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法科大学院よ、さようなら(1)〜四人の教授


 「この判例は、社会的相当性から判断して〜〜妥当でしょうなあ。次の判例も、社会的相当性から言って妥当でしょうなあ…また次も…」
 電源コンセントと有線LANケーブル挿入口が埋め込まれたテーブルを四角に囲った小教室で、教授が15人ほどの学生を相手に判例集掲載の判例を解説している。カーペットがグレー、壁は下部に擦れた汚れが目立つ白、ホワイトボードは使わないタイプの教授のようだ。
 その教授の説明はリズムが心地いいものだった。ただ「わたし」こと嶋田にはその解説の内容が全然頭に入ってこない。時間をかけて予習してきたにもかかわらず、だ。
 (社会的相当性?そりゃ正当防衛だから社会的相当性が大事なのはわかるけど、それ以外にはなにか理由とか理屈とかないの?)
 教授は実務家経験もある方ということもあってさぞ優秀な方なんだろう、だから不勉強なこちらがその高尚なご説明を理解できてないだけなのかもしれない。そう考えて残り60分間、真剣に耳を凝らして説明を聞いてみた。
 ところが、後にも先にもその教授の説明で理解できたのは「社会的相当性、でしょうなあ」だけだった。

「そうそうあの先生はそんな感じよ。正直説明の感じもあんまりアテになんない。『でしょうなあ〜』って学部でも言い続けてる。」
 初回授業の2週間後くらいに仲良くなりその後も親交が続く友人は、学部から引き続きこの「東名大学」の法科大学院に入学していた。そして先ほどの教授は学部と院の両方で授業をしているため、受講経験のある彼はその授業の「相場感」を教えてくれた。

 東名大学法科大学院、通称「東名ロー」。某所にあるいわゆる「中堅レベル」のロースクールである。在学者数は都内有名ローと比べてそこまで多くはない。
 ロースクール制度というのはものすごく雑に言えば、資格試験予備校が流布した「悪しきパターン学習」に毒された学生を「実践的な学び」に導き、しかも合格率を増加させることで「法の支配の強化+長期受験生を生み出さない」などといういう錦の御旗のもとに立ち上げられた制度である。
 もっともその制度の是非については近年「失敗」ではないかと評価する声が少なくはない。「合格率80%以上」と謳いながらふたを開ければ25%程度であった黎明期や、卒業後に認められる5回の受験回数を受け終わった後に再度ローに入学する人の続出など、闇の深い論点に事欠かない業界ではある。中でも、ローを介さなくても司法試験の受験資格を得ることができる「予備試験」制度を活用できる優秀な学生は早く実務家となる一方、相対的に習熟度の低い学生がローに進学しているような格好になっている点は、その是非に正解が出ないままに今日まで継続している。

 嶋田は、まさにその「習熟度の低い学生」の一人であった。学部時代には親の資金力を頼り予備校講座に100万円単位で課金させてもらいながら、提供講座の大半を消化不良のままに腐らせている。最初こそ真面目に予習復習を欠かさず受講していたのだが、その分量に圧倒され、記憶の定着しなさ加減に心くじかれ、次第に受講ペースが落ちていったという顛末である。
 大学受験も似たような失敗があり、たまたま引っかかった私大法学部に滑り込んだ。そしてこの東名ローにもたまたま引っかかったようなところがある。未だになぜあの答案で許されたのかが分かっていない。運がいいんだか悪いんだがは分からないが、ここまで浪人を経験せずにやってきた。
 ただしその「入学時の習熟度の低さ」というのがその後幾多に及ぶ後悔を呼ぶことになろうとは、その時は考えもしなかった(これが言いたかっただけ)。

 話を刑法の授業に戻す。ロースクールの授業は基本的には教授が質問をし、学生が回答をするという「ソクラテスメソッド」が採用されている。ただその「ソクラテス」具合は担当教授によってまちまちであり、学生の不理解を執拗に突いてくださる教授もいれば、かなり回答を導いてくださる教授もいた。
 加えて「刑法演習」の授業においては担当教授が4名いて、各教授がそれぞれのクラスを担当して交代していくという変わったシステムが採用されていた。4名の教授が後述の通り変わった個性を持っているため、そのエッセンスを多くの学生に享受させてあげようという狙いがあったのかもしれない。
 ただ、その「個性」があまりにも違いすぎた。先述の「でしょうな」先生は淡白さがあまり参考にならず、次に来た「落語家チック」な先生はその含蓄を授業内容にふんだんに盛り込むあまり何が言いたいのか分からなかった。一番良かったのは元裁判官の先生で、上記二名の間を取った非常に参考になる授業であり、「この先生が全部の授業やってくれればなあ」と当時は何度も思った。
 一番最後に来た先生がものすごく「鋭利」であった。最高学府系列の学者先生で実務関係の委員会にも協力されている優秀な先生であった(今考えるともっと食らいつけばよかった)。上記各先生比で3倍くらい判例集を読み込んでいったが、こちらの不理解を看破され、「こいつはいいや相手にしなくて」感を出されて次の学生へと質問を進めていかれた。
 
(以下余談)筆者がなぜこの話を冒頭に持ってきたかというと、この授業で植え付けられた(と勝手に思い込んでいた)”刑法アレルギー”というものが、その後の受験人生に大きく関わってきたからだ。刑法というものがとんでもなく難しく、そして自分には永遠に理解できない「他国」のように感じてしまったからだ。ただ、今になって振り返ると刑法を「本当に」理解する必要は、少なくとも司法試験合格との観点からすら不要なように感じている。「本当に」とは、上記鋭利な先生が求めるいわば永遠に答えの出ない問題への回答ができるというレベルである。この「本当に」の5%くらいのレベルですら合格は可能である、というのが今の私の意見である。これまた雑に言えば「自分の記述が完全に間違いにならなければ大丈夫」だとすら思っている。
 もしローに入学して嶋田のように刑法学者に圧倒された方がいたとしても、そのことだけをもって刑法を嫌いにならないでほしい。言い古された言い方だが「基礎基本が大事」なので、学者の要求する深海の如く攻略不能なゾーンには挨拶だけして浅瀬を攻略するつもりで定義要件とAランク論点を大事にしてほしい(以上余談)。

 かくしてローの授業に圧倒された嶋田は、最初のゴールデンウイークに突入するのであった(次回へ続く?)。

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