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I Recall, Therefore, I Am

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山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”…
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#わたしの旅行記

チワワを探して800マイル旅した私がメキシコでマシンガンを持った男達に取り囲まれた話

コロラド州での大学時代に何を思い立ったかメキシコのチワワ州までドライブしたことがある。 理由は ”チワワ州にはチワワがたくさんおるんじゃなかろうか?” という今考えると馬鹿すぎるものであるが、その時はいい考えに思えた。 私は当時チワワ2匹の親であり、彼らのルーツを探しに訪ねたかったのだ。(*犬は連れて行けませんので元カレに預かってもらいました) 自宅にネットもなければ携帯電話もない90年代の中頃は、憶測と噂と経験者の話でしか情報が集められず不安もあるが、地図を見ると一直線に

チャーターしたボートにおばちゃん2人付いてきた

ちょっと離れた島までボートをチャーターし、潜りながら行こう、と決めたのは出発の前々日だった。 この島から目的地の島までは止まらず行けば3時間で辿り着く道のりだけど、その途中には素晴らしいダイビングポイントがあるので、ぜひ2−3ヶ所潜りながら進みたい。 ライセンスを取るときにお世話になったダイブマスターにそう相談すると、 オーケーじゃあボートキャプテンに連絡して、お昼ごはんを適当に用意しておくよ と快諾してくれた。費用は全部ひっくるめて200か300ドルくらいだったと思う。

オレンジチキンとカロリナ

アメリカに留学して8年ほどたち、博士課程の1年目を終えるかどうかの時に急に何もかもが嫌になった。今思えば Burned out ・燃え尽きていたのだな、とわかるがその時はちょっとだけ息抜きをすればまた楽しく論文を書いたり研究したりできるかもしれないと思っていた。 30目前で、まだフルタイムで働いたことはなく、仕事自体も大学内だったため外に出て毎日働くというのは魅力的に映った。そしてその息抜きというフルタイムの仕事のために中国まで渡った(ここでその話が読めます)。 結局中国に

日・米・中3カ国またにかけたA-ha!

アメリカでの博士課程の途中で、どうにもパンクしそうだった私は、あんまり何も考えずに中国で英語教師の職を見つけてアメリカを出た。 1年のつもりで来たけれども、結局は5年以上も中国に住んだ。 その暮らしの中で、些細なことだけれど頭の上にピーンと電球が光るような 💡はーーーーそうかーーーーー💡 と、点と点がつながる一瞬が何度かあった。 一昔前に流行った A-ha体験のようなものだ。 最初は中国語をまだ本格的に学ぶ前(そこらへんの自分の話はこちらへ)。 街をぶらぶらしている時

たった2枚だけ:マドリッドにて

中国で5年過ごした後にどこへ移動しようかを考えていた。 土地勘のあった旧東ドイツのドレスデンにしようか。 ボーイフレンドのビットリオの実家があるイタリアのミラノにしようか。 ご飯が美味しくてみんな優しい、大好きなタイの南部かマレーシアの海岸町か。 とり合えず選択肢になかったのは中国に留まることと日本に帰ること。 アメリカに戻ろうとも思ってなかった。 博士号の途中で息抜きのつもりで来た中国だったが、5年がすぎてしまい、もうこれから大学院に戻ろうとは考えられなかった。 研究仲間