第68回

嫌いな女。

あたしには「嫌いな女」がいない。
正確には、嫌いではないが、あまり接近するとこっちが疲弊する「苦手な女」はいる。

「なんか妙に(存在が)ムカつく」人のことを、世間では「嫌い」と定義するのだろう。
しかしあたしの場合、そのムカつきの正体を確かめたい好奇心が優勢になるので、「好奇心があるってことは、意外と『好き』なんじゃないか?」という結論になってしまう。嫌いは好きの裏返し(笑)

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自分の心をざわつかせる人物とは、自身の「何か」を投影している存在だ。

もしもあなたが「美人で心も美しく人気のある女」(仮にA子とする)にイラっとするならば、それは「本当になりたかった自分の姿」を見せつけられているからだ。自分が手にしていない「美」あるいは「人気」をやすやすと実現している(ように見える)から、A子が妬ましい。
妬みのベースは羨望だ。羨望がこじれている時点で、A子ほど心が美しくはないのだろう。

逆に「だらしないのにモテる女」(仮にB子とする)にムカつくとすれば、それは「隠している本当の自分」をB子に見ているからだ。本当はあなたもだらしないのだが、それを出したら嫌われてしまうと制御している。B子が欠点丸出しのまま愛されていることに、納得できないのだ。
怒りの原因は、自身の正義を否定されたように感じるから。「嫌われるかもしれない」思い込みを払拭できないあなたは、ありのままの自分で愛されているB子が憎くてたまらないのだろう。

「嫌い」の感情は、分解して分析してみれば、別の感情であることがわかる。
あたしは「己を知る」作業のひとつとして、この分析が楽しくてたまらないのだが、多くの人々は、そこまで内観しないらしい。抱く感情を整理しないまま「あの子ムカつく」「あの人嫌いなんだよね」で片づけてしまう。

そして、多数の「内観しない女」たちから、あたしは嫌われる。

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