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カフェで会う蛹

カフェで会う人はこちら(先に読んでいただけると状況がわかりやすいです)

ふらりと寄ったその店では3人の男性がギターの音に重ねてワイワイと談笑している。年配二人は若くて長い髪の彼にあれやこれやと指示するのに忙しい。

カウンターの向こうの男性はオーナーだろうけれど、入ってきた私の方を見ようともしないのでそちらに向かって5歩歩いた。

カフェラテお願いします!

はっきり言わないとギターと笑い声に消されると思ったので、まるで怒鳴っているように聞こえたのだろう。

その声にビクッと反応したのは全身グリーンのスーツの彼だった。
日本でも今時の男の子はこんな奇抜な格好をするのか、とまじまじと見つめるとこちらを振り返った拍子に髪の毛に遮られていた横顔が見えて驚いた・・・綺麗な顔をしている。あどけない瞳だけど、何故だか戦国武将を思わせる勇ましく精悍な顔だと思った。
もっとこちらを向くと、口元の小さな黒子がその勇敢な英雄の顔を甘い王子様に変える。希望に溢れるような溌剌とした肌が、ずっと昔に愛したあの人を思い出させた。

はいよぉ〜 とサングラスと髭のマスターがニコニコと返事をすると、緑の彼のギターを奪わんと手を伸ばしたメガネの男がそれ以上の笑顔でこう言った。

お姉さん、このお兄ちゃんのサイン貰っときなよ!将来有名になるよ!

はぁ、そうですか、と口ごもりながら後ろの席に着いて小さな本を開く。
先週飛行機の中で読み終えたときに、あのページにしおりを挟むのを忘れていた。ページをめくると同時に頭の文章に目を通し、次へ次へと目的の文章が現れるまで指を動かす。

緑の彼がじっとこちらを見つめて尋ねた。

あのぅ、ドイツ語の本が読めるの?それ、カフカの“変身”でしょう?

Die Verwandlungーーー邦題では”変身”となっているが、英語の題だとMetamorphosis となり虫や両生類の変態を言う。Transformation と訳してもいい、大きな次のステージへの変身だ。
確かそんなツアータイトルをつけて全国を巡っていたバンドもいた。
彼らは何から何へ変身を遂げたのだろうか。私は日本にいなかったのでよくは知らない。

ドイツから帰国したばかりなの、だからこれしか持ってないのよ。

彼の大きな目が興奮にキラキラを増す。

ドイツにいたの?じゃあ、あの日本人のギタリスト知ってる?髪の毛が赤くてくるくるでカッコいいギターを持ってる人。ベルリンにいるって雑誌で読んだよ。時々しか日本に帰ってこないからライブのチケットはすぐ売り切れて全然買えないんだ!

ベルリンではない、ドレスデンだ、そう訂正したかったけれど何も言わなかった。

そんな人は知らないわ、私は音楽を聴かないから、名前も聞いたこともないわ。

嘘をつく自分の指先が探していた一文を辿っていた。
自分ではハッキリと話しているのに、虫になったグレゴールの言葉を家族は理解できなくなってきている場面だ。彼の変身は絶望への変身だった。

遠い昔、あの人との最後の1年を似たような気持ちで過ごした。
同じ言語を喋っているのに互いの言っていることはさっぱり理解できなかった。大人になった現実を見る自分と大人になりきれない夢を見る彼の焦点はじりじりと確実に離れていった。

愛し合っていたのに、たくさん愛の言葉を贈りあったのに、あまりに長く夢を見て憧れを現実にしようともがいている彼を私は見捨てた。
彼を信じるのをやめた。ドイツ留学という大義名分を突きつけ、彼を捨てた。


15年が過ぎ、次への変身を遂げられぬままドイツに留まった私は、仕事とアパートの往復をしていた時に街で偶然にあの人を見かけた。

雨の中、やりたくもない仕事を終えた私はバスを待っていた。傘がないので両手を額にあて顔が濡れないようにしていたが、一気に下がってきた気温が爪の先をふるふるとさせる。惨めだ、と泣きたい気持ちだった。
ふと視線をを上げると、薄暗い建物と黒のコートばかりの雑踏のなかに大きな紫の傘が見えた、と同時にその下にいる赤っぽい髪の男性が目に入る。

夢ではない、あの人だ。
歳を重ね、見かけは変わり、ここは原宿ではないのに、それが彼だとすぐにわかった。ドイツに来たとは聞いたことがあった、でもドレスデンにいるとは思いもしなかった。

運命の再会かもしれない。惨めな現実に生きる私を救うために彼が現れたのかもしれない。高鳴る鼓動に自分勝手な想像が瞬時に沸いたが、高揚した感情は名前を呼ぼうか迷っているうちに消えた。

大きな傘を一緒に支えていた私はとうの昔に逃げた。
その傘は彼を守る盾のように、虫に変身したグレゴールの様な私を彼の視界から遮っていた。
キラキラと輝く蝶へと変身を遂げた彼は私がかつて呼んだニックネームには相応しくない男性になっている。

私は彼が遠くへ消えいくのを妬ましいような寂しいような誇らしいような悔しいような気持ちと共に見送った。

あの偶然から2年も経ち、やっと今頃帰国できた自分はまだグレゴールのままだ。
世間は仕事を見つけろと急かし、親は婚期を逃したと泣き、かつての友人たちは人生の第3ステージまでトランスフォームしている。

硬い表情になったのが自分でも感じ取れて、気不味く視線を上げると緑の彼はまだ私を見つめている。彼の困ったような表情にふいに涙がこみ上げてくるのを抑えるのに喉の奥がギュッと痛くなった。
あぁ、ずっとずっと昔のあの人はこんな瞳をしていた、こんな風に私を見つめていた、子供がはしゃぐように音楽の話をしていた、ギターを手に愛の歌をたくさん歌ってくれた。

メガネの男が助け舟を出すつもりなのか

俺らはそのギタリスト知ってるよ、まぁ遥か昔の学生時代の話だがあっちの公園でよく練習してたんだ。3人でCSN&Yとかのフォークをやってたけど、当時はお兄ちゃんみたいにサラサラの髪にアコギだったんだよ。
ドイツじゃロックのソロだけど日本ではまだ3人でライブやらテレビやら色々やってるよ、俺のラジオでも曲、かけてるよ

そんな話を始めた。マスターはニヤニヤしながらカップに熱い牛乳を注いでいる。

緑の彼はよほどそのミュージシャンに傾倒しているのだろう、メガネの彼に矢継ぎ早に質問をしている。
どんな曲をコピーしていたの?
誰がリードギターを弾いていたの?
どうやってバンドメンバー見つけたか知ってる?

その熱意に私も知っていることを教えたくなるが、黙っている。
都合のいいことにカフェラテが運ばれてきたので、熱さに格闘しているふりをして彼らの会話を静かに聞きながら、一番好きだったあの人の姿を思い出している。

相棒に教えてもらったとスリーフィンガーの練習をしながらラブソングを歌っていた。あなたに贈る愛の歌だよ、と恥ずかしそうに歌っていた。

そのまま本に目を落とし、ゆっくりと読み進める。自分の変身ができないまま、あの頃とは全く違う日本に帰ってきたことが良いのか悪いのかわからないままに、グレゴールが家族に見捨てられ死んでいく様をゆっくりと繰り返し読む。そしてその度にグレゴールは静かに死ぬ。静かに死んでゆく。

一本のギターを挟んでカウンターの3人は音楽談義に花を咲かせている。あんなに歳が離れていても音楽で一緒に盛り上がれるんだなぁ。


もう4時を過ぎたからお酒を飲んでもいいでしょう?

マスターがそう言ってテーブルに置いたのはブランデーを入れた甘いリューデスハイマーカッフェだった。ドイツのと同じようにホイップクリームとチョコレートがたっぷりと乗っている。

ドイツのコーヒー?俺も飲んでみたい!子供のように懇願する緑の彼にも 君は未成年だからちょっとだけ と小さなカップで出してあげている。

甘いクリームを飲み込んでブランデーの苦味が舌先に伝わろうとした時に店のラジオからエレキギターのメロディが聞こえてきた。
その後に続く赤いくるくるの髪の毛の彼の声を思い、誰か宛てのロックなラブソングを思い、あの時彼を信じなかった自分を罰したくて苦い味を長く残すようにブランデーが多めのコーヒーをゆっくりとゆっくりとすする。

ちらっと視界に緑の彼がブランデーの苦味に大きく舌を出しているのが見え、それを笑う二人の声が心地よく、自分への罰は不要だったような気がちょっとだけした。

このお兄ちゃんの夢が叶いますように。愛する女性が出来た時、彼女が彼を裏切りません様に。

未来をパンパンに詰め込んだ、光沢のある緑のスーツに包まれた蛹。

彼の美しい蝶への変身を心から願いながら苦く甘く切ないコーヒーを飲み干した。

シマフィー

*何となくの続きはこちら↓

これはThe ALFEEの1985年リリースしたアルバム For Your Love に収録されている切ない愛の歌 ”あなたの歌が聞こえる” を元にしたフィクションです。
作詞作曲は高見沢俊彦さんです!シマリスが一番好きな高見沢さんラブソングです!

歌詞はこちら

Spotifyをお持ちの方はこちらで聴けます

*公式ではないので心苦しいですがこの歌を美しく歌う若い高見沢さん


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