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061.映画とその周辺/池波正太郎生誕100年「仕掛人・藤枝梅安」

私は一応、自分のことをフェミニストだと思っておりまして、そんな私も実は、ツッコミどころ満載ですけど池波正太郎さんのファンなんですよね。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人 藤枝梅安」はもちろん全部読んだし、その他の単発作品やエッセイもほぼ読んでます。
TVドラマも、吉右衛門さんの「鬼平犯科帳」や渡辺謙さんの「梅安」を見ています。藤田まことさんの「剣客商売」と岸谷五朗さんの「梅安」はイマイチ配役が気に入らないのであまり見てません。
今日はBSで池波先生の生誕100年記念作品の「仕掛人・藤枝梅安 第一部」をやっていたので拝見しました。幸四郎さんの「鬼平」がもうすぐ封切りなのでそれの宣伝ですよね。

実写化はどうしても役者さんの好みがあるので難しいですね。トヨエツの梅安はいい感じですが、愛之助さんの彦さんはキリっとしすぎなような。おもん役ももっと好きものっぽくて愛嬌のある人のが良かった。ドラマの美保純さんはハマってた。友五郎の早乙女太一さんは好みです。あと板尾さん、イヤラシイ悪役がピッタリ!高畑淳子さんも良かった。
最近の役者さんは、みんな若くてキレイだから時代劇に合う人が少ないような気がする。いろんな説得力が消滅してお芝居にハリボテ感が出てしまうような…。

池波さんの本はリズムがよくて、緩急あるのがいいのに、映画は100周年と銘打っていて気合が入っているからか、なんだか勿体ぶってる感じがした。裏稼業と表の生活のメリハリももっとあっても良かったような。ドラマと映画では演出法が違うのかもしれないけど。もとは娯楽小説なのだから変にシリアスな文芸大作にしなくていいと思う。
彦さんのお豆腐好きと、年越し蕎麦は出てきましたね。「起こり」や「蔓」など独自用語とともに、美味しそうな食事シーンも池波作品の魅力。高価なものや希少なものでなく、日常生活の中での美味しい食事がいいんですよね。

池波作品の娯楽時代小説の世界と、現代の道徳感との乖離が大きくなって、ドラマや映画にしようとするとどうしても脚色(?)改変(?)しないといけなくなって難しいのかな、とも思う。ファンだという私も、今読むと「それはないわな〜」という記述(オジサンに都合のいい楽しいシーン)に引っ掛かることも出てきたし。


生誕100年の記念作品は「梅安」と「鬼平」だそうで。吉右衛門さんの「鬼平犯科帳」は、配役がみなピタリとハマっていてとても良かった。うさ忠の尾美としのりさんや密偵おまさの梶芽衣子さん、彦十の猫八さん等々、上げていけばキリがないですよね。私は伊三次が好きでした。ハマり過ぎているから変えられなくて最後の方はおじいさんとおばあさんばかりの出演になっていたのはなんとも言えなかったですが。
エンディングがジプシーキングスの曲で(「ジョビジョバ」がとても流行って、ウチにもアルバムがありました)、ラテンなのに物悲しくてピッタリでしたよね。

吉右衛門さんが鬼平を卒業なさった後は、私は密かに次の鬼平は十三代目團十郎さんが良いのではないかと思っていた。若い時にグレていたとか、残酷な拷問もやってのけるとかのイメージも合うし、迫力あって、サッパリしていて。だけれども結局、松本幸四郎さんだ。幸四郎さんはもっと洒落た芸術家っぽい役の方が似合うと思うんだけど、吉右衛門さんの甥っ子だから仕方ない。歌舞伎の世界はこーゆー感じ。

池波正太郎さんは歌舞伎の脚本も書かれていて、歌舞伎座で「出刃打お玉」の一場面を見た記憶がある。チケット購入時は知らなくて、海老蔵さん(当時)の「紅葉狩」目当てで行って(妹の市川ぼたんさんも出演された珍しい回)、番附で気付いて池波正太郎の歌舞伎があるんだ!と驚いたのだった。おぼこの少女が貧しくて身売りしてオヤジに手籠にされるという悲しい場面で池波先生のイヤラシサが炸裂していた。
「剣客商売」の秋山小兵衛は、歌舞伎役者の二代目中村又五郎さんがモデルだそうで、だから藤田まことさんや北大路欣也さんだと違和感なんですよね。堺正章さんや橋爪功さんなんかがイメージなんですけど。

前の仕事では東京出張が多くて、池波小説の中に出てくる地を歩くのが楽しかった。台東区の図書館に「池波正太郎記念文庫」があって、小説に出てくるゆかりの地のMAPが見られた。書斎も再現されていて、ここで書かれていたのか!という感慨がありました。

映画やグルメ、旅行のエッセイもかなり出されているので、お茶の水の山の上ホテルとか、銀座とか、現代の東京もわくわくしながら歩けた思い出です。

「人は悪いことをしながら良いことをし、良いことをしながら悪いことをする」という、池波小説に大きく流れるテーマを、些細な失敗も見逃さずに糾弾する現代のSNS世界に棲まう人々はどう考えるんでしょうね。

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