ここ数日、庭で猫がずっとないている

 うちは、敷地がそこそこ広くて、いろんな鳥や虫がいるんですが、たまに野良猫が迷い込んでくることがあります。

 数日前、甲高い猫の鳴き声が、突然聞こえ始めました。
 声の大きさからして、うちの敷地内に猫がいるようだと予想がつきました。いつまで経っても泣き声が止まないので、声の聞こえる方に近づいてみました。

 声の主は、三匹の子猫でした。
 車庫の中の隅に置いていた空の段ボールの中に、目が開いている子が一匹。開いてない子が二匹。三匹とも、その小さな体に似合わぬ大きな声で鳴き続けていました。

 私は、小さな頃、祖父母の家で飼われていた猫が子猫を産んだのを何度か見たことがあるので、猫のことも少しは知っているつもりです。
 母猫は、産んだ子猫を、安全だと思う場所に隠します。
 隠しておいて、餌を調達しにひとり出かけ、戻ってきては子猫に乳を与えて育てます。
 そして、その間、その場所から自分たち以外の生き物の匂いがしたと感じたら、母猫は子猫を、即座に別の場所に隠します。
 最近の飼い猫は、飼い主に子猫を寧ろ見せてくるケースもあるようですが、猫の生態から言えばこれはイレギュラーであろうと、私は感じています。

 いずれにしろ、母猫は、子猫を「隠す」習性があるのであって、初めから「捨てる」わけではありません。
 おそらくは、どこかで産んだ子猫を、うちの車庫の段ボールの中に隠したのでしょう。

 なので私は、指一本触れないまま、即座にその場を離れ、家の中から時折庭の様子を伺っていました。その数十分後、子猫の鳴き声がピタリと止み、その後、母猫らしき猫が、子猫を一匹ずつくわえて、どこかに運んでいる姿が窓から見えました。
 やはり私の匂いがその場に残ったのでしょう。隠し場所を変えるんだなと思いました。
 人間の匂いがべったりと強くついた子猫は、母猫から捨てられるリスクが高くなります。全員連れて行ってもらえて良かったなあと、ひとまず胸をなで下ろしました。

 数時間後、ずっと遠くで、甲高い猫の声がかすかに聞こえました。
 新しい隠し場所に運び終え、また母猫がその場を離れたのでしょう。
 元気がいちばん。私は、あのとき一瞬で目に焼き付いた子猫たちの姿を、懐かしく思い出していました。

 その、2日後のことです。
 うちの敷地で、猫の鳴き声が聞こえました。
 今度は、子猫ではなく、大人の猫の声でした。

 猫は、大人になったら滅多に鳴かなくなります。
 鳴くことでコミュニケーションを取ろうとするのは、基本的には、子猫の間だけです。
 飼い猫が成長した後もにゃあにゃあ鳴くことがあるのは、ひとつは、飼い主の保護下で子猫気分が抜けきれないためです。飼い主を真似て声でコミュニケーションをとろうとするのだという説もあるようですが、いずれにしろ、個体差も大きく関係するのでしょう。
 しかし本来は、大人の猫が鳴き声をあげるのは、ラブシーズンの時か、非常事態の時くらいです。

 窓から猫の姿が見えました。
 あのとき、子猫をくわえて行った、母猫でした。

 母猫は野良なのでしょう。人間に対する警戒心が強く、私の姿を見たらすぐにどこかに走り去ってしまいました。
 しかし、数時間もすると、また戻ってきて、庭で鳴き続けました。
 しばらく、鳴きながらうちの敷地をうろつき、またどこかに行き、しばらくしたらまた鳴きながら戻ってくる。
 それがここ3日ほど、繰り返されています。

 今も、母猫の鳴き声が聞こえています。

 隠しておいたはずの場所から、子猫が、いなくなったのでしょう。
 そうとしか、考えられません。
 これまで遠くから時々聞こえていた子猫の声が、母猫が単独で離れているというのに聞こえてこないし、母猫の声は、子猫を探し呼びかける声だとしか思えない響きを帯びているのです。

 母猫の、にゃおん、にゃおんという鳴き声を、部屋の中で聞きながら私はぼんやりと考えます。
「猫の幸せ」って、何なのだろうと。

 私は人間ですから、人間の暮らしを最優先で考えます。
 うちでは、飼い犬はずっと外で飼っていました。可愛がっていましたし、寒い冬は小屋に古びた毛布を入れてやり、具合が悪くなったらすぐに病院に連れて行きましたが、一度も家の中には入れたことがありません。
 うちに迷い込んできた野良の生き物には餌は与えませんし、里に下りてきた熊はマタギに頼んで殺してもらうべきだと考える人間です。

 野良猫を放置するのは良くないという考えは理解出来ます。
 猫は多産の動物ですから、なかなかのスピードで増えていきます。
 野良猫はいろんなものを荒らすことがあります。
 病原菌も持っていますし、引っかかれたり噛まれたりすれば、人間が害を被ります。
 なので、野良猫を管理するのも、どちらかと言えば正しいのだろうと、思っています。

 しかしそれは、あくまでも「人間の都合」「人間の幸福のため」だろう。
 私はそう思います。
「人間にとって不都合だから管理します」「飼いたいという自分の欲や都合を満たすために飼います」というのなら、理解出来ます。賛同も出来ます。
 しかし。
 これを「猫の幸せだ」と、本気で言う人が、近年はたくさんいるんです。
 どうしてもこの考え方を、私は好きになれません。

 子猫はおそらく、誰かに拾われたのでしょう。
 三匹の子猫は、全員とても愛くるしい姿と鳴き声でした。
 私も、母猫が数日現れなかったら、子猫をどうにかしてやらないといけないかもしれないとは考えていました。
 だから、「わあ可愛い」と、あるいは「きっと誰かに捨てられたのだろう、可哀相に」と、言いながら拾って家に連れ帰ったかもしれない誰かのことを、責めるつもりは全くありません。

 ただ。
 子猫の幸せ、母猫の幸せって、何なのでしょうね。
 母猫は、おそらく子猫を探し回って、何日もなき続けています。

「野良のまま子猫を産むからそういうことになるんだ。去勢をしなきゃ」と考える人もいるようなんですけど。
「野良猫が増えすぎたら人間にとって面倒だから」ならともかく、「望まない妊娠は不幸だから」なんて、神様にでもなったつもりなのかと言いたくなるんですよね。望まない? 誰が望まない? 人間がでしょ。

 母猫は、毎日、うちの庭でなき続けています。
 日に何度も来ます。昼も、夜も来ます。いつ寝てるんだろう。
 今日も来ました。明日も来るでしょうか。
 けれど、私たち家族は、少なくともうちの敷地内では、母猫の好きなようにさせるつもりでいます。
 気が済むまで探させてやろうと。
 だから、母猫の声がする間、極力姿を見せないように気をつけています。
 こんな状況にあってすら、母猫は、決して人間に心を許し頼ろうとはせず、警戒しきっているからです。

 猫の幸せって何だろう。
 今、あの母猫は、多分、あまり幸せではありません。
 でもそれは、「野良だから」ではないと思うのです。
 子猫を育てている間、母猫は、緊張の連続ではあっても、きっと幸せだったはずなのです。
 だからこそ、今、ひとりで、昼も夜もずっとなきながら歩き続けているのだと、思うのです。

 あのとき、車庫に様子なんか見に行かなければよかった。
 そしたらもしかしたら、あの母猫は、子猫と、こんなに早く離ればなれにはならずに済んだかもしれないのに。
 あの猫の親子に餌を与えるつもりも、うちの中でまとめて飼うつもりもなかったけれど、それでも、少なからず、悔やんでいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?