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20210721-0722 突発旅(生駒)

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労。長めの研修が終わった。受講生の立場になるともりもりのびのび質問できていい。質問一つ一つが(「どの役職として、どのチームとして、どんな質問をするのか」という)ポジショントークになってしまうような仕事がつづいていて、すこし疲れていたのかもしれない。

残業しながらぽつぽつ先輩と話した。4連休は帰省するそうで、ああそういえば明日から4連休でしたね、どうしよう、まあ近所をふらついて過ごしますと返す。帰省は思いつきもしなかった。

おばあさんが体を悪くして入院していて、当然都会から帰省しても面会できないんだけど、だからこそ帰省すると言っていた。

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洗濯をしたらいつもの着る服がなくなってしまった。今年初めてのショートパンツを履き、出掛けます。まだ朝なのに暑熱がすごい。

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バスに乗って名古屋の臨海部をゆく、このエリアが一番暑いのですね。海風がアスファルトで加熱されドライヤーのように吹き渡る。潮の香りにむせそうになりながら、

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ポンポさんを見に来たぞ!上映回数がだんだん減ってきているから、行けるうちにと。入ってみるともうほぼ満席でびっくりしました。

結果、良かったですねえ。先月1回目にみたときには、アニメの伝えたいエッセンス、メッセージに完璧に共鳴させられて、画面も見えんくらい興奮していた節がある。2回目の今回はその種のカタルシスは良い意味で緩和されて、絵作りのうまさ、構成の端正さをひたすら味わうことができました。感想はまた書くようにしましょう。

このコロナワールドという複合施設、自分の地元の近くにもあったんだけど、まあ不運な名前だなあと思ってしまう。ずっと親しんできた名前の語感や意味が、時流によってネガティブに塗り替えられてしまう体験は想像するだにつらい。
でも、そういう私の想像をよそに、この施設の中ではコロナの湯とかコロナパークとかコロナ飯とかごく普通に(たぶんほぼ反骨精神とかもなしに)使い続けられていて、この無頓着さがこのましい。
日常使いする人々にとっては、たぶんコロナって耳にしたら疫病だけでなく湯舟とか映画館とかUFOキャッチャーやパチンコも想起されるんだろうな。巷にあふれるこのワードのつよい毒気も、そういうひとびとにはだいぶ効き目がうすいんだろうな、と想像する。

屋外に出ると、またあの高温の海風が吹き渡る。水辺だからかえって平均湿度が高くなっているのかもしれない。街路樹の影を飛び石のように歩くけど、サンダルの底がアスファルトにへばりつくんじゃないかと思う。

ほうほうの体で入ったのがこちら。

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トラディショナル・喫茶店スタイルのコク深いコーヒーだけどちょっと驚くくらい香りが込められている。美味しい。ピザトーストもシンプルだけどサラミが美味い。こてこてのナゴヤイントネーションの会話に囲まれつつしばらく休んで、駅まで歩いて・・・

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奈良方面行きの切符を買っていました・・・。近鉄の路線網が広すぎるのがいけない。日を改めようかとも思ったけど、こういうときに丁度よく、トートバッグにモバイルバッテリも文庫本も準備していて、また時間を調べればちょうど夕陽の見れる時間に着けそうで、迷う暇なく旅行モードになりました。

生駒へ

近鉄で名古屋~関西に抜けるのは3年ぶりくらいです。私鉄なのに学割が効くということで帰省ルートに組み込んだものの、ほとんど全行程爆睡していて気づいたら大阪府に入っていました。今回はその爆睡区間のリベンジでもある。

桑名まで。愛知・三重県境のエリア、地理の授業でなら輪中とか習てたところのもうすこし海岸よりの低地を走る。無数の水路をまたぎながら線路が伸びている。

ロングシートで横長の車窓を眺めるのが好きです。日射しが暑いと日向側に座った人はみなシェードを下げてしまう、もったいない。といいつつ日焼け止めを追加で塗り重ねる。

車窓をみつつ、映画のことを考えて、あと時々本を読んでだらだら乗り続けるのがどうしようもなく性にあっている。読んでいたのはこちら;

今回はこれがお供です。

車窓

同じ頃別のところを旅していたフォロワーさんも言っていたのですが、

これはかなり同意です。
夏の旅ってずっと、しっかり窓を閉めて、ローカル線車両特有の手加減のない冷風に吹きまくられて、停車してドアが開くたび熱風で陽炎が立つ、この温度サイクルで記憶している。これも風情はあるんですけど、普通に体調を崩すんですよね…。初上京のとき、山陽線をのぼってきて京都あたりで完全にやられて、夜のベンチで葛根湯飲み込んでぶるぶる震えていた、ひどい記憶がある。

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今は感染対策としてうっすら窓が開いている。クーラーもついているんだけど弱冷房車くらいの塩梅で、まあ汗はじんわりでるんだけどそう気になりません。山間部に入ると夏の蒸せるような草木の臭いが車内に充満してクラクラするくらい気持ちいいんですよね。

そして面白いのがセミの声です。
森のセミの面音源に突っ込んで、向かってくるセミの声・去っていくセミの声がドップラー効果で丁度同じ周波数だけ上下にシフトしている、こんなノイジーな和音があるのか…。しかも林の中を通る間ずっとこの和音がテヌートで続く。ちょっとすごい音響体験ですよ。

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…とか思っているうちに名張。ここで伊賀の山はだいたい終わり、トンネルを通って奈良盆地に入る。
古墳あるかなーと見渡すものの、どれが山でどれが屋敷林でどれが古墳だかわからない。ただ頑丈な切妻の低い家並みがぽつぽつとすぎていく。

ポンポさんの感想をぽつぽつメモりながらすすむ。

到着

大和八木の十字交差で乗り換え、大和西大寺で乗り換え、とジグザに行って、目的地だった生駒です。

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生駒。私の高校時代にへばりつき、大学観をゆがめてくれた、作家森見登美彦氏の生誕地がここでした。それで、氏の『ペンギン・ハイウェイ』でも、アオヤマくんとお姉さんが山向こうの海に向かおうとしたシーンで、この生駒の線路は印象づいていました(あっちはたぶんけいはんな線なんだけど、まあ同じ山をぬけるだいたい同じ線路ということで…。)なので今回の旅の目的は生駒に行くというよりも、夏の生駒を鉄道で抜けるというものでありました。

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果たして。生駒のトンネルを抜けた先の石切駅、なんということもない無人駅で、あああっけなかったな、でも生駒駅の山麓の雰囲気は良いな、帰りの時間は間に合うかな、とふらふら駅前を歩いてそのまま折返そうとしたら

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この景色でした。展望台とかじゃないんですよ!ただの駅前駐車場でこの眺望です。

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東大阪の低層住宅群も梅田の摩天楼もはっきり見える。眼下から吹き上げる夕方の風も気持ちよく、ほとんど呆然としてしまった。部活帰りの高校生とか買い物のお母さんとか何ということもなく通り過ぎていく。あっつい陽射しがじゃっかん柔らかい表情を見せつつある。

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だからひとり旅がだいすきなんだなあ。何があるかわからない、期待はずれの可能性もぜんぜんある、博打みたいな工程を自己責任で組んで、たまにこういう大当たりを引いちゃう。
この当たりも個人的値付けであって、そこに住んでる人たちにはなんでもないことがらに、勝手に高値を見出して興奮する。値付け方がぜんぜん違う人々と線路を通じて一瞬だけ交差する(でたぶんもう一生会わない、今生の別れになるのです。)

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帰路

生駒に戻り、柿の葉すしを買い、特急を乗り継いで帰りました。大和郡山あたりから生駒をみやると、稜線にちょうど日が沈むところだった。奈良盆地ではこの時点をもって日暮れだけど、大阪の家並みはもう少し日射に耐えているのだろう。

難波発名古屋行のアーバンライナーには自分以外に4,5人くらい乗っている。夜の山を抜けるなか、隣の席の人はずっとペンタブで二次創作イラストを描いていた。

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柿の葉すしとチューハイを一口ずつつまみながら、読み終わりました。阿佐ヶ谷姉妹エッセイ。いやあ良かった。なにがいいって、読み終わる頃にはあの二人の区別がはっきりつくようになっているところ!同じ生活をそれぞれの全然違う視点でキュートに描かれて、このエッセイ集を読みきってしまえば、もうエリコさん・ミホさんを間違えることはありえない。解像度がバキバキに上がる快感がある。このふたりを弁別できるようになるということだけではなく、町にいる中高年のひとびとの生活の機微について新たなレンズを持てるようになるという意味も込めています。彼女らの穏やかなファッションや、一方スーパーでの鬼気迫る立ち回り、おしゃべりの内容、そのそれぞれに少し愛着が持てるようになる。
交わらないひとびとのことを、理解できるとは言わないけど、少なくとも知れる。旅にもこの感覚がある。

彼女らは本物の姉妹以上に仲睦まじい(姉妹というのはただの芸名なんだそう)んだけど、安易に互いの生活に踏み込まない、絶妙なバランスで日々が愛おしく綴られている。

エッセイの最後、ちょうど姉妹の同居していた部屋の隣人が引っ越して、せっかくだからと2部屋別居に入るところで終わる。二人の生活にあらためて線が引き直されて、ゆるっと断絶して、読者としてはノスタルジックになってしまうのだけど、でも彼女らは実際ひょうひょうと仲良くし続けることができる。
「仲が良い」という表現に含まれる絶妙な距離感、絶妙な不可侵さを体現しているなと思った。

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特急は名古屋のターミナルに着いて旅終了です。良かったね。

(…エッセイ、関係性のおたくとしてはけっこ〜〜〜狂いそう!!!(ポジティブな意味で)な描写がてんこ盛りだったんですが、なんかこの文章がいいかんじにしっとりしたテンションで終わりつつあるので、そこはまた今度書きますね。たぶん。阿佐ヶ谷姉妹のエッセイ、まじで読んだほうがいいですよ。)

(阿佐ヶ谷姉妹もそうだし、内田百間とかもそうだけど、良いエッセイの条件は良い他人と交わす良い会話が含まれることなのかな、と思いました。この日記には他人が全く登場しない、コミュニケーションが不足している…とうっすら焦りはじめ、この冒頭に職場の先輩を登場させたふしがあります。今後、レギュラー登場人物になるかもしれません、先輩。)







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