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20230602 話

労働をたおした!
豪雨のなか・・・

https://twitter.com/kyaneetokyo/status/1664239939117252617?s=20

平日夜の国産ポップスパーティ。DJ GIRLFRIENDさん/Kyaneeさん/とびっぴいさんが約1年前に立ち上げ、ようやく今回赴けました。
「心地よく、刺激的な平日夕方を!」をテーマにしていて本当に良いんだ。


良かった。良すぎて、とにかく人と話しあった。
というと音楽無視のようになるのですが、いえその通りなのですが、でも本当に好い音楽が流れ続けていたからこの会話が成り立ったと思っており。

備忘です。
わたしがその話をどう聴いたのかの記録なのであって、本人らがお話したこととはもとより違うはずですので、その点、すみません。

話1

入ったときにkakiさんと会い、横見たら、岩壁・みんなのきもちsommer edition以来のMatsuさんがいておどろいた。
みんなのきもち良かったですね、の話題から、彼が参加していたプライベートレイヴの話から、「人を害さない」スタンスの人が集まっていたこと、みんなのきもちもその世代の価値観であることを聞いた。
そのスタンスが共通項になるのって稀有だなと思った。すなわち、このスタンスをある程度ミュートすることで社会って成り立っているから。というと、このスタンスはそれをしない消極的な感じに聞こえてしまうのだけど、私がいいたいのは、それはとても積極的な価値であるということ。積極的価値として、人を害さないことが価値になっている。

人を害さないために閉鎖的にする必要がある、わかる。他方で、閉鎖的にすると先鋭化しがちなんだけど、彼らの害さないスタンスのおかげで、そのおそれはないんだ、と思った。彼はすこし懐疑的な表情だったけど、そうだと思う。

酔ったDJ GIRLFRIENDさんが会話に割り込んできた。彼のいう、札幌のシーンを発見することが重要だなと思った。オリエンタリズムに陥らずにそれをやるのってとても難しい微妙な作業だと思うから。彼が流れていったあと、話の続きですが、と戻してくれたのが、嬉しかった。クラブの会話って、もっとふわり散発的なことが多いから、こう続けて話せる場は、そう多くないんですよね。

DJ GIRLFRIENDさんやKyaneeさんが企画するパーティの、取り残さないスタンスが好ましいということも話した。
クラブは規模が大きくなると、目が届かなくなりがちであって、だからクラブではしばしば性暴力が蔓延している(あるいは常に蔓延していたことがようやく目に見え始めている)わけだけど、そういう問題についてずっと考えているひとびとであるところも、本当に偉いとか。
私は札幌の鮮やかなダンスで、彼らが通報用のフォームをしっかり展開してつくっていたことを思い出す。
かんがえていて、かつそれを実装する力を持つ人々だと思う。

他のパーティ(レイヴ的スタンスのあるもの)についても話した。たとえば工場地帯のDK sound。rural, The Labyrinth。RDCの隔てなく踊りをやり続ける思想のことなど。それを真剣に運営しているひとびとがいる。あの規模になっても。なるほどな。だから、ごく次世代の音好きも、ベテランのパーティ野郎も、みんな思想のもとに集まってくるんだな。

The Labyrinth やMETAMORPHOSE のようなイベントも再開してきているとのこと。往年の、英国80,90年台のレイヴカルチャーを追体験したいとのこと。閉鎖的に花開いて、ドラッグや商業に取り込まれて衰退したカルチャー、時代は変わってもう正確に追うことはできないにしても、レイヴに通うことで、どのようなムーブがあったのかを体感したいという話。
そのような目的意識を持って音の場に通う人だとは思っていなかったから意外だった。つまり、アクターとして・ないしはカルチャーを体現するひととしてやっていると思っていたから、そのようなフィールドワーク的な、なんというか私に近い意識を持っているとは思わなかったというか。

いい良い方ではないんだけど、と前置きしながら、クィアの人々や、トランスジェンダーの人々が集まってシーンが動いていた、あの時の空気を知りたい、とも。

どのようなひとびとが集まる場なのか、というのを私は考えていた。
それぞれのパーティが、どのようなひとびとから成るのか。

話2

ギネスビールを追加した。
もうひとり見慣れた、Future recordさんと話した。


音楽がただ好きな人のための場所として、つまり、すごい真剣な場所としてクラブを捉えているから、このパーティの主催が好きで、というような趣旨のことを言っていたと思う。例えば初心者を排除しないこととか。

でも私にとっては、彼が主催しているパーティThe Atticもそのような感慨を起こさせるようなものだったから、聞いてみると、
音楽をただ聞きたいだけ、特に話したいわけではないような人も居て大丈夫なような、取り残さないようなパーティを意図しているというようなことを言っていた。

(これはThe Attic良かったねのnote)

https://note.com/shima_nami/n/n086da85bc366

またもうひとつのパーティ、VRizeについても話にあがった。デカパーティになったけど、原点としてあるのは、VTuber楽曲をきっかけにクラブミュージックを聴く体験の魅力なんだと言う。だから、平日夜に、これまで現場に立ったことがないけどクラブミュージックを掘っているような層をフックアップして、VRizeOriginを開催しているとのこと。


偉いなあ。

自分の大事な人が大事に過ごしてくれていればいい、ヒップホップのスタンスが根にあると聞いた。
Crewだなと思った。

で、それらを、できれば心地のいい場所でやっていくんだ、という。それがAnothereDimensionであるし、茶箱であったりする。

コロナの間のことを思い出した。(この飛躍の言い訳;なぜ思い出したんだっけ、ええと、この日記を書きつつ、この語り部のような作業をしながら、『カフェシェヘラザード』の主人公の同じような作業を思い出し、日記を中断して読み進んで、ベランダからみおろす東京の景色とは真逆に、あまりに手触りのある疎外と孤独をはらんだシベリアを目の前に想像して、でもこの孤独、疎外って、コロナの2020年のわたしも感じていたじゃないか、と久々思い出して、『コロナの時代の僕ら』を読み返したわけだった。それでこの日記に戻ってきた)

あの1年、大学の1年は、本当に苦しく考え続けていたんだ。自分の状況、他人の状況、社会の状況。そのうえで、自分の行動を、ひとつの意味で責任感を持って、決めつづけて、その中で自分の倫理をないがしろにする決断というか決定も下したにがい記憶もあって、とにかく奪われるものたちに対して向き合っていたんだ。これは美化ではなく、そうだったんだ。

この向き合いの時間を持っていたかどうかが、Matsuさんと話していた、あの「世代性」(があるとするならばだけど)の有無の分水嶺ではないのかな、と思う。つまり、状況が悪化する中で、それに組織人として何も抗しえずおしながされていく人々(職場の老人たちのことを念頭に置いています)ではなくて、考えることをやっていた(考える時間があって、考えたうえで行動するかどうかを決める状況にあった・すなわちクラブのような趣味を持っていてしまった)ひとびとに共通の、感性は、あったんじゃないかと思います。
つまり、何かをわたしたちは決めなくてはいけなくて、それは世界に影響することで、わたしたちがどう決めるかによって世界は好転するし悪化する、そういう状況に確かに居たし、いまも居るんだ(少し間違えばわれわれは人を傷つけるんだ)という意識が、共通していて、たとえばMatsuさんが言っていたようなレイヴの下地のひとつになっているのではないのかな、と思う。

でもこういう考えこみとかをミュートすることで、社会はとても円滑に回る。つまり、ドアを開けた先、クラブの外側の世界は、そうやって能率的に回るようにできているんだけど・・・

あ、このクラブのドアを開けた外側は別世界だぜ、みたいなアジテーション、だれかがやっていたな。デジャブだろうか。上の文章を撃ち込んだとき、なぜか、クラブエイジアの光景がフラッシュバックしたんだけど。
コロナの間のいつかのパーティではなかったか。

他にも、この前のつくばの野外パーティで会えたラクトアイスさんをお見掛けした。あのパーティもとても良かったのです。クラブと町を仕切る壁がなくて、半透膜を分子が行き来するように、オタクも町の家族も、踊手見たり出て行ってみたりしてて。あるべき世界のひとつでは、と感じたことを話し合ったりした。
またDIYの話をしたりした。三条や燕のまちの良さ、DIYの舞台となるに値する、なにかを手作りしつづけるマインドがとても良くて・・みたいなことは話あえたな。いざDIYの話をしよう、という態勢になると、どもっちゃって難儀しますね。文章をしっかり書きます。
彼とは今度秋に開催されるガッコウレイヴでまた会える予定。これも作り上げる体験だから大変楽しみ。

あ!参加者まだまだ募集しているようなので一緒にイベントつくってみましょう。自分も初心ですが頑張ります。


これだけ話せる場というのはなかなか無かった。それも、ダンスミュージックの話であったり、アニメの話であったり、流れている曲とは直接に関係しないことばかりで、数時間話続けてしまえたんだ。

なにが起きていたんだろう、と思うに、まず箱の雰囲気、また来ているひとびとの好ましさ、などが作用しているのはもちろんなのですが、
音を身体にぶつけて踊りを発生させるダンスミュージックでも、またこもった物語を頭に再生させて高まらせるアニソンでもない、「国産ポップス」たちがかかっていたおかげ、というのもあるのではないかと今思っています。こじつけっぽいけど。

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