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青春って、なんだろ。

こんにちは、しまさんです。

中高は全寮制男子校という、普通にはお目にかかれない環境で育ちました。「僕の青春」といわれたら1つ目に「寮生活」、2つ目に「勉強」、3つ目に「野球」4つ目と5つ目がなくて、6つ目にやっと「遊んだこと」と答えるでしょう。「恋愛」?知らんわボケ。

ちなみに母校はコチラ↓(2017年、震災の影響で閉校)

さて、このnoteもよりによって歌にのせて僕の思うことを書きます。今回のテーマは「青春」

書きたくなった理由は、ソフトバンクモバイルのCMで、リーチ・マイケル選手が校長役で出てるやつを見たときに「やべー!↑THE HIGHLAWS↓じゃん!」とぶちあがったから(ただの甲本ヒロト狂ですね)。

【追記】最近、Newバージョンが出たのでそれも貼っておきますね。

全寮制男子校生の「激情のカス」

「男子校全寮制」で過ごしたぼくらにとっては、残念ながらこのハイロウズの青春のワンフレーズ目くらいしかイマイチ理解できないんです。残念ながら。

そのワンフレーズ目というのがこちら↓

冬におぼえた歌を忘れた
ストーブの中 残った石油
ツララのように尖って光る
やがて溶けてく 激情のカス

母校は石油ストーブだったんだけど、購買部でスルメイカ買って焼くのが恒例でした。(それはどうでもいい)

ぼくの学年で作った「青春ってなんだ」っていう動画を高3の送別会で流した記憶がある。その時の「青春とは」の答えは「友情」でした。

いわゆる「青春」の代名詞とも言える「恋愛」は男子校かつ全寮制という外と断絶した世界なのでなかったし、「スポーツ」は正直ほぼ初回敗戦で「青春」って言えるほどガチじゃないし。でも「友情」だけは確かだよね、という流れの動画だったと思います。

あの動画で言う「友情」って、そのままやがて溶けてく「激情のカス」そのものだったんじゃないかな、と今思いました。

あれから、僕は中高の友達にほぼ会ってない。同窓会も結局ほとんど行ってない。彼らの中の「友情」に僕を入れる余裕はなかったようだから、上から「来いよ」とは言うけど、(まあ来たければね)みたいな空気を感じていた。当時は仲良かったけど、まさに当時の「激情のカス」だったんじゃないかな。

青春というのは、ある意味「今が最高!」ということを楽しむことであって、あとから答え合わせするものじゃないな、とも思った。青春とは甲本ヒロトが言ったことそのままかもしれない。

「俺ら同じ釜の飯を食った仲間」
「俺ら男子だけが楽しい」
「俺ら全員寮に住んでて、他とは違う」

こんな感じだったけど、僕にとって

「俺ら同じ釜の飯を食った仲間」→そうなんだへえ
「俺ら男子だけが楽しい」→そうなんだへえ
「俺ら全員寮に住んでて、他とは違う」→そうでもないけどねへえ

だった。まあ、冷めすぎかもしれないけど。

個人的に響く「心のないやさしさは敗に似てる」

僕はいじめられっ子だった。小中と。高校はいじめっ子とも対等になり、闘争の体をなしていたので、ちょっと違う。

ただスクールカーストは非常に強く、僕はほぼ最下層からちょっとずつ上に上り詰めた(とはいえ、スクールカーストが上だった人から認められたから仲間に引き込まれた感じ)だった。

最初にハイロウズの「青春」を聞いたのは中3くらいだったはずなんだけど、当時はだいぶ落ち着いてきていた。さっき書いたフレーズは最近響いたものだが、当時響いたのはこっちだった。

心のないやさしさは
敗北に似てる

グサッと来ましたこれは。

この場合のやさしさはどっちの方向もあって、「やさしくされること」「やさしくすること」も「心のない」ものであればもうそれは「敗北だよ」と。

当時は、やさしさを取引していた気がする。僕も向こうも。対等という関係性の上では、取引することが重要になってくる。そうなると「やさしさ」とはメリットがあるかないかで判断して実行するものとなって、「心のない」ものだったんじゃないかな。

今でこそ、僕は心からやさしさを分けるし分けられることになれたけど、やはり当時は違ったんだな、まさに僕の中高時代は「敗北に似てる」のだったのかもしれない。

僕の最高潮ってイマのはず

最後のフレーズは物語を突然終わらせる。

時間が本当にもう本当に
止まればいいのにな
二人だけで 青空のベンチで
最高潮の時に

倒置しているので、本来は

二人だけで 青空のベンチで
最高潮の時に
時間が本当にもう本当に
止まればいいのにな

となるが、いずれにせよ「好きな子と一緒に二人きりで最高な時間が止まってくれないかな」と言っているわけで、そこでこの主人公の青春物語はぱたりと終わる。この「終わり方」のメッセージって何だろうと思った。

普通ならば、こんな考察になるかなと思う。

ここから先の主人公と"あの子"の関係はそのままどうなったかわからないけど、今は最高潮だし、そこでずっとそのままでいたい、そんな気持ち。切ない。

ただ、僕はこう受け止めてみたい。

「今この瞬間が最高潮だなあ」という気持ちをずっと持っていたい、という甲本ヒロトの希望(または作詞者の真島昌利が伝えたかった甲本ヒロトと最高の瞬間を共有し続けたい、という希望)を最後に伝えたかったのではないのだろうか。そして、「今この瞬間が最高潮だなあ」という気持ちをずっと持っていることが青春なんだよ、ということを伝えたかったのではないのだろうか

彼らはこの曲を書いた2000年にはすでに37歳。いくらタイアップとはいえ、最後のこのフレーズにメッセージがないはずないので、「今この瞬間が最高潮だなあ」という気持ちをずっと持っていることが青春なんだよ、ととらえるのは自然だと思う。

僕自身、改めてこの曲を聴いて感じたことが多かったので、雑記みたいになってしまったのだけれども、まとめてみた。

ハイロウズ「青春」の全歌詞はこちら↓


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