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「あと半世紀も生きたくない」と熟女は泣いた。

レベル50になって以来、私は早くも「余生」のことを考えるようになった。当初はお先真っ暗な感覚だったが、さらに2年経った現在、ようやく「豆球」程度には未来が照らせるようになってきた。

私は決して心配性な性質ではない。むしろ後先考えず享楽的に生きるタイプだ。そうでなければ「行き当たりばったり/その日暮らし」の自転車操業フリーランスを18年も続けられない。仮に私が心配性だったならば、何も積み上げてこなかった己の未来を案じた瞬間、自死してもおかしくない。

幸い自死することもなく、半世紀を生きることができた。それは死ぬほどの事故や災いに遭遇しなかった強運もあるが、17年間そばにいてくれた愛犬エディの存在も大きい。
「あの子を置いて死ぬわけにはいかぬ」と歯を食いしばった場面は幾度かあった。瀕死の体調を乗り越えられたのは、ひとえに「守るべき生き物」のおかげだ。

だがもうエディはいない。虹の橋を渡ってもうじき1年。生きがいを失った私は、何度か希死念慮に襲われたが、夫という家族の存在が支えとなり、なんとか生きながらえている。

同じ生きるなら、泣いたり落ち込んだりするよりも、幸せに浸り笑顔で過ごせるほうがいい。これからも、哀しみに溺れず楽しいことを増やし、残された人生を豊かに暮らしたい。きっとそのほうが、空から私を見守っている(と信じている)エディも浮かばれるだろう。

だが、未来の時間をカウントしたが最後、晴れやかな気分はみるみる曇ってしまった。

「人生100年時代」換算ならば、私はあと半世紀近くも生きることになる。しかもそれは「できること」が増える成長の時間ではなく、「できないこと」が増える衰退の時間という、暗雲たる未来だ。

今日までの半世紀だって振り返ればとてつもなく長かったのに、同じくらいの時間がこれからも続くだなんて。

「そこまで生きたくない」
不意に湧きあがった感情があまりにも絶望的で、私は途方に暮れた。

「うっかり長生きしてしまう未来」は、どうすればバラ色にできる?

ついこの間まで、私は「あと10年くらいで死んでしまう未来」を想像していた。残された時間にフォーカスしたおかげで、己の中に「今世のうちにやりたい物事」が「10年じゃ足りない」ほどあることに気づいた。

10年で足りないならば、今のうちから長生きできるよう健康に気を遣ったり、貧困老人にならないようソロバンはじいたりしなければならない。未来志向はレベル52の自分をワクワクさせるには充分なものだったし、実際、描いた青写真の通りに一歩ずつ進んでいる。

それでもなお絶望的な気持ちが払拭できないのは、楽観的ではいられないほど自分が大人になってしまったからだ。

以前私は、たとえ一文無しになろうと這い上がれる(根拠のない)自信があった。
若ければ、人生リセットしてゼロからやりなおすだけの時間もある。実際、仕事も恋愛も結婚でさえも、私は何度か「リセットからの再スタート」を実現させてきた。人間「やれる」と心底己を信じていれば、たいていのことはやれてしまうものだ。

だが今はどうだろう。人生の残り時間という意味では、リアルに100年生きられるなら「まだ半分」だ。あと半世紀、うんざりするほど時間はある。

だけど私は知ってしまった。レベル20からの30年と、レベル50からの30年は、天と地ほど違う。成長する未来と衰退する未来では、やれることも違えば世間からの扱いも異なる。

20代ならば、貯金が底をついても「ひとまずキャバクラで小銭稼いで生活を立て直そう」で立ち直れる(実際そうしてきた)。
だが50代の今、旦那と離婚して仕事も失ったら、私は独りで生きていけるだろうか……?

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