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昔書いたショートストーリー(その1)

ライターズスクール時代(1996年/27歳)に課題で書いたショートストーリーです。一部加筆修正しましたが、ほぼ原文のまま。

当時のあたしは、若くて未熟で恋愛依存症でした。精神的に自立できていなかったから、いつも男の人を頼ってました。

依存は他人の人生を生きるのと同じ。振り回されたり我慢を強いられたりしても、ひとりが怖くて離れられない。だけど辛いのは嫌だから、可愛がってくれる人のところを転々とし、ヤドカリのように寄生していました。

そんな時代に書いたお話は、やはりとても幼稚です。今なら易々とできてしまう客観(俯瞰)的視点も、当時は小説を書くために訓練しなければ難しいものでした。

島田佳奈が誕生するずっと前の、青い小説。よかったら読んでみてください。

『1ミリの宇宙』

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私は眠い目をこすりながらリモコンに手を伸ばし、テレビのスイッチを点けた。
朝のニュースはいつものように平和な一日の始まりといった感じで、改めて「現実」に目が覚める。

昨日は眠れなかった。
隣で邪気のない顔をして眠っている、この男のせいで。

私は彼を起こさぬよう静かにベッドから抜け出し、テレビのボリュームを小さくして仕度を始めた。

ほとんど半同棲のすっかり慣れたこのリビングも、今朝はまるで違う部屋にいるように感じる。
いや、昨日からだ。
昨夜ふたりで飲んだ後、彼の住むこの部屋へ入った瞬間「あっ」と声をあげたくらい、室内の空気に違和感があったのだ。

レイアウトは変わっていない。ファブリックもリネンも、先週末に来たときから替えていない。
男はたいていそうであるが、恋人が定期的に訪ねてくるようになると、その彼女が買ったり作ったりしたカバー類を抵抗なく受け入れ、以後それは彼女が手入れするものとなる。しかも男は鈍感なので、次の彼女を初めて部屋に呼ぶときも、元カノが見繕ったインテリア雑貨を処分せず放置していたりする。中には「丸井インテリア館ですべてそろえました。趣味は観葉植物を育てることです」なんていう趣味のいい男も増えてきたが、私の「彼」は完全に前者だ。

別にわざとじゃないからいいのだが「前の女はアメリカンカントリー系の少女趣味だったのね」と分析できてしまうのは、しばし不快である。
そのブルーギンガムチェックとテディベアの手作りカバー類は怨念めいて見えたので、私も例にもれずカーテンやベッドカバーやクッションカバーをすべて買い替えさせた。
そうやって私は少しずつ居心地がよくなり、毎週末をこの男の部屋で過ごすようになって3つ目の季節を迎えた。

おだやかな春の陽射しが、グリーンのカーテン越しにやわらかくベッドを照らしている。
テレビのニュースはすでにローカルな話題に移り、表面だけ微笑んでいるアナウンサーと懸命に中継するレポーターの会話になっている。私は髪を束ねながら、ぼんやりとテレビを観ていた。

レポーターは、どこかの研究センターで昨年宇宙から回収したという人工衛星の様子を伝えていた。
「ここにですねー、見えますか? ほんの小さな、直径1ミリくらいの傷があるんです。これはですねー、この人工衛星が地球のまわりを廻っている間、つまり宇宙でつけられたものなんです。しかも、肉眼ではほとんどわからないのですが、ここに残留物がついているそうなんですね。
このセンターでは、そういったほんのわずかなかけらを調査しています。もしそこから、たとえば地球上には無い成分とかが発見されれば、またひとつ宇宙の謎が解明されるのではないでしょうかー?」

そんな話題関係ない、とでも言いたげな風に、彼はいびきをかき始めた。私は着替えると小さくため息をつき、キッチンへ向かった。

やはり変わってはいない。
昨日のままだ。いや、先週来たときとおかしいくらい何も変わりがない。
彼はズボラでおまけに多忙なので、平日は玄関とユニットバスとベッドの三角地帯のみで過ごしたらしく、キッチンには先週洗ったカップが水切りに置いたままになっていた。

とりあえず、いつものようにコーヒーでも淹れよう。私はコーヒーミルに定量の豆を入れ、ゆっくりと挽きはじめた。

ガリッと鈍い音がして、ミルのハンドルに抵抗が起こった。

(やだ、何か硬いものでもあったのかしら)
私はミルのふたを開けて指先で探った。

そこから出てきたのは、ピアスのキャッチだった。

どうしてこんなものが、とは思わなかった。
予感は的中した。

(……これは挑戦ね)

先月あたりから彼の様子になんとなく変化を感じていた。

電話の回数が減った。こちらからかけたときキャッチが入ることが増えた。
聞いてもいないのに、友達と飲みに行ってたとか残業だったとか、留守の言い訳をするようになった。買い物ひとつも私に頼んでくるような彼が、有名ブランドの新しいシャツを手に入れた。会社近くの居酒屋とこの部屋以外、面倒がってデートらしい外出もこのところしていないくせに「ぴあ」と「東京ウォーカー」を読むようになった。
思い出せば思い当たることだらけだ。

でも私は信じていた。いや、信じようとしていた。疑えば何でも疑わしく思えてしまう。何より決定的な証拠があったわけじゃない。不審に思うのは彼に失礼だ。それより不信感を抱かせる彼はもっと失礼だ。
葛藤しつつも、好きだから信じていこうと思っていた。

しかし「証拠」が出てきてしまった。

彼がうっかりしたのではない。ズボラなあの人にしては、この瞬間まではずいぶんマメに証拠隠滅をしていたと褒めてあげたいくらい。

私はふと、昨日のセックスを回想した。
昨日の夜は、いつになく優しく、丁寧に私を愛撫した。回数を重ねるうちにできてゆく順序に変化があった。リラックスできる相手との不意打ちの行為に、私はいつもより高い頂点に達した。同時に、徐々に具体化してくる他の女の生霊に押しつぶされそうな気がして鳥肌が立った。

私はピアスのキャッチをポケットにしまい、さっきのテレビを思い出していた。

たった1ミリの傷。
そこには遥か宇宙の、地球のこちらからは想像もできない物体の存在を思わせる。

たった数ミリのピアスキャッチ。
そこからイメージするもの──ピアスをする女、ブランド好き(あのシャツはきっと彼女のプレゼントだろう)、うっかり落とすはずのないような場所にキャッチをしのばせるほどの知能犯(自分でコーヒーを淹れない彼には見つからない)。

先週のままと思っていたカップは、彼女が洗って元の場所に戻して置いたのだろう。朝にしかコーヒーを飲まない彼とふたりで飲んだということは、その時間までここで過ごしたということだ。そしてたぶん、その時初めて関係を持った。変わらない光景と彼に表れた変化がすべてを物語っている。

さしずめ私はこの1DKという宇宙の研究員ってとこかな。
思わずフフッと笑った。

彼はやっと目を覚ましたらしく、のそのそとベッドから這い出してきた。
初めてこの部屋で朝を迎えたときも、彼は後から起きてきて、今と同じように私が点けたテレビを寝ぼけながら観ていた。
今思えば、あのときのカバーリングの類は元カノだったのか。もしかしたら、私も「他の女」だったのかもしれない。

ピアスキャッチの彼女は、私の趣味が反映したカバーリングに不快感を覚え、キャッチを私に発見させるという挑戦を仕掛けたのかもしれない。
ポケットにしまわれた「彼女」を、何も知らずのんびりテレビを観ている彼に突き付けたら、どんな顔をするだろう。

「おはよう」
私は何もなかったように彼に微笑みかけ、ベッドルームのカーテンを開けた。
「お天気もいいし、シーツを洗おうかな」
眩しすぎる空を見上げ、思わず目頭を押さえた。

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『サマードリーム』

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館山へ向かう幹線道路はひどく混雑し、有美はイライラしていた。
それもそうだ。東京を出発してからすでに4時間が経過していた。いいかげん、海岸へ到着してもいい頃だ。運転席の陽一は、まったく気にならないといった風にチューブのCDに合わせて歌っている。

海に行こう、と昨日陽一に誘われた。突然の提案に有美が承諾できたのは、そんな日のために既に準備してあったからだ。水着も買っておいたし、ダイエットや肌の手入れも毎日欠かさずしていたのは「それ」を期待していたからだ。
夏、水着のシチュエーション。有美が想定したのはそれだけじゃない。つき合って半年の陽一と、そろそろ結ばれる日がくるのでは、と考えていたのだ。

車はようやく海沿いのカーブが多い道に差し掛かった。海水浴客用駐車場の比較的空いている場所に停めた。
後部座席のカーテンを閉め、交代で水着に着替えようと陽一が提案した。こんな時は7人乗りのRV車も便利なものね、と思いながら有美は車から出た。

本当は趣味じゃない。有美は都会が似合う曲線だけで描かれたようなスポーツカーが好みだ。
それは車に限ったことではない。陽一には悪いが、有美の好みは細身で体毛の薄そうな、やや中性的な感じの男性だ。

陽一は、いつもなら“対象外”だった。だけど今年の初詣で、慣れない振袖を着たばかりに気分が悪くなった有美を助けてくれたのは、通りがかりの陽一だった。抱き上げられた時の逞しいその腕に、有美は思わずときめいてしまった。恋とはそんなものだ。

陽一のことが好きだから、ファミレスの駐車場に入らないこの車のせいで、空腹の中他の店を探す羽目になっても文句は言わない。ここがグァムじゃなくて千葉の海でも我慢する。たとえ好みじゃなくても、だ。

そういった理由で有美の眉間に刻まれるシワも、今年の夏への期待にも、陽一はぜんぜん気づいていない。鈍感な奴、とカーテンの向こうの後部座席を睨む。

陽一が出てきたので、入れ替わりに有美は車に入った。いくらカーテンがついているとはいえ、外が気になってしまう。カーテンのないフロントウィンドウはアルミシートが付けてあり、わずかなすき間から外で見張っている陽一の背中が見えた。

今日のために2キロやせたので、お腹がスッキリしている。流行りのビキニもなかなか似合っている。陽一、惚れ直しちゃうかな……と想像するうちに有美の機嫌は直ってきた。

「派手だなぁ。そういうの流行ってるの?」
「ひどーい。かわいいでしょ? 高かったんだからぁ」
感激すると思ってたのに。有美は再びイラッとした。
「それに、そのサンダルじゃ歩きにくいぞ」
確かにそうかもしれない。だけどこの水着に合わせて買ったのだ。無視してグッチの華奢なサンダルに履きかえると、有美は海岸へ向かって歩き出した。

「これ履けばー?」
振り返ると、陽一が車からビーチサンダルを取り出した。いかにも千葉の海が似合いそうな、オレンジの安っぽいサンダル。
無神経な奴。有美はそのまま浜辺へ続く石段を下りて行った。陽一は慌てて荷物を持ち車のキーをかけて後を追った。

「なぁ、せっかく来たんだから、機嫌直せよ」
砂浜の空いているところを見つけ、マットとパラソルを用意しながら陽一が言った。

不機嫌にもなるでしょ。どこも混んでるし、新しい水着とサンダルをけなされるし、おまけに女物のビーチサンダルを出してくるなんて。親切のつもりかもしれないが、きっとあれは前の彼女のものに違いない。デリカシーがなさすぎる。
怒りで力が入りすぎたのか、日焼け止めが手のひらにドバっと出た。有美はそのまま全身にたっぷり塗って横になった。

「泳ごうぜ」
「イヤよ、こんな汚い海。それにせっかく塗ったローションが落ちちゃうじゃん」
「泳がないのか?」
「いいの。私は焼きに来たんだもん」
「じゃ、オレひとりで泳ぎに行くぞ」
「どうぞ。あまり沖には行かないでね。溺れたって助けられないから」
やれやれ、と陽一は着ていたTシャツを脱ぎ、裸足になって海辺へと走りだした。

太陽をいっぱい吸収した砂は熱い。アチアチ言いながら跳ねる陽一は、子どものように無邪気でかわいい。
似合わない、と改めて有美は思った。体育会系で野性味溢れる彼と、シミを気にしてUV対策しながら肌を焼く彼女は、周りから見たらすごく不自然だろう。つき合い始めて日の浅いカップル特有の違和感が漂っているに違いない。

それにしても、悪気なくビーチサンダルを出してきた陽一には腹が立つ。いくら過去とはいえ、そんな簡単に割り切れるものではないのに。
そのサンダルの持ち主が、陽一と似た体育会系の子なのを有美は知っている。偶然昔のアルバムで見つけた陽一と元カノは、お揃いのウェットスーツを着て同じ肌の色に灼けていて、有美よりずっと似合いのカップルだった。

一時間ほど経ち、有美の肌はヒリヒリしてきた。日焼け止めをつけても日差しに負けてしまったらしい。健康的な肌色になることもできないなんて。白すぎる自分の肌が恨めしい。

ひとりで焼いていてもつまらない。変な奴がナンパしてくるのもうっとおしい。
誘われたいのは陽一だけなのに。肝心の彼は海と戯れている。
有美は悲しくなってきた。海なんか来なきゃよかったと思った。

ようやく陽一が戻ってきた。潮に濡れた短い髪。すでに春からいろんなスポーツで灼けた肌は褐色で、引き締まった筋肉は無駄がなく、太陽の匂いがしそうだ。

「あーあ、真っ赤になっちゃったな。有美は白いから、海の日差しは強すぎたな。帰るか?」
有美は泣きそうなのを堪え、小さく頷いた。陽一は有美の肩にそっとバスタオルを掛け、マットを片づけ始めた。

悔しい。海が似合わない自分が。彼に似合わない自分が。
趣味じゃない、と避けてしまうことだってできたのに、陽一を好きになってしまったばかりに気がついてしまった。

人工的に飾りたてただけの不健康な自分より、自然体のままの陽一のほうが美しい。ダイエットしたモデル体型なんて貧弱なだけだ。海が似合わない私の体に、陽一は幻滅したかもしれない。

シャワーを浴び帰り支度を済ませ、車のエンジンをかけると陽一はつぶやいた。
「ごめんな。オレが行きたいばっかりに無理に付き合わせちゃって。こんな千葉の海より、有美の水着が映えるようなホテルのプールにすればよかったな」
有美は、陽一に背を向けたまま助手席から外を見ていた。
「でも……嬉しかったんだぜ」
「何が?」振り向かずに返事する。
「海から上がってパラソルまで戻る間、周りの男が皆、有美のこと見てたんだよ。ナンパしてる奴にはムカついたけど」
「それは……陽一がひとりにさせるからじゃない」
「ごめん。だけどちょっと優越感。手足が華奢なのに胸はデカくて、一番セクシーだった。それがオレのモンだって……水着の中も……なんて」

やだ、と有美は思わず振り返った。サンバーンの頬がさらに赤く火照った。陽一は照れ隠しにBGMをかけて歌いだした。有美も一緒にくちずさんだ。
チューブの曲が響き渡る車内はふたりの体温でさらに上昇し、暑い、熱い夏を予感させた。

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