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自分にとって黒か白か~ユートロニカのこちら側~


この世界に、絶対的に正しいことがあるのか?

これはこうだ、と決めつける。断定する。
それは果たして、正しいのか?それが正しいと言える根拠はあるのか?

読んだ人に、そう問いかけてくるような小説でした。


アガスティアリゾート計画。
その居住区内で暮らしているだけで、生活するのに不自由しない額のお金が毎月与えられる。そんな夢のようなエリアをつくる計画のこと。

働かなくてよい。普通に生活しているだけでお金がもらえる。
このエリアで暮らすための条件が二つ。

どんな仕事に就き、休日はどんな活動をしているのか、家族構成や交友関係はどうかなど、一人の人間のありとあらゆる情報を基にして出される情報等級(アガスティアランク)が一定以上であること。

そして、アガスティアリゾート内で暮らしている間、居住者に関するあらゆる情報へアクセスする権利を、アガスティアリゾートを運営するマイン社に認めること。

天国のような世界か?、はたまた地獄か?
『ユートロニカのこちら側』は、そんなアガスティアリゾートを巡る人たちのおはなし。


私事ではござますが、本作の作者である小川哲さんが書く、『ゲームの王国』が大好きなんです。『ゲームの王国』が大好きな自分としては、本作も当然気になっていました。読むのはもはや必然!抗えない!不可抗力!

なかば必然的に読んだ本作ですが、読み終わってみると、今読めて良かったなと思いました。一番に思ったのは、

絶対的な黒、絶対的な白、絶対的なもの、そんなものが世の中にあるのだろうか。
絶対的なものなんてない。絶対的な判断基準なんてない。だから、何かを判断する場面に出くわしたら、自分で考えて、自分なりの答えを出そうよ。それが、生きるってことなんじゃないか。

です。


本作の中では、人々は日常の何でもないことの判断を、人生を左右するような重大な判断を、人工知能aiであるサーヴァントに委ね、その判断結果に不満を抱かずに従います。
つまり物語の世界の人々は、サーヴァントこそが絶対で、サーヴァントの判断が絶対に間違っている訳がない。そう考え、行動します。

でもそれって、めちゃくちゃ怖いことなのではないでしょうか?

サーヴァントが勧めてする音楽を聴きながら通勤・通学して、サーヴァントが示すご飯屋さんでお昼ご飯を食べたり。
作中にも出てきますが、サーヴァントが示した人を将来の結婚相手としたり。
サーヴァントが否定する人物とは関わらないようにしたり。サーヴァントが要警戒と判断した人間は警察から監視されたり、場合によっては逮捕されたり。

ここまで書いていると、はいそうです、あのアニメ作品が浮かんできます。
僕も今年になってようやくアニメを視聴しました。最高でした。このアニメを見たあとで本作を読めてよかった。

PSYCHO-PASS

PSYCHO-PASSでは、シビュラシステムという人々の心理状態などを読み取り計測する仕組みが導入されていて、あらゆる決定をシビュラシステムが行い、人々はシビュラシステムから示された結果を基に行動します。基にする、というより盲信し、シビュラシステムが示す通りに行動しています。
また、犯罪を犯していないものの、シビュラシステムが数値化する「犯罪係数」という値が一定値を超えた人間は、潜在犯として逮捕されたりします

このシビュラシステムや犯罪係数などの概念、この『ユートロニカのこちら側』に出てくるアガスティアリゾートやサーヴァントにそっくりではないでしょうか。

『ユートロニカのこちら側』、『PSYCHO-PASS』のように、全知全能的なシステムが誕生したとき、人間は思考を放棄し、機械にただ従うことになるんでしょうか。


絶対に良いこと、絶対に悪いこと。
絶対的な善、絶対的な悪。

そんなものはないんじゃないでしょうか。

頭がいい人がこう言っているんだからこうだろうとか、本にネットに書いてあったからテレビで言っていたからこうだとか、なんか凄いハイテクな機械がスマホがこう表示するからこうだとか、それは絶対的な判断基準なんかじゃない。

それは自分で考えることを辞める思考の放棄なだけだし、その判断が仮に間違っていたら「やっぱり!変だと思ってた」とか言い訳するに違いありません。


絶対はない。一方で、恣意的で自分勝手な判断基準はあると思ってます。

それは、「自分」です。

自分にとって良いか悪いか、自分にとって好きか嫌いか、自分にとって正しいかどうか。という判断基準は存在するんじゃないでしょうか。
僕はお金は無いよりあった方がいいと思うし、ポケモンが好きだし、ミニトマトが嫌いです。僕にとって、お金とポケモンは正義で、ミニトマトは敵です。ミニトマトが大好きな方には申し訳ない。

ただ、だからといって、

お金なんていらない!
ポケモンは子どもがやるゲームだろ、大人がやるなんて!
ミニトマトこそが至高!

という主張が間違っているとは思いません。
そりゃ、そういう考え方もあるでしょう。

そもそも、絶対に正しいこと・絶対に間違っていること、なんてものが存在するのであれば、犯罪なんて起きないと思うのです。
正義の反対はまた別の正義、なんて言葉もありますが、お互いに正しいことをしている、良いことをしていると思っているから人はぶつかるし、戦はいつまでたっても無くならないのではないでしょうか。


アニメや漫画の世界では、純度100%の悪というものが登場することもしばしばありますが、現実の世界で、絶対的な悪なんてそうそう無いでしょう。というか、そんなもの無い。と思います。

何か問題が起こって、原因が見つかったとしても、そのことだけが原因だったなんて滅多にありません。大体が、色々と複雑な事情があって、結果として直接的な原因となった、みたいなものが大多数だと思います。

この世界に、絶対なんてないと思うんです。


『ユートロニカのこちら側』でも、『PSYCHO-PASS』でも、自分で考えて行動する人たちが描かれています。

サーヴァントがあるのに、シビュラシステムがあるのに、それでも自分で考えて、おかしいことにはおかしいと言います。

自分で考えて判断して行動する。それは楽なことではないし、責任も問われます。たまに良い判断をすることもありますが、それよりも良くない判断をする回数の方が多いでしょう。人間は合理的ではないですから。

でも、そうやって、自分で判断することが生きるということ、なんじゃないでしょうか。


僕が一番好きな小説家の金城一紀さんが『GO』という小説を書かれています。

物語の主人公は在日韓国人、なのですが、在日韓国人というだけで誰かも知らない人たちからレッテルを貼られ、こう言いう人間だと勝手に解釈されています。

主人公はそんな状況に悩み苦しみ、というお話なのですが、この主人公が物語の最後の最後に放つ言葉を、まったく違う分野である『ユートロニカのこちら側』を読んで、ふと思い出しました。

そうだよな、周りが言ってることなんて関係ないよな。
自分がこうすると思ったことをすればいいんだよな。


超頭のいいコンピューターがどう言おうとも、偉い人が何と言っても、家族が友人が知人が何を言ってきても、一番大切なのは自分がどう思うか。

SFは化学の未来を描くジャンルだと思われがちですが、実は人間の根っこの部分を描くジャンルなのではないかと思っています。

小川哲さん、『ユートロニカのこちら側』とても面白かったです。
また、他作品を読んでみます。


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