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桜のかおり

はいいろの空の下
不思議の明るい朝には
象牙の風のしっとりとした
在りし日の夜桜がよく似合う

漆黒に
湿った土が強く匂い
気まぐれの葉音がすべてをさらい
薄紅の花色が月のあかりにぼぅとする
闇の毒は
私の自我を透明にする

遠くの街を横目で見たり
おぼつかない足取りが小枝を鳴らしたり
貨物自動 トラックの重低音に泣きたくなるような
ゆらめきも
夜の淵の溶けてゆく

思えば桜の花なんて
とても幽かなものだから
徒に薫ることもない
記憶 おぼえる人もいなかろう

けれど
些細なきっかけで
糸が解けてゆくように
そのかおりを思い出す

まるで
走り回った夏の日が
細かな泡と消えゆくように
赤い金魚のおはじきが
ひんやり冷たく甘いように
とるに足らないガラクタや
現の中の白昼夢の
ふわりとしていて
ずっしりとした
透けるような乳白色で
頭蓋骨をも通り越し
脳脊髄液のすみからすみまで染み付いた

そんな香りではないかしら

それは気づかないほどの
わずかな精油
けれど
誰かの微笑みに惹かれた時に
蒸発して
視界をいっぱいにするでしょう


(2020年第58回有島青少年文芸賞作品集掲載)
2024/01/07note再掲
見出し:mage.space使用し作成


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