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雪のち晴れ、午後より大気が不安定になり、夕方から雷雨となるでしょう

目をあけると、あたりは雪だった。

アラン編みの白いセータを着て、首に菜の花色のマフラーを巻いて、足首まで届くダウンコートで身を包んだわたしは、おびただしい雪で消滅した道を見ている。
おとといまでは桜が栄華を極めていたのに、昨日までは向日葵が世界を見下していたのに、今朝までは狐の尻尾のようなススキが手招きをしていたのに、たかだか30分の昼寝のつもりが3ヶ月も眠ってしまったのだろうか。

跡形もない坂を下る。透明な橋を渡る。信号も街角も、人も人影もない雪道は方向を示さないので、歩けども歩けども目的地に辿りつかない。
そういえばわたしの目的地はどこだったのだろう?そもそもなぜ歩いているのだろう?記憶の海に潜り、何かを思い出そうと目を閉じたところで首尾よく、〈夢から覚めた夢〉から覚める。

そして、開かれたわたしの目にむかい、UNICEFのカレンダーが告げる ─ 5月15日。

「今日は何曜日?」と、今日も娘が訊いてくるだろう。彼女も疾うに、日にちと曜日の感覚を失っている。母に至っては、ときどき自分の居場所を忘れてしまう。そろそろ日本に帰りたい、と片言の英語でいうあたり、彼女は30年前に滞在したケベックあたりにいるのかもしれない。

雑木林に面した北の窓が、あまねく翡翠色に染まっている。世界は儚いセロファン紙のようだ、と思う心は、それを丸めてくしゃくしゃにするところを同時に想像する。

今日は、週に2回の出勤日で、胸は早鐘こそ打たないが生ぬるい風が吹いている。
バッグをひらき、予備のマスクを確認して、ハンカチ2枚、いや3枚にしようと急遽1枚追加、除菌ジェルのボトルを逆さにして残量を確かめる。ハンカチを3枚持つ必要性への根拠はない。3日前は2枚持って出て、 何となく心配だった、ただそれだけのこと。
バッグを閉じて、芥川龍之介の『或旧友へ送る手記』の中にある一行、「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」についてひとしきり考える 。

定期的に遠隔操作で確認する職場の留守番電話には、難民許可申請者やビザの問題を抱える人たちからのメッセージが多数入っている。たいがいは要領を得ず、肝心な電話番号も残されておらず、ピッという発信音のあと、20秒分の濃い不安の気配があるばかりだ。
声色は、記憶の底に沈む人を、今日の彼女に引き戻す。金銭的な破綻に追い詰められているのかもしれない。体を壊してはいないだろうか。故なき差別を受けていないだろうか ─ と思ったところで、加速する懸念にブレーキを踏む。職場に着いたらすぐに電話をしよう。

つけっぱなしのテレビ画面の中の、そのまた画面の中にいる人たちの口が動きつづけて、緊急事態宣言解除と、PCR検査と、実効再生産数という言葉が、慌ただしく出入りを繰り返す。
昨年のいまごろ、空の牛乳瓶に活けたデルフィニウムと、東京新聞朝刊と、メダカの水槽の吐息の向こうに拡がっていたのは、沈黙するテレビと、惰眠をむさぼる犬、そして今日と変わらぬ翡翠色の窓だった。
緊急事態というワードは新聞の国際面から一歩も出ず、PCR検査はどこかのラボで行われていたかもしれないけれと私の預かり知らぬこと、実効再生産数については考えたこともなかった、なぜなら必要に迫られたことがなかったから。
わたしがそれらと疎遠であったように、全身性エリテマトーデスの診断基準や、ヒドロキシクロロキンの副作用について、ノン・ルフールマンの原則や、UNHCRによるマンデート難民のなんたるかについて遠い人びともいる。そのことについて誰が責められよう?私が拘泥している世界は、あなたの世界においては存在はおろか影さえ作らないのだ。それでも、限りなく遠いと感じる世界はとんでもなく近いのかもしれない、とテレビの消えたダイニングで考える。遠いと思っていたのは、小さなわたしの視野からたまさか外れていただけ。視野というものは押し拡げない限り、罪深いほど狭いのだ。

窓の翡翠色は、朝の光を浴びてさらに翡翠の度合いを増していく。そういえば1年前のいまごろ、世界は儚く、薄っぺらいセロファン紙などではなかった。絶対にそんなことはなかった。

忘れるはずがないと思っていた不安はものの見事に忘れ去られ、不安だったという記憶の古傷だけがときどき疼いたり疼かなかったりする。明日の現実は今日の確信をきれいに裏切るのだ、そうでなければ生きてなどいけない、人というものは。
忘れられない不安もある。それは薄れることもなく現在進行形で持続している不安。4年半、胃壁を炙りつづけている不安。

免疫抑制剤を飲んでいる娘は、〈重症化しやすい人リスト〉に、日常もろとも放り込まれた。だから彼女はほとんど家から出ない ─ 毎日、映画を2本観て、ギターで歌を歌い、新曲を作り、料理をしたり読書をしたりする間隙、ネットの浅瀬で軽く泳ぎ、友だちと通話したり、家族と過ごしたりする毎日は退屈なはずだけどこの上なく安全で、彼女は洗い立てのガーゼのようにやわらかな顔をしている。
紫外線の強くなる5月は、例外なく血液検査の数値が悪くなる。日焼け止めを耳の裏まで隈なく塗って、高い紫外線防止効果をうたうカーデガンを着て、遮光率99.9%の日傘をさして歩いても、彼女の頭上から容赦なく降り注ぐ紫外線は免疫の暴走スイッチをパチンと押す。血も涙もない敵という意味では、感染症も変わらない。

今週からオンライン授業が始まった。なんたる幸い─紫外線暴露の危険のある登校がしばらく避けられる。絶え間なく続いてきた不安が、束の間であれ、こうした形で和らぐとは。
学校から配信される動画の前で姿勢を正したり寛いだりしている彼女を眺めながら、登校できないとに苦しんでいる人たちのことを考えようとする。うまくいかない。なんの心配もなく毎日外を出歩いている人たちのことを考えるのが、いつからかとても難しくなった。

庭は狂乱のときで、毎日なにかが終わる以上に、なにかが始まっている。
数日前に柚子の花が咲き、モッコウバラは今が盛り、控えめな紫蘭がレース編みのように庭を縁取り、黙々と背丈を伸ばしていたデルフィニウムが、とうとう紫の羽をはばたかせた。ジャスミンとハニーサックルの芳香が、郵便受けに手紙を差し込む配達人の手を刹那停止させるだろう。終焉を迎えたサクラソウが揃って膝を折っている。最近、花ひらくときは胸躍るのに、散るを見送る心が錆びついたように動かない。それでも、また来年、と思うときだけ、微かに胸が痛む。

祖母が生前植えたクリスマス・ローズたちが、長い開花のときを終え、種を吐いて崩れようとしている。ふと、今の時代、もし彼女が生きていたとしたらどうなっていただろう、と考える。
関東大震災と第二次世界大戦を生き延びた彼女は、感嘆するほど雄々しく、とりつく島もないくらい悲観的だった。東日本大震災の日、動かなくなった中央線を降り、徒歩で歩いて帰る途中、一人暮らしをしていた祖母の様子を確かめようと家に上がった私の目に映ったのは、テーブルの上に椅子を重ねて、天袋の奥ふかくにしまい込んでいた、〈よそゆき〉を取り出そうと躍起になっている96歳のか弱き女性だった。あたしを棺に入れるときには必ず〈よそゆき〉を着せてね、と彼女が繰り返し言っていた、あの仕立てのよいワンピース。おばあちゃん、と声をかけたら最後、手足をもがれた人形みたいに転げ落ちそうで、わたしは黙って彼女の腰に手をまわし、その枯れ木のような体をしっかりと抱き留めた。

夢の中で消滅していた坂は相変わらず急峻で、橋はまがうことなき橋の形をして2つの土手をつないでいる。
マスクをして散歩する人達の視線は、ターゲットに向かってまっすぐ飛ぶ鋭い矢のように見える。昨日、近所の人が聞こえよがしに言っていたように、マスクをしないことは悪、パチンコ店に通うことは悪、外食を続ける人は悪、子供にマスクをさせない親は悪なのだろうか。非難する人の目は、勧善懲悪の物語に棲息する人のそれで、法的根拠を振りかざせないだけに、緊急事態下にある有識者の声明を拝借し、世間の同意を担保にする。
あなた、と老齢の男性が若い男性に向かって声を荒げる。マスク、しなさいよ。

ドラッグストアに入ってきて回遊魚のように店内をめぐり、空っぽの棚を眺めると、静かに踵を返す人もいれば、罪などあるはずもない店員に詰め寄る人もいて、そんな殺伐とした日々のあと店頭に貼られたお知らせ、「お客様の安全のために今後マスクを販売いたしません」。
2名までの入店規制を施した隣のベーカリーには目測2メートル間隔の長蛇の列、「マスクをしてご入店ください」と書かれた貼り紙の前を進み、入り口でアルコール除菌をして、購入する袋入りのパンを、購入しないパンに決して触れないよう慎重につまみ上げる。それってUFOキャッチャーみたい、と娘なら言うだろう。求められるものは即決、逡巡はその場の空気が許さない。
鉄の鎧のように固くシャッターを下ろしている焼き鳥屋のとなり、ナポリタンが売りの古い喫茶店はドアを大きく開け放している。がらんとした店内は深海のように暗く、ラジオのCMが怠惰に流れるむこう、オーナーと思われる人の長い襟足と、薄い背中だけが光って見えた。

駅構内につづくエスカレーターに人が乗る。間を取って乗ろうとすると、わたしの前に人が割り込む。また間を取ろうとして待つと、後ろからきた人が先に乗る。いつまでたっても乗れそうにないので、長い階段を上りだす。
社会的距離、という概念をいまだにうまく嚥下できない。わたしの前の人は、ときどき振り返ってわたしを睨むし、わたしが振り返ると、後ろの人が後ずさりをしたりする。あなたの恐怖とわたしの戸惑いは、永遠に交わらない。

改札を抜けたあと、手紙を投函するのを忘れたことに気づく。最近、メールを打とうと思ってから、実際それを打つまでに途方もなく時間がかかる。何を書けばよいのだろう?東京都の感染状況について。今後の見通しについて。娘は元気です(さほど元気ではない)。私も在宅勤務に慣れました(ひと月半経っても慣れない)。秋になったら会えるかな(まるで自信がない)。なにをどう書いても小さな嘘をついているようで、なんとなく落ち着かない。
きのう読み返した太宰治の『女生徒』の一文が胸をかすめる。「自分は、ポオズをつくりすぎて、ポオズに引きずられている噓つきの化けものだ」。苦労して書いた手紙をなかなか投函できないのも、わたしが、わたしの嘘を知っているからかもしれない。

気温がうなぎ登りの午前10時半、鉛色のプラットホームの人影は疎らで、マスクで口と会話を塞がれたまま重い沈黙を守っている。滑り込んできた電車の窓という窓はすべて空いていて、心を占める不安のメモリが1ミリだけ下がる。
7人掛けの席に4人ほど座っている車内も、駅が都心に向かうにつれ、6人、7人と増えていく。娘の顔が浮かび、決して感染させてはならないという思いが押し寄せて、波に浚われるように席を離れ、出入口に近いところに立つ。隣に座っていたは気にかけていないようだが、奇妙なばつの悪さに襲われて、急いで持っていた本をひらく。単なる文字の連なりが、物語となってうねりはじめるまで辛抱強く読もうとするが、途中で諦め、本を閉じる。痺れを切らして感覚のなくなった足を、無造作に投げ出すようだ、と思う。
開け放たれた車窓が、新宿の高層ビル群を捉えると、溜め息をぐっと飲み込み、本を鞄にしまう。

14時半。風が強く吹いている。
検査の予約が入っている娘と、病院の最寄駅で待ち合わせ、タクシーを拾って目的地にむかう。
久方ぶりの外出で緊張気味の彼女は、何度もマスクの位置を確かめる。リラックスさせようと他愛のない会話を仕掛けると、運転手の横顔がにわかに険しさを増す。それに気づいた娘が、マスクでの上にそっと人差し指をあて、わたしに目配せをする。ね、静かに。

病院のエントランスには、職員の方が2名立っていて、通過しようとするわたしたちの眉間に拳銃のような形の体温計をあてる。驚いて手を上げそうになるのを抑えて、視線を逸らして少しうつむく。36度9分。「やれやれ、撃たれるのかと思った」と呟く娘の目も笑っていない。
ツンとした消毒液のにおいが、通りすがりの人たちの体から立ち上る。エタノールを振りかけた両手をこすり合わせながら、今日はこれで何度目の除菌だろうと考える。肉眼では見えないあのウイルスが、この手のどこかに張りついているのだろうか。いつかわたしを殺すかもしれない、わたしの不穏な手。

必要な検査が終わり、外に出る。来るものは確かめられ、去るものは追われずだろうか。次の診察は1週間後だ。ざわつく心をことさらにざわつかせるように、風が髪の毛をもてあそび、砂塵が容赦なく飛んでくる。

タクシーはなかなか来ない。病院から出てくる客は敬遠されているのかも、とスマホに人差し指を滑らせながら娘がぼやき、救急車はどんどん来るのにね、と言いながら目をあげる。破れた雲が、濁った青の空を、なにかに追われるようにして走っていく。
遠くで鳴っていた救急車のサイレンが徐々に大きくなり、耳をつんざくほどになったあと、突如静かになる。エドワード・ヤン監督の『恐怖分子』のような、容赦ない轟音と痛いほどの静寂。わたしたちは彫像になって、開け放たれた扉から引き出されたストレッチャーが、救急隊員もろとも搬入口に吸い込まれていく様子を見つめる。

タクシーに乗り込むと、娘がわたしの左耳にイヤホンの片割れを差し込む。国会中継のYouTubeが、検察庁法改正案についての答弁の様子を映している。野党議員が顔を上げて質問をし、森法務大臣が下を向いて説明にならない言葉を読み上げる。ごうごうという音が、鼓膜を強く押す。
強風の吹きつける窓の外を、引き千切られた鉛色の建物が流れていく。液晶の中では怒りの声がとどろき、言葉の怒声が高速で流れていく。わたしたちは身動ぎもせず、嵐を眺めつづける。雷雨みたい、と娘が言う。

今日の太陽が沈んでいく。
風は鎮まることを知らない。それでも、朝より落ち着きを取り戻した庭では、咲き始めたカルメアが、枝をしならせながら最初の苦難に耐えている。ノイバラの花粉の中では、蜜蜂が忙しく脚を動かしている。闇が庭を覆いつくす前に、今日の仕事を終えるために。
わたしが庭をゆっくりと歩きだすと、娘は玄関に向かって歩き出す。わたしが一人になりたいこと、独りに戻りたいことを彼女はよく知っている。

そして、雑木林にむかう。

夕刊を郵便受けから抜き取り、わたしも玄関の扉を押す。娘の脱ぎ捨てたスニーカーが、暗がりのなかでうずくまっている。
あがりかまちに腰かけ、夕刊をひらく。今日のわたしの一日について、新聞が報じることはもちろんない。77億人の地球の中の、454万人が新型ウイルスに感染し、30万人がそれによって命を落としたこの広い世界に生きるら小さなわたしの何でもない今日という一日は、誰の目にも留まらぬままひっそりと終わる。そして、この小さなわたしの何でもない今日こそが、わたしの書き記したいと願う一切のことなのだ。

「美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。」と、太宰の書き綴った『女生徒』の彼女の声が、もう一度やってくる。

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