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20210923 川

祝日。天気予報は最高30℃。洗濯をやりきり、だらーっとGoogleMapをみて寝転んでいて、そうだ川の合流地点を見に行こうと思い立ちました。

社会科で習った木曽川揖斐川長良川、そして輪中や低湿地、おのれの目で確認しにいきたくなりました。

名古屋駅から西向こうの土地勘を高めたいのがひとつ、これ(↓)に触発されたのがひとつ。

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奮発して腹ごしらえをする。運動前に食うとよいとされている。

伏見の駅ででらチャリというものを借ります。電動アシストはないものの一日500円というのが格安。他にも貸自転車はあるものの、中距離移動に合う値段設定、あとすーっと乗れそうな比較的大径ホイールということでこのサービスを選びました。

徒歩や電車と違い、原則移動中に地図をリアルタイムで確認できない。高速道路に沿って西進すればいいのか、とざっくり頭に入れて、

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線路に阻まれたり、陸橋に阻まれたり・・・そのたびに自転車を抱えて歩道橋を上下する。こんなしんどいルートだったとは。地図ではわからない。

うんざりしてきたけど名古屋市域を出たあたりからいい景色になってくる。水路が縦横に走っているのは航空写真で見た通り。しかしこんなに水面が近い。

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行程が遅れていて、写真もそれほど取らずに走っていたものの、家屋の基礎がどれも0.5mくらい高く盛ってあるのはおもしろいなあと見てました。旧家屋はもちろん、新築のものでもやっぱり盛り土をしているようである。そして本当にひたすら平たい、わずかな微高地に家が集まっている。このへん一面海だったんだなあ。

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口ずさむのはこれでした。くわなのとのさまの心意気。

道の駅によったものの閉店時間が早まっていてかなしい。そのまま漕ぐことになる。

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最後の上り坂、木曽川の巨大な堤防を越える橋がしんどい。ようやく目的地です。ひたすら広い。向こうに鈴鹿や御在所の山が望まれる。

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幅広い水面、一瞬陸地をまたぎ、また川、一瞬陸地、そして川。このくらいの大小関係で3つの川が交わっているのか。とんでもない水量だ。ちょっとあふれたら周辺陸地はひとたまりもないな、と想像するし、実際そうやってあふれてならしてというサイクルで、ここまで漕いできた土地土地がかたちづくられてきたんだなあと振り返る。



そしてこのほっそい陸地の上を大量のトラックが往来している。この橋が東西の生命線のひとつになっている。


日が暮れ始めている。来るまでも大変だったのに、ここから暗闇の中同じ道をトレースする羽目になるとかなわない、ということでもう滞在せずにとんぼ返りしました。本当は治水神社に行ったりしたかったんだけど…

とにかく来るときに見かけた看板とか道の形を頼りに、信号で止まったらマップを見て、ひたすら最大ギアで立ち漕ぎをし続けて、ジュースを買う暇も惜しく、街灯のあるエリアまで戻りきるのを目指す。

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これはなにか道中のものを撮りたかったんだろうけどわからない。疾走感がすごい。

なんとか名古屋市内までもどってきました。ひとまず安心です。本当に疲れた。

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帰宅。豚肉と豆腐をがつがつに炒めて掻きこみ、反動で腹痛をもよおし、かなりしんどい状態で明日の出勤に向けて床につき・・・しかし明日は金曜日なのが最高ですね。


木曜日に休みをいれ、疲労困憊で出社して、また土曜日の休みというのはこれからもやってみたいな。

総括

・地図

全般的に地理が頭に入るのがいいですね。

平たい町を歩き回るのとは違って、どの橋でどの川を渡るかを常に頭にいれておかないと走れない。川の名前と橋の名前をまとめてランドマークにして頭にいれておく必要がある。ぼんやり走り回れないけど暗記はすすみますね。堀川、庄内川、蟹江川、・・・と地図上では目をつけていなかった川同士のならびもわかった。

あととにかく道がふとく、かつ交通量も多いから、横断歩道を適切に狙って渡るスキルも要求されるようです。横断歩道同士の間隔が長い(悪い場合だとせいぜい歩道橋しかない)。川と道路で縦横に分断されていて、徒歩や自転車で暮らすには結構コツが要るらしい。

往路では気づかなかったこと:名古屋駅から栄にかけてゆるやかな上り坂になっていること。そういえばここも古地図だと海に突き出した岬になっていた。水の気配にあふれた都市だ。

・自然

ヤバい自然を前におびえるのがやっぱりすきなのかもしれない。
たとえば新潟親不知のおそろしい断崖とか、青森風間浦の荒涼とした海辺とか、阿蘇大橋の数十メートルの渓谷とか。
こういう圧倒的景色におびえつつ、しかし分厚いコンクリで練り固めてたりバカでかい橋脚で乗り越えてたりするのを眺めて、もし自然が本気を出したらひとたまりもないのは承知のうえで、手持ちのエンジニアリングを動員して対抗している営みの膨大さにも感嘆する、というようなこころの動きが好きらしい。
数世紀たてばまた元通り石と砂に帰ってしまうんだろうけど、いまぎりぎりこうやって平衡を保っているそういう瞬間に立ち会えていることが稀有だなと感じるようです。やっぱり人間、なんだかんだ偉いな…





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