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自分のトリセツ「過去の錯覚について」

自己肯定感を決定づけている自己内対話

自己肯定感が高まっていくことで、人は様々なことに積極的になっていきます。

自己肯定感とは先天的なものではなく、後天的なもので、自らの取り組みで育むことが出来るものでもあります。

自己肯定感を育むうえで着目してほしいのが、自分自身の内側でおこなわれている「会話」についてです。

「自分自身の内側でおこなわれている会話」をうまく表現したものが、『インサイド・ヘッド』という、ディズニー映画です。

『インサイド・ヘッド』の作品中、主人公・ライリーの脳内感情として、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ(喜び、悲しみ、怒り、嫌悪、恐れ)の5つの感情が登場キャラクターとして描かれています。

そして、主人公ライリーが経験する様々な出来事を通じ、それぞれのキャラクターが優位に立ったり、影を潜めたりしていきます。

わたしたちの日常においても、物語と同じように、それぞれの感情の主導権争いのようなことが起こっています。

『インサイド・ヘッド』の作品中で行われている、キャラクター同士の会話を、わたしは「自己内対話」と呼んでいます。

この自己内対話と呼ばれる、自らの内側の感情のやり取りこそが、自己肯定感を決定づけ、チャレンジに富んだ人生を創造することもあれば、いつまでも行動に移すことができないような人生を招いてしまうこともあるのです。

過去の記憶

自己内対話とは、言ってみれば、自分の内側で繰り返されている会話のことです。

よく人は一日に6万回もの思考を行っているなんてことが言われますが、ここで表現される思考こそが、自己内対話そのものになります。

わたしたちは、どちらかと言えば無意識的に、自己内対話を通じて、「好き・嫌い」「出来る・出来ない」「良い・悪い」ということを判断しています。

そして、人それぞれに、「好き・嫌い」「出来る・出来ない」「良い・悪い」を判断する基準となるものが、それぞれの「過去の記憶」になります。

小さな頃に犬に追いかけられた記憶のある人にとって、犬は可愛らしいペットでない場合が多いのは、過去の記憶が現在の判断基準に影響を与えてる、とても分かりやすい事例だと思います。

特に小さな頃に経験した出来事によって生み出された、「好き・嫌い」「出来る・出来ない」「良い・悪い」という判断基準は、まだ小さな頃が純粋であったが故に、それ以降の人生に大きな影響を与えている場合が多々あるのです。

それは動物として、まだ弱い子供の時期に「安全・安全でない」を理解することが、それ以降の生死に関わることで、小さな頃の記憶が影響を強く持つというメカニズムは何ら不思議のないことです。

ただ、このようなメカニズムが構築されていったのは、まだ死がとても日常的であった、原始の時代のことであり、われわれが生活する「現代」では、そのメカニズムそのものが、あまり役に立つものではなくなっているのが事実です。

それにも関わらず、わたしたちは、小さな頃に感じた「恐怖」「不安」「悲しみ」「怒り」などの感情を前提にして、今という時間を生きています。

小さな頃、「初めて乗る自転車」はとても怖いものだったかも知れませんが、自転車に乗れるようになれば、初めに感じた恐怖や不安はすっかり忘れてしまうものです。

しかし、大きくなり、「初めて〇〇をする」という時に、あの自転車を初めて乗るときに感じた感情が沸き上がってくる場合があります。

このような「個人が経験した出来事に関する記憶」のことを「情動記憶」と呼び、情動記憶が蘇るのは、ほんの一瞬(0.2秒程度)と言われています。

もし、新しい何かにチャレンジしようとしているのに、失敗するのが嫌で動き出せないというようなことがある場合、それは小さな頃に経験した出来事に関する記憶が妨げとなっていると思って間違いないでしょう。

過去の錯覚

情動記憶は人の人生にとても大きく影響を与えています。

純粋な心で受け取ってしまった、「不安」「恐怖」などの感情体験は、無意識に人の人生をコントロールしています。

しかし、良く考えてみてください。

人が小さな頃に体験した出来事って、そこまで大きな「不安」や「恐怖」を感じるようなものだったのでしょうか?

きっと今の自分であれば、乗り越えられることばかりだったりするはずです。

先ほどの自転車に乗るという例えもそうですが、「初めてのおつかい」なんかも、きっと小さな頃と今とでは、感じ方が全く変わってくるはずなのです。

「情動記憶」の存在を理解すると、例えば、「初めて行くお店」や「初めて会う人」に感じるちょっとした不安な感覚が、「本物」でないことに気付けるようになります。

このような、過去に経験した出来事による記憶によって生み出された感情を、「過去の錯覚」と呼びます。

「過去の錯覚」の存在を理解することが出来れば、その時に自分の内側で起きている「会話」がどれほど滑稽なものかに気付くことができます。

わたしたちの内側では、小さな頃の自分が脚本家の、自作自演の人生劇場が展開されてしまっているのです。

小さな頃の自分という脚本家に主導権を手渡したままの人生ではなく、「過去の錯覚」から抜け出し、今の自分に人生の主導権を取り戻す人生だったら、どちらが良い人生と呼べるでしょうか?

過去の錯覚から抜け出すことで、人は様々なことに挑戦できるようになり、自ずと自己肯定感も高まっていくようになります。

常に自分の内側で、「どのような会話がなされているのか?」を注意深く観察する癖をつけてみてください。

きっと多くの気づきが得られるはずです。

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