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無門関・現代語訳

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無門関の原文を現代語に訳したものです。 具体的な考察分は入れてありません。
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2022年5月の記事一覧

無門関第四十則「趯倒浄瓶」現代語訳

公案現代語訳 本則  潙山和尚は、元々は百丈の寺にいて、典座を務めていた人である。  百丈は、大潙山の寺の住職を、選ぼうとしていた。  そこで、首座だけでなく、修行僧全員に、同じ条件で自らの悟りの境地を述べさせ、住職にふさわしい人物を向かわせようとした。  百丈は、浄瓶をとりあげ、地面に置き、出題した。 「これを浄瓶と呼んではならん。ならばこれを何と呼ぶ」  首座はすかさず答えた。 「木の破片と呼ぶわけにはいかないもの」  百丈は向き直り潙山に問うた。  潙山はすかさず浄瓶

無門関第三十九則「雲門話堕」現代語訳

公案現代語訳 本則  雲門に、僧が問うた。 「光明寂照遍河沙」  一句言い終わっていないうちに、雲門が言った。 「張拙秀才の語じゃないか」  僧は言った。「はい」  雲門は言った。 「話が堕落した」  後に、死心禅師がこれを取り上げて問うた。 「さあ言ってみろ。どこのところが、この僧の話が堕落したところか」 評唱  もしもこれに対して、雲門の用処が孤危であり、どこがこの僧の話が堕落したところなのかを、見抜くことが出来れば、人間のみならず天人の師となることもできるだろう。

無門関第三十八則「牛過窓櫺」現代語訳

公案現代語訳 本則  五祖法演は言った。 「例えば、水牯牛が窓の格子を通るようなものだ。  頭、角、四つの蹄はすべて通り過ぎたが、  どういうわけか、尾だけが通らない」 評唱  もし、これに対して、顛倒し、一隻眼を得、一転語を下すことが出来れば、四恩に報いることが出来、三有を資けることができるだろう。  そう出来ないなら、尾を照顧するところから始めればよかろう。 頌  通り過ぎれば穴に落ち  帰って来たなら壊れてしまう  この尻尾というやつは  実に奇怪であることよ

無門関第三十七則「庭前柏樹」現代語訳

公案現代語訳 本則  趙州に、僧が問うた。 「達磨大師が西より来られた真意は何でしょうか」  趙州は言った。 「あの庭先の柏の木」 評唱  もし趙州の答えたところをズバリと見抜き得たならば、  前に釈迦なく、後ろに弥勒なし。 頌  言では事を説明しきることはできぬ  語では核心に至れぬ  言を承ける者は喪い  句に拘る者は迷う 注釈  ここでいう柏の木とは、柏(かしわ)ではなく、柏槇(ビャクシン)だそうです。

無門関第三十六則「路逢達道」現代語訳

公案現代語訳 本則  五祖法演は言った。 「路上で、道を極めた人に出会ったとする。  言葉で応対するわけにもいかず、沈黙で応対するわけにもいかぬ。  ならば、どのように応対すればいいだろうか」 評唱  もし、ここのところに、ズバリと応対することができれば、喜びに浸ってもよかろう。  ズバリ応対できないのなら、すべてに目を配るしかあるまいよ。 頌  路上にて達人に出会う  言葉でも沈黙でも対応できぬ  顎を横切り顔が破れるほどぶん殴れ  すぐさま我に返りたちまち悟りうるだ

無門関第三十五則「倩女離魂」現代語訳

公案現代語訳 本則  五祖が僧に問うた。 「倩女の体から魂が抜け出た話は知っていよう。  どちらが倩女の真底であろうか?」 評唱  もし、ここにおいて、真底を悟り得たならば、たちまち、殻から出るも殻に入るも、旅の宿に泊まるようなものだと解るだろう。  悟れなければ、むやみに走り回るのはやめておけ。  突然死ぬことになったとき、湯の中に落とされた蟹が手足をばたつかせてもがき苦しむようなことになるだろう。  そのときになって「言わなかったじゃないか」などと言うなよ。 頌  

無門関第三十四則「智不是道」現代語訳

公案現代語訳 本則  南泉和尚は言った。 「心は仏ではない。智慧は道ではない」 評唱  南泉は、老いてなお恥を知らぬと見える。  臭い口をわずかに開けば、家の恥が外にさらけ出る。  そうは言っても、恩を知る者は少ない。 頌  晴れた空には陽が昇り  雨が降れば地面が濡れる  思いを尽くして説き尽くした  信じられるかだけが心配だ 雑感  インドから伝わった仏教から派生した禅が中国で花開き、その中で「言葉を超えた教えをくみ取れ」という考えが広く根づいていった背景には、

無門関第三十三則「非心非佛」現代語訳

公案現代語訳 本則  馬祖和尚に、僧が問うた。「仏とはどのようなものですか」  馬祖は言った。「心に非ずんば、仏に非ず」 評唱  もしこれに対して解り得たなら、禅の修行は完了だ。 頌  路上で剣客に逢ったなら当然見せろ  詩人に逢わなければ詩を献ずる必要はない  人に説くなら三割くらいでやめておけ  すべてを説き尽くしてはならぬ 注釈  馬祖の「非心非佛」は、多くは「心ではなく、仏ではない」と訳されているようなのですが、私にはどうしてもこれがしっくりこない。  なので

無門関第三十二則「外道問佛」現代語訳

公案現代語訳 本則  世尊に、異教徒が問うた。 「言葉で示すものでもなく、沈黙で示すものでもないものを、お教えいただきたい」  世尊は、居住まいを正し、ただ座っていた。  異教徒は感嘆して言った。 「世尊の大いなる慈悲が、私の迷いを打ち払い、私を悟りに至らしめた」  そして礼を言うと立ち去った。  阿難はブッダに尋ねた。 「あの異教徒は、何の確信を得て、あのように感嘆して帰って行ったのでしょうか」  世尊は言った。 「世の良い馬が、鞭の影を見ただけで走り出すようなものだ」

無門関第三十一則「趙州勘婆」現代語訳

公案現代語訳 本則  ある僧が老婆に問うた。「五台山へ向かう道は、どちらでしょうか」  老婆は言った。「まっすぐ行きなさい」  僧はわずかに三歩か五歩ばかり歩いた。  そのとき老婆が言った。 「程のよい師僧だが、またこのように行くのだな」  後に、この僧が、趙州に、このことを話した。  趙州は言った。 「私が行って、お前さんのために、この婆さんを見極めてやるから、待っていなさい」  翌日、趙州はすぐにこの老婆の元を訪れ、同じように問うた。  老婆もまた同じように答えた。  

無門関第三十則「即心即佛」現代語訳

公案現代語訳 本則  馬祖和尚は、弟子の大梅に問われた。 「仏とはどのようなものなのでしょうか」  馬祖は言った。 「即ち心、これが仏である」 評唱  もし、すぐに理解し悟ることができれば、仏衣を着て、仏飯を食べ、法話を説き、仏道修行を行う、すなわちこれ仏である。  このようであるとはいえ、大梅は、多くの人を引き込み、誤って、天秤の棹の起点にある印である定盤星を、教えた。 「仏の字を説いたら三日間口を漱ぐ」ということを、知らぬはずはなかろうに。  もしこれが、物のわかった

無門関第二十九則「非風非幡」現代語訳

公案現代語訳 本則  六祖が表に立てていた、説法を知らせる刹竿の旗(はた)が、風に吹かれてパタパタ仰がれていた。  二人の僧がいて、討論していた。  一人はいった。「旗が動いているのだ」  一人はいった。「風が動いているのだ」  どちらも言い合い、収まりがつかなかった。  六祖が言った。 「これは旗が動いているのではない。これは風が動いているのではない。  お前さんの心が動いているのだ」  二人の僧は、ゾッとした。 評唱  これは旗が動いているのではない。これは風が動いて

無門関第二十八則「久嚮龍潭」現代語訳

公案現代語訳 本則  龍潭のもとに、徳山が、夜遅くまで、有益な教えを請うていた。  龍潭は言った。 「もう夜も遅い。あなたは何故帰らないのか」  徳山はようやく、ご自愛をと言い簾を上げて出た。  外が真っ暗なのを見回して、言った。 「外は暗い」  龍潭はすぐに紙燭に火を灯して与えようとした。  徳山はもどかしく近づいた。  龍潭は、火を吹き消した。  徳山はこの瞬間、忽然と、気づくものがあった。  すぐに一礼した。  龍潭は言った。 「あなたはどんな道理を見たのか」  徳山