あなたの底流に指を浸す
会ってみたいと望んだこともあったがまさかお会いできるとは思わなかった方と、諸般の事情を鑑みればこの先お会いすることもないだろうと決めこんでいた方と、漠然とした予感の訪うままにそのうちお会いできるのではないかと感じていた方と、いつかお会いすることもあるやもしれないがずっと先のことだろうと考えていた方と、それぞれお会いした昨年だった。目を剥くほど職場が近かったという驚愕が、大学の同窓だったという予期せぬ偶然が、秘かに期待こそすれまさか声をかけてくださるとは、という感嘆が、〈いつか〉が予想よりも遥かに早くやってきたという歓喜が、その日を用意した。
いずれの時間も豊かだった。別れたあとに腕を通した、ビロードのコートのように艷やかな記憶は、季節の移ろう中で熟し、滑らかな種となって地に落ちた。そのうち芽吹いて背丈を伸ばし、葉を茂らせ、花びらを解いて、吹き寄せる風に揺れるだろう。色や香りを変え、形をも変えながらなお、根を絶やさずその場にあり続けるだろう。
十年前、七年前の二度、大きな病が体の中に巣食っていることが判り入院治療を余儀なくされたとき、人と関係を築くことを止めた。別れの準備を滞りなく進めるためには、新たな出逢いにけりをつけなくてはならない。「さようなら」と口を動かすときの胃壁を焼くような苦しみを、極力減らすために。別離は痛みを伴うだけでなく、大小さまざまな傷を残す。なけなしの血を流しながら逝かなくていいはずだ。もう十分満身創痍なのだから。
そうして私は、扉の入口の封鎖し、出口の鍵を破壊したのだった。二度と開けることができないほど頑強に。二度と使いものにならないほど粉々に。誰とも巡り会わず、誰一人逗まらなければ、穏やかな孤独を手にすることができるだろう。あとは躊躇することなく私自身を片付ければよいだけだ。
杞憂は不要だった。病名を周囲に漏らすと、人びとは手のひらを返したように優しくなる。華奢な硝子細工のように私を扱い、幼気な子どもにそうするように背中を撫で、逸らせた目を慎重に笑顔に包み、遠ざかって行く。着水した鳥が描いた波紋が消えていく、あの速度で。
自らも進んで姿を眩ませた。自分さえ手に余る病を得た私は、他人にも負荷を与えることは容易に想像された。それは引け目に似ている。あるいは劣等感とすごく近い。私は疎遠を企て、首尾よく拡げることのできた距離にほっとする。関わりを持たれない方が、むしろ安全だと言い聞かせる。しかし、荷を降ろしたあとの強ばった肩には、必ず氷のような孤独が這い上がってくるのだった。陽が闌けたあとに手足を喰む、薄い闇と等しい容赦のなさで。そうして私は狼狽えるはじめる。あたかも流されるままに沖に達し、その距離を目測したとたん慄きはじめる人みたいに。
だが、私は生き永らえてしまった。他人はそれを幸運と呼ぶ。
日常に帰還した私は、入口の封鎖を解いた。しかし、木っ端微塵にした出口の鍵は修理できるはずもなかった。指を折り数える必要もないほどの、僅かな出逢い。戸惑いながら忍び足で戻ってくる、懐かしい人たち。水を打ったように静かだった私の周囲に、音が蘇る。
ただ、あのとき以来私は、去る者を追わないようになった。施錠のできない開けっ放しの扉を押して、薄紙に包んだ言い訳を置き土産に、徐ろに遠ざかっていく背中を眺めながら、あなたと別れるために覚える痛みはこれで終わる、と思う。然るべき準備を進めればいい話だ。繰り延べされたとはいえ、いずれその日はやって来るのだから。
すべては、時代がもたらしたことだ。いつか私たちは実在の人間として在りながら、不可視の存在を獲得した。直接会う人がすべてだった社会から、顔の知らない人の知人、会ったことのない方の親友という、ひと昔前の世界ではサイエンス・フィクションでしかなかったポジションを手にした。況してや、未来永劫会うことなどないであろう遠い世界のあなたと、人熱れするプラットフォームの片隅に立ち、人の疎らなカフェの止まり木に腰かける私が、言葉や画像で現在を交換したり感情を共有する日が現実のものとなるなど、想像すらしなかった。そして、袖の触れ合うことなど決してなかったはずの人と、望めば袖を触れ合わせることができる、ということも。
なぜ私は会おうと思ったのだろう?どうして、言葉を交わすだけで済ませられなかったのだろう?それを実現するべく努力したのなぜか?
会うことは、言葉を交わす以上の意味を有することなのだろうか?会えば、言葉では埋めようのない何かを埋められると信じたのだろうか?そもそも、会うとはどういうことなのだろう?
会うことは恐らく、あなたを知ると同時に、私をあなたに知らしめることでもあるのだろう。覆われていた私を曝すことであり、祕された私を明らかにすることであり、不要な情報を闇雲に与えることでもある。誇れるような容貌を持ち合わせているわけでもなく、鈴のように鳴り響く美声を喉に秘めているわけでも、テキストを凌駕するほどの巧みな話者であるわけでもない私の腕を私自身が掴み、なぜわざわざあなたの前まで連れていき、会わせようとしたのだろうか?
考えれば考えるほど深みに嵌る沼のような疑問から抜け出せないまま、それでも昨年の私は、積極的に声をかけたり、声をかけられれば快く応じるといういつにない大らかさで、その日を作ってきたのだった。
昨年の暮れに、いつかお会いすることもあるやもしれないがずっと先のことだろうと考えていた方とお会いした。吉祥寺と渋谷を往還する井の頭線の某駅で落ち合い、私の偏愛するカフェ向かって、私たちは漫ろ歩いた。
柔らかな日だった。空は、昂る青が鎮まったあとの菫色で、空気は、そっと被せた軽いベールのように肌と戯れた。すべての葉を落とした銀杏の木が屹立し、光る梢が世界を睥睨していた。
お会いしてほどなく、お会いしてよかった、と感じた。この確かな思いを、その後何度も反芻することになる。それはなぜだろう、という思いとともに。
映像を手がけていらっしゃるその方は、私よりおそらく一回り若く、それまで交わし、重ねてきた言葉から覚えた印象そのままの方だった。純粋で、誠実で、勁さと儚さが交互に頭を擡げては目を伏せる。横並びで歩きながら、向き合って食べながら、私たちは空気のたくさん入ったボールを投げ合うようにして、弾む会話を愉しんだ。私の仕事柄、難民の話題も紛れこむこともあったが、専ら彼女の仕事――撮った映画、著した本の話が、私たちの間を行き交った。
私には、饒舌な人をあまり信用しないところがある。言葉に魂を売り渡したような人の、どこにも綻びのない話より、言葉に魂を穢されまいとする人から、緩やかに紡ぎ出される話に耳を傾けたくなる。あの日、私の耳はずっと傾いたままだった。
時どき、私たちは言葉を交わさなかった。ただ時の静かに流れるままにした。共に在りながら個に留まるその時間が心地よかった。個で居ながら独りではない時に充たされていた。
一つの考えが頭を過る。これが人と出逢うということなのかもしれない。あなたの隣に私を置き、私の隣にあなたを置くということ。言葉の鋳型に閉じこめることをせず、柔らかな思いを柔らかいままに分かち合うということ。その人の奥底に流れる澄んだ水にこの指を浸し、その温度を知るということ。
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