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高校生時代

いつも温かいご支援ご声援を賜り、誠に有難う御座います。
嶋田祥吾でございます。

前回は中学生時代を振り返りましたので、今回は高校生時代を記載します。

①高校1年生

岡山県津山市に位置する作陽高校に入学。
4月からの入学前の3月に、サッカー部とスーパー特進クラスの双方の合宿があったが、緊張した面持ちで参加した事を覚えている。
入学後は親元を離れて寮生活を開始したが、最初の頃はホームシックになった。

平日は、起床➡朝練習➡授業(7時間)➡夕方練習・自主練習(21時迄)➡自主勉強➡就寝という流れ。
週末は、対外試合や練習、飲食物の買い出し等をした。

授業は6人のクラスであり、予習復習を怠ると付いていけない環境であった。

入学後暫くすると、「サッカーをする為に岡山県に来たのに勉強ばかりしたくない。」と考えるようになっていた。
所属コースの関係上、何よりもサッカー部の練習に1時間遅れて参加する事が嫌だった。

何度も所属コースの変更を申し出ようと考えたが、踏み止まった。
「ここで逃げたら意味が無い。勉強を言い訳にしていては成長はない。」と意識を変えた。

サッカー部は総勢100人を超え3軍まであり、大半の時間を2軍or3軍で過ごす日々であった。
1軍の選手が活躍するインターハイ、選手権の全国大会は応援席から試合を観戦していた。
1軍の選手の練習が終了した後に学校のグランドは使用できるので、下校までの間は自主練習をひたすら実施していた。

②高校2年生

高校生活にも慣れライフワークは掴んでいたが、中弛みの時期であったように思う。
学習面では予習復習を妥協してしまう事が増え、授業中もなかなか集中して取り組めていなかった印象が有る。

サッカー面では、夏のインターハイが終了した段階で初めて1軍に召集をして頂き、練習や試合に参加した。
しかし、数ヶ月が経ち、冬の高校サッカー選手権の1軍メンバーの25名には選出されず、応援席から試合を眺めていた。
高校サッカー選手権は岡山県予選決勝で惜しくも敗退し、その後、忘れられない過酷な冬合宿を経験した。

③高校3年生

最終学年となり、「必ずレギュラーを奪取して、日本一を目指す」と心に決めて迎えた。
副主将、副寮長という役職も拝命した。
インターハイ等の公式戦へ出場させて頂き、2年間の努力が実を結んだ瞬間であった。

そして、迎えた集大成の高校サッカー選手権大会。
全試合フル出場の中、皆の力で岡山県大会を勝ち抜き、無事に全国大会への出場権を得た。

しかし、全国大会前の最後の調整合宿の為、九州遠征へ行った時の事である。
いつものようにレギュラーメンバーとして先発出場していたが、遠征1発目の試合で私のパフォーマンスが全くチームへ機能せず、次の試合からは先発落ちをした。
その事実を受け止めることが出来ずに、不貞腐れた状態で調整合宿中の試合をこなしていた。
案の定、別の選手にレギュラーを奪われる状態となって合宿は終了した。

「自分の歯痒い感情は押し殺し、チームの為に言動をしていく。」と意識を変えた。

その中、夢に見た高校サッカー選手権の国立競技場の芝生を踏んだ瞬間は、嬉し泣きをしていた。
残念ながら選手権の全国大会は3回戦敗退となり、私は2回戦のみの1試合の出場で幕を閉じた。

その後は、大学のセンター試験が控えていた為、勉強漬けの毎日を過ごした。
国公立大学を受験したが、思うような結果を出せず、プロサッカー選手を目指す事、中高の体育免許を取得する事を心に決め、出身地の奈良県に位置する天理大学体育学部への進学を決断した。

次回は大学生時代を記載します。
今回も最後までご覧頂き、誠に有難うございました。


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