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オールドファッションのドーナッツに教わること

ボクは、ドーナツが好きだ。カラダを気にしないなら毎日朝はドーナツにしたいくらい。笑

その中でも、チョコがちょっとかかった、サックサクのオールドファッションドーナツが好きだ。ミスタードーナツに行っても必ず買うくらいには。

あと、組み合わせるのは抹茶ラテ。ああ、でもミルクたっぷりのロイヤルミルクティーもいいなぁ…。

とまあ、僕が好きな「オールドファッション」が僕に色んなことを感じさせてくれたって話を書こうと思うんだ。

「オールド」だけど「ファッション」

カタカナを英訳するとなんか違和感あるんだよね。「オールド」かつ「ファッション(流行)」。正しくはオールドファッション"ド"で、「昔ながらの」という意味なんだよね。(合ってるかなこれ)

そんなことより、オールドファッションから感じさせられたことを書かなきゃ。

オールドファッションドーナッツは、素朴で、飾らない。味とか食感とかももちろん大好きなんだけど、それ以上に素朴なところが好き。昔ながらの、というところが余計に好き。

そんな「昔ながらだけど今も味わいある」ことを大切にしたいなあと思う。

「オールド」だけど「ファッション」なものを。矛盾かもしれないけど。

僕自身が生まれたお寺も、「昔ながらの建物」だけど今も味わいのある「ファッション」なものかもしれない。もっと言えば、そこに集まるお檀家さんというコミュニティや寄進という文化は、今再度見直されている。それぞれ「コミュニティ」「クラウドファンディング」というカタカナ語になったけども笑

↓お寺の寄付(寄進)の話

↓お檀家さんが大事だよって話

ここではあくまでお寺の話にしているけど、実は僕が続けている趣味もそうかもしれない。

写真はかれこれ10年以上撮り続けているけど、写真の技術自体は昔から変わらない。結局はタイミングと切り取る画角をどうデザインするかが重要だ。

どんなに技術革新があって、画素数が上がって、どんなにズームインできても、基礎の基礎は何一つ変わらないし、もっといえばちゃっちいトイカメラでも芸術作品のような写真は十分撮れる(撮ったことがあるから自信をもって言おう)。

だから、「昔ながらだけど今も味わいある」ことを大切にしたいなあと思う。「オールド」だけど「ファッション」なものを大切にしていきたい。

それは、趣味とかものとかに限らず、感情とか人と人の交流とかも一緒だと思うんですよね。

「オールド」な恋愛はもう終わりなのかな?

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最近感じていることを言おう。

現代の恋愛は、「この人に憧れて、好きになる」、という行為自体が否定されている気が、僕にはしているんだ。

何だろう、巷に聞く「恋愛テク」とか「ラブ理論」とか「恋愛工学」とか「モテ」とか、攻略法ばかりが前面にある。何もかもが効率勝負みたいになっている。数のKPIばかりを追っている。ヤルかヤラナイかみたいな話ばっかり聞く。(偏見かな笑)

ダメなんですか?そんなに交際経験ないオトコがキモイですか?モテないやつはクズですか?生きる価値無しですか?

とまあ半ばキレてるんだけども。笑

もちろん、そういうテクを学んでないワケではないし、必要に応じて使う。異性が喜ぶことって何だろうか、をベースとして知るのはいい。ただ、恋愛まで「ハック」づくしで何が楽しいんですか?

最近聞いた曲に、backnumberの「オールドファッション」っていう曲がある。ドラマ「大恋愛」のテーマ曲にもなっている。(改めて聞くとタイトルそのまますぎて。。。)

この歌詞には、「この人に憧れて、好きになる」ことを肯定された気がしたんだよね。以下歌詞。

単純なことなんだきっと
比べるまでもないよ
僕に足りないものを全部
君がもちあわせてたんだ
悲しくなるくらい
ああ それを今数えてたところだよ

もちろん、偶然の出会いを否定しない。むしろ偶然で生まれた出会いも祝福したい。
でも、こうやって僕が憧れて、君は僕の足りないものを持っているからいいな、と言いきれる信頼関係からできる、憧れから生まれる恋愛もいい。

僕はずっと、まるで小説のような、もっと具体的に言えば「君の膵臓を食べたい」の、ずっとひっこみがちだった”ぼく”を連れ出した”山内桜良”のような、「僕に足りないものを全部君がもちあわせてた」ような、そういう人にあこがれて、好きになっていた。

そんな「オールド」な恋愛を、おかしいと否定されているかのように感じる現代の自由恋愛ってどうなんだろう?そんなにハックしなきゃいけないくらい効率化しなきゃいけないのだろうか?突然の「好き」はただの迷惑なのだろうか?

(完全に拗らせてるんだけど、知ったことじゃないですね)

そう思うと、「オールドな恋愛」も認められて、もっといえば「そういうのもいいよね、ファッショナブルなものだよ」といわれるようになって、初めて「自由」と語られるべきだと思う。唯一解なんてないはずの社会に唯一解を作るほうがバカ丸出しだ。

もう一度言いなおそう。感情とか人と人の交流とかも「昔ながらだけど今も味わいある」ことを大切にしたいなあと思う。「純粋なのはキモイ」を終わらせよう。「オールド」だけど「ファッション」なものを、見直そうじゃないか。認めようじゃないか。

そんなことを「オールドファッション」に感じさせられている気がした。

最後にもう一度。

サックサクのオールドファッションドーナツが好きだ。

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