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バブルな都会の名無し

私が東京の女子大に進学したときにはもうバブルは弾けていたのだろうと思う。
が、そこを去るまでの短い間に経験したいろいろなことはまさに”バブリー”なものが多かった。

田舎から上京した私は女子大生専用マンションのようなところに入居した。10余りある部屋には田舎者の私でも知っている超有名女子大に通っているお嬢様が住んでいる。私はお嬢様ではなかったがお嬢様のふりをしてそこに暮らしていた。
そこで初めて両親を”お父様、お母様” と本当に呼ぶ人間が存在することを知り、”ごきげんよう”の挨拶を受けた。そんな言葉は漫画の中だけだと思っていたので心底驚き、”シマちゃんのお母様は?”なんて聞かれると心の中でうちのお母さんはお母様ではないのだが、とドキドキしていた。

そこにはオーナー管理人さんのご夫婦がおり(おじさま、おばさま)門限が11時に定められ、外泊は事前に申し込んで両親の許可が降りてから、男性のお友達は部屋にあげてはいけない(カメラあり)、飲酒喫煙厳禁、と厳しい環境だった。
一度11時の門限に10分間に合わず、駅から走って帰宅したが(門が閉まってしまうので)、道の反対側から門のそばでおじさまが仁王立ちをしていたのが見えた。怒られはしなかったが”夜出かける時は帰りの電車の時間に気をつけるよう”注意をされた。

ある日、友人に車で迎えにきてもらうことがあり外で待っていると、おじさまが駐車場の掃除をしながら話しかけてきた。学校の様子などを聞いたタイミングで、友人の車が駐車場に滑るように入って来る。
それを見ておじさまはさっと運転席に周り窓をこんこんと叩いた。

君はどこの大学?お父さんは何してる人?

私はその質問を聞いてわけがわからなかった。
こんにちはとかお友達?とか君、名前は?とかではなく大学名と親の職業を聞く。都会は不思議なところだ。

そして彼も素直に答える

早稲田大学です、父は弁護士です。

おじさまはそれを聞いて安心したように ”シマちゃんをよろしくね” と送り出した。私はまだ頭の中が????だったので友人にこのような質問はよくあることなのか、と尋ねると彼は ”まぁ普通じゃない?” と答えた。

都会とは不思議なところだ。そんなふうに思っていたが多分それはバブル時代の都会の話だろう。
その時代は人間の価値とか信用とかがお金やステータスや職業や乗ってる車で決められていた。ルイヴィトンやシャネルを持っている学生が多く、持っていない人(=私)は”ちょっと可哀想な人”な位置付けだった。

迎えに来てくれた友人は19歳でジャガーを運転していた。
私はジャガーを知らず、ネコがついててかわいいな、と思っていたが、車内に入ると大学生には不釣り合いの高級車だとすぐにわかり、学生の彼がこんなすごい車ならお父さんは何に乗っているのだろうとおののいた。

お金持ちの家庭で育った彼にとってはおじさまとの会話も普通なやりとりであったことから、彼と自分が育った境遇があまりにも違い過ぎている事実が非常に居心地が悪い。ピカピカの外車に座ることも、これから鎌倉までドライブしてヨットに乗ることも、その途中でおしゃれな店でちんまり盛られたパスタを食べることも、自分には似つかわしくない異文化体験であり心底楽しめなかった。
友人にとっては普通のことであり、本人はお金持ちな自分を誇示したりひけらかしたりすることは一度もなかった。それもちょっとだけ不思議だった。

彼のようにお金がたくさんある大学生が周りにわんさかいたバブル末期の大学生活だったが、その誰もの名前をちゃんと覚えていない。
なのに不思議に大学名や乗ってた車や住んでた界隈なんかで彼らを覚えている。
みんな似たような格好で、似たような仕草で、似たような価値観だった。
浅く広くな付き合いで、泡が弾けるように刹那的な関係が多かった。
私も彼らにとっては名無しだったのかもしれない。

バブルが完全に弾け、経済の停滞が続いている日本で、彼らは幸せだろうか。
そうだといいな、お金とかブランドとか高級車とは関係なしに、幸せだといいな。

シマフィー 




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