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中学生時代

いつも温かいご支援ご声援を賜り、誠に有難う御座います。
嶋田祥吾でございます。

前回は小学生時代を振り返りましたので、今回は中学生時代を記載します。

①中学1年生

奈良県五條市に位置する五條中学校に入学。
大半の生徒が五條小学校出身者であったが、他校からの入学者とも直ぐに仲良くなった。
サッカーは小学生時にお世話になった高田FCでそのまま続けたが、前回にて記載した通り、大怪我によるリハビリ生活を送った。
当面は、整形外科で有名な大阪府の某病院で診療とリハビリを繰り返した。
少しずつ状態が良くなり、夏頃からは毎週土曜日に約2時間かけて母に送迎をしてもらい、リハビリの為、県内某病院へ通院をした。

チームの平日練習には参加していなかった。
平日は、トレーナーから提示されたメニューを自宅で必死に取り組んだ。
なかなか思うような成果が出ずに、何度も復帰を諦めかけたが、日々リハビリを積み重ねた。
遂に冬前にジョギングの許可が出たが、痛みが再発し、悔しくて大泣きした。

これ以上の自宅でのリハビリはメンタル的に厳しかったので、チームの週3回の平日練習に参加し、練習場でリハビリを行うようにした。
練習場でリハビリをする事により、他の選手とのコミュニケーションが取れ、自身のメンタル的も凄く良くなっていった。
怪我をした当初は、サッカーが出来ない姿を他の選手に見せたくない想いが強くあり、練習に参加していなかった事が正直なところである。
ジョギングはまだ開始出来ない状態であったが、回復は順調であった。

②中学2年生

5月頃からジョギングを開始し、前回の反省点を踏まえて、慎重にリハビリを積み重ねた。
それ以降、ボールタッチも可能となり、ようやく復帰も近づいてきた。
夏が終わったと同時に、チームの全体練習に合流する事ができた時の喜びは鮮明に覚えている。

しかし、喜びは束の間の出来事であった。
復帰すると、周りの選手との力量差や自分の身体をイメージ通りに動かす事が出来ない歯痒さに莫大なストレスを抱えた。
焦りや苛立ちがメンタルを支配し、復帰してプレー出来る喜びや感謝すらを忘れ、自暴自棄が続き、サッカーと真剣に向き合う事から逃げていたのが事実である。

③中学3年生

最終学年が始まった中、高校の進路に関する話が家庭内で出ていた。
まだまだ本調子ではない中、色々と考えた。

「県外に出るか?」
「県内に残るか?」

1つ上の親交が強くあった先輩が進学した岡山作陽高校への体験練習会に参加させて頂いた。

これが転機となる。
サッカー部の雰囲気、指導者の熱意、サッカースタイルに感銘を受け、5月頃に既に進学先を決断した。
一切、他の高校への進学の選択肢は思い浮かばなかった。
それまでの大怪我による様々な感情は消え、サッカーに対する取り組みや意識も更に変わった。

夏頃には前回の大怪我の歪みもあり、腰の付け根の剥離骨折をしてしまい、再度の離脱となったが、メンタル的に成長していて難なく乗り越える事が出来た。
度重なる大怪我が相次ぎ、最後の最後までレギュラーの座を奪えずに悔しい気持ちはあったが、特にメンタル的な成長は大きくあったと思う。

学校面では生徒会長を拝命し、先生や友達から沢山の学びを頂いた。
受験勉強に関しては自分に負けそうな誘惑も多々あったが、しっかりと積み重ねる事は出来た様に思う。
卒業式での生徒代表の答辞は、今までの感情が溢れ出し、号泣してしまった事は良い思い出となっている。

卒業式後は、高校の寮生活に向けた準備や事前合宿などに参加し、期待と不安に包まれていた。

次回は高校生時代を記載します。
今回も最後までご覧頂き、誠に有難うございました。

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