事にされてなすったんですね」
 亭主は思わず顔を上げ、またしげしげと、目の前の男を、見つめました

「こういう商いをしていますとね。行く先々で、いろんな話を聞くんです。大抵は益体もない話ばかりで、商いを上手く転がす油程度のもんでございますがね。近頃、ここいらの界隈を廻らしていただいてると、必ず、ここのおかみさんの話が出る。気立てのいい人だった。誰にでも優しい人だった。ご主人と二人、そりゃあ幸せそうだった。皆さん本当に、おかみさんのこと、悲しんでおいでです。誰一人、おかみさんのことを、悪く言わない」

「そう。優しいやつでした。昔から。誰にでも、分け隔てをしねぇ性分で。そんなところに惚れて添うたのに、そんなところが、仇になった」
「…」
「少しは、聞き及んで、いなさるでしょう? ここに運ばれたあいつが、どんなふうだったか」
「随分と、酷い亡くなり方だったそうですね」

「聞き捨てて、いただけますか」
「はい」
「ようやくあいつを、見つけたとき、いろんなことを、思いました。どうして縄をといた。どうして消えた。どうして戻ってこなかった。なぜ、そんなところにいる。そんなにやつれて、何をしてた。
 化粧して高そうな着物きて座ってるあいつが何だか知らねぇ女みたいで、確かに俺の女房なのに、これ、ほんとに俺の女房なのかって。あいつに、あいつをこんなところに置いたあの男に、腹も立って。でも腹立てながら、自分がどこか惨めなような心持ちも、してましてね。
 でも、あいつが俺にずーっと謝るの聞いてたら、何だかそんなこと、もうどうでもよくなっちまって、やっと見つかった、連れて帰らなきゃって。そう思ったんですけどね」

「まさかいきなり、冷たくなって戻ってくるなんて、思わなかった。
 どうしてこんなことになったんですかね。
 俺が探し出したからか。俺に会ったから死んだのか。俺が殺したのか。
 どこで、こんなことになっちまったのか。こんなことになるとわかってりゃ、金なんて、どうでもよかったのに。
 …申し訳ない。会ったばかりのお方に、何が何やら、解らぬことばかり、聞かせてしまって」

「左の頬に、傷がある男、でしたか」
「…え」
「ここに盗みに押し入り、おかみさんを誑かして拐かした挙句に、そんな目に遭わせた男ですよ。そいつのせいでしょう? おかみさんを殺したのはそいつじゃねぇんですか」
「…与吉さん、と、いいなすったか。あの男のことは、誰にも話してないのに、なぜお前さん、それを知ってる。あんた、一体」

「いろんな所に出入りして、あるときは買い、あるときは売る。それが手前の商売。でもそれはね。形のあるものばかりじゃ、ないんですよ」
「形のあるものばかりじゃない、って」

「一度は縄で括った下手人に逃げられ、盗られた九両は取り返せず、消えた堅気の女房を捜し出せもしねえ、その挙句に岡場所なんぞで死なれたとあっちゃあ、お上の面目は丸つぶれだ。こうなりゃできるだけ話が大きくならぬがいいと思うのか、役人も十手持ちも、今その口は皆蛤の貝だ。でもね。中にはそれを、苦々しく思う、真っ当な連中も、少ないながらいるんですよ。
 おかみさんの経緯を、ひでぇ話だと思ってるのはね、この界隈の町人だけじゃないんです。そういう人のところに出向いて、表には出せねぇ話を、少ぅしずつ、買い集める。これもまた手前の商売」

「なんで、そんな」
「ああ、妙な思い違いはなさらねぇでくださいよ。そちらを何か強請ろうとか、そんなケチな話をしているんじゃないんです。むしろ話は逆でね」
「逆、とは」

「あなたがたは、何も悪いことなんかしてない。ただ、真っ当に生きたその道すがら、タチの悪い悪党に行き逢っただけだ。それを避けられねえのが罪だというなら、地獄の釜の蓋は開きっぱなしでございましょう。
 まあ、こんな知った風なことはね、とうに周りがさんざっぱら聞かせたでしょうし、そんな口上がさほどの役に立つとも思っちゃいません。この程度で、連れ合い亡くした傷が癒えるんなら、役人は商売あがったりだ。
 でもね。手前は神主でもなきゃ坊主でもない。商人です。ちぃっと違うものを、お売りできますよ」
「…あんた、ただの弔問客じゃないな。本当はここに、何を、しにきた」
「仇敵(かたき)、討ちたくは、ありませんか?」
「…え?」
「憎くないんですか?」
「憎い。憎いに決まっている。だが」
「叶えて差し上げますよ」
「…何だと」
「手前のこと、ここで話したことをね、決して口外せぬと誓うなら、仇敵、討って差し上げます。手前はこれをお売りしたくて、ここにきたんです」

「あんた、一体」
「…おかみさんはね、本当にお優しいかただった」
「…初めて、ここに来たんじゃ、なかったのか」
「旦那さまとは、初めてですがね。昔、手前が商売始めたばかりの頃、何にも売れねぇ日が何日も続いたときに、こちらのおかみさんに、ここでいろいろ買っていただいたことが、あったんですよ。
 うちの人がいたらあんまり買ってあげらんなかっただろうし、丁度良い頃合いに来てくれたねって、笑っておいででした」
「…ああ。なんでこんないろいろ買ったんだ、って、そういやそんなことも、あった。あれあんたが売ったのか」
「いやぁ申し訳ない。随分叱られたんだとしたら、おかみさんには気の毒なことをしました。
 でもあのときは、本当に助かった。だからね、手前はそのときから、もしこちらが何か困るようなことがあったら、きっとこの恩を返そう、って、ずっとそう思ってたんです。
 もっと早くこちらにこれりゃあよかったんだが、それを悔いてもおかみさんは帰ってこない。この売りもん買って戴けるんなら、お代は結構です。それで呑込んじゃあ、くれませんかね」

 なぜ、この男の言うことを、聞く気になったのか。
 話を信じたわけでも、この男を信じたわけでもございません。
 若いように見えるのに、歳がいっているようにも思える。
 相変わらず落ち着いたその顔が、今は却って気味が悪い。
 金は要らないという言葉に動いたのか。何も喪うわけでなしと。
 しかしこれこれ幾らと言われれば、それでもやはり言うだけの金を積む様な気もすると亭主は思いながら、目の前の男の、その目の奥を、じっと、覗き込んでおりました。

「しかし、左の頬に傷があるということの他は、何一つわからねぇのに、あんた一体どうやって」
「なぁに、そこはね、蛇の道は蛇というやつでして。ま、悪いようにはいたしません。しばらくの間、待っていてくださいまし」

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