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ゲームが得意でない人がゲームを楽しんでると嬉しい話

私はゲームが大好きだ。
この記事の冒頭に悩みに悩んで、結局出てきた言葉。

「よろしい、ならば~」と締めくくりそうな出だしだけれど、あの演説よろしくあらゆるゲームが好きだ。
RPG、パズル、シミュレーション、スポーツ、シューティング、FPS、育成、アクション、ハクスラ、雰囲気ゲー、クソゲー、ネタゲー…色んなものをやってきた。

だが、私はあまり「趣味はゲームです」とか「ゲーオタです」と名乗ることは少なかった。
ゲームをする人なら大なり小なり経験があると思うが、ゲームコミュニティには悪意の有無に係わらず、「ゲームが上手い人が偉い」「ゲームが好きならすべからくプレイを追及するべし」というような雰囲気があり、それが苦手だった。
私自身、「一般人からしたら上手いが、ゲーマーからしたら普通」くらいのゲームの腕であり、そんな私が「ゲームが好きなオタクです!」と言うことがどこか後ろめたい感情があったのだ。
でも今は冒頭の言葉のように、「ゲーム好きです!」と公言できる。今回はその心境の変化を書いていきたい。

2年ほど前、私はスプラトゥーンにハマった。
私はスプラトゥーンが好きだから上手くならねば、と思いXを目指して700時間ほどプレイして、そしてくじけてしまった。
一つずつ上がっていくウデマエを見ては一喜し、割れるメーターを見て一憂する。最初はそれが楽しかったのだが、だんだんそれが苦しくなっていく。OKラインを維持するだけで精一杯で、集中力が切れれば簡単に下がるウデマエ。
今まで攻略動画を見てひとつずつ何かを改善すればすぐ結果に反映されたのに、だんだん結果に表れてこず、何が正しく何が間違ってるのかすらわからなくなっていく。いつまで経っても上手くならない。

後から始めたプレイ時間400時間くらいの知人がXになったと聞いて、募る焦燥感と情けなさ。
「ゲーム程度でそんなに思い詰めるか?」と思う人もいるかもしれないが、上手くなれないことを思い詰めてるのではない。
大好きなスプラトゥーンを、好きでいられないことが悔しかったのだ。と、言う綺麗事もありつつ単純に上手くなれないフラストレーションも多分にあった。
考えてみると、そもそも私自身が「上手くなければ」という偏った思想に毒され過ぎていたかもしれないが、ともかく私はスプラトゥーンをプレイする時間が日に日に減っていった。

そして一年ほど前、急に周りの友人たちの間でスプラトゥーンが流行り始めた。体験版の後からゲーム人口が増え始めたからだったかと思う。
甲子園もフェスも終わりを宣言されており、ブキの調整アップデートのみしか残されていないゲームに人が集まる。ゲームの常識からしたらあり得ないことだが、このゲームにそれだけ魅力は確かにあった。

そしてTwitterでフォローしている友人たちは、いわゆる「ゲーマー」ではなかった。ある程度FPSやTPS、アクションゲームなどをプレイしてきた下積みがあるプレイヤーたちは、一つ一つ操作を確認した後、操作感の「馴らし」を数時間やれば、大体「何をすればいい」のかがわかる。
けれど、そういった勘の良いプレイヤーではないわけで、私は友人たちに教えようという親切心半分、初心者プレイヤーにマウントをとりたい気持ち半分で「一緒に遊ぼう!」と声をかけた。

私を苦しめたあのガチマッチはまずやらない。みんなナワバリバトルでワイワイと遊ぶ。
どのブキを使えばいいか、何をすれば勝てるのか、どうすれば上達するのか、新しく手に入れたブキにどんな特徴があるのか、小技や小ネタ、私は自分の好きなゲームを楽しく遊んでほしい一心で、自分の知識や経験でできる限り友人たちが気持ちよく遊べるように努めた。

一部の友人はそれをきっかけにドハマりしたので、X帯の私の師匠たちが集まるプラベにも招待をして意外な友人関係もできたり、ちょうどよくリバイバルフェスも開催され、友人の称号が「えいえんの」になるまで深夜から朝までプレイしたりもした。

そして私自身、再度スプラトゥーンが楽しくなっていることに気付いた。

思い返すと、私に「上手くなければ」という偏った思想があるのは、幼少期にまで遡るのだと思う。末っ子で、遊び友達は兄の友人である年上たち。
みんなでマリカーやスマブラ、ゴールデンアイやカスタムロボに興じるが、兄の友人たちはどこか自分と遊ぶ時だけ楽しくなさそうなのだ。

彼らとは4歳の差があり、中学生と小学校中学年。それに比例してゲームの腕が離れていると、「勝つか負けるか」のようなゲームプレイはできず、きっと物足りなかったのだと思う。
ともあれその体験から、「上手くなければ遊んでもらえない」という思い込みと、序盤にも話した「上手い人間が偉い」という雰囲気に呑まれて、ゲーム本来の楽しさを長い間忘れてしまっていた。

友人たちはゲームが得意ではなかったけれど、私と遊ぶスプラトゥーンを心から楽しんでくれていた。そしてあまつさえ「島田さんのおかげ」という言葉までかけてくれた。
それはキルレートなどが直接勝敗に結びつかない新しいバランスを作り出した任天堂の名作、スプラトゥーンだから起こったこととも言える。

ゲームは上手くなくても楽しんでいいということに気付くのに私は数十年かかったけれど、今はゲームがすごく楽しい。
これからもゲームが上手くない人でもやれるゲームスタイルを探してみたり、「私は上手くないから…」とマルチプレイをためらっている人がいればすぐさま駆け付けたい。ゲームの楽しさを気づかせてくれた人たちだから。

私はゲームが大好きだ。

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