「またね」がまたね過ぎた。【しまさんの読むRadio】

久しぶりに、読むRadioです。

先日、車を運転しながら、地元のスター、SHISHAMOのアルバム「SHISHAMO 6」を聴いてて、記事に書こうと思いました。


「私が強気な気持ちであること」と「それが強がりだってわかる瞬間」の描写

僕が聴いてて、すごく印象に残った表現がありました。

「またね」って言おうとしてやめたのは
後悔してほしかったから
一年後でもいい 二年後でもいい
いつか私を惜しいと思って
また会いに来てね それまでまたね
ーSHIHAMO 「またね」

当初は太字にしたところが気になっていました。

後悔してほしかったから、私と別れてから後悔して、ほかの子と付き合ってみても不満だらけになってまた会いに来てね、それまでね、とつないでいます。

「あんたのせいで、別れるんだからね」と表面化しない形で、言い換えれば屈折した形で表しています。ようするにフっているつもりで言っているのです。


その前に

私の気持ち どれだけ変わらなくても
あなたが同じ気持ちじゃなきゃ
何の意味もない

と言い放っているので、よりそのように見えます。

※動画は「またね」から始まります。


それが、歌い進むと本音がのぞきます。

あなたの気持ちが薄れていくの気づいてて
最後まで私は 何もできなかった

好きだって言おうとしてやめたのは
これ以上みっともなくなるのが怖くて
言葉に出せない、出しちゃいけない気持ちが
形を変えて溢れてく

※下記の動画は上記のフレーズのところから始まります。


うすうす、あなたが離れていくのを感じていて、でも何もできなかった。

本当は、離れていく中でも「好きだ」って言えればよかったのに、それがみっともなくて言えなかった。

だから強がるよ。


最後のサビの繰り返しが際立ちます。

「またね」って言おうとしてやめたのは
後悔してほしかったから
十年後でもいい ずっと先でもいい
いつか私を惜しいと思って
また会いに来てね それまでまたね


この背景があとからじわじわと感じ取れる内容がすごく興味深いです。

この気持ちを読み取れる表現と、実はそれはただの強がりだったとわかる描写力に相変わらずはまってしまいました。


だけでは終わらないです。笑

「もう恋なんてしない」と「またね」に通じる【つよがり】

あれ?なんかこの感じ、どこかで聞いたような…と思って思い出したのが、槇原敬之氏の「もう恋なんてしない」。

まったく対照的なのに、強がり方がなんか似ている気がしたんですよね。


君がいないと何もできないわけじゃないと
ヤカンを火にかけたけど 紅茶のありかがわからない
ほら朝食も作れたもんね だけどあまりおいしくない
君が作ったのなら文句も思い切り言えたのに

こんな歌いだしから始まる曲なんですけど、こっちはもう「別れた後」ですね。冒頭から強がりまくってます。


最初のサビにも

もし君に 一つだけ 強がりをいえるのなら
もう恋なんてしないなんて 言わないよ絶対

と「強がり」という単語を直接出すくらい。


でも最後には

本当に 本当に 君が大好きだったから
もう恋なんてしないなんて 言わないよ絶対

「大好きだった」し、何もできなかったけど、君とは別れたけど、だから「もう恋なんてしない」のではなく「もう恋なんてしない なんて言わないよ(=恋して君なんか振り返らないもんね)」という強がり。


またね、の一言に含めたこと

どちらの歌にも共通するのは、

・あなたは好きだったけど離れてしまった。
・私(僕)と別れて、後悔したらいいのに。
・でも好きだから、〇〇。

という感じでしょうか。


最後の「〇〇」が、SHISHAMOの場合は「私を惜しんで、また会いに来てね」で、槇原敬之の場合は「もう会わないけど、新しい人とちゃんとゴールするよ」って違いくらい。後ろ向きか前向きか。


「またね。」の一言だけでも、ここまでメッセージって込められるのか、と思ったのと、さらに同じ「またね。」であっても自分が相手に矢印が向いているのか、別の方向に向いているのか、なんていう違いでも変わってくるのかな、なんて。


そんな感じの共通点を感じる、不思議な2曲でした。


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