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花を生け捕る

素足にサンダルを履いて、夜の庭に出る。

日中の熱冷めやらない小路を進み、幽霊と見まがう白いコスモスを掻き分け、暗がりで息をひそめる水道の前に立つ。満月に照らされた庭は蒼白く、渇きのあまりぐったりしていて、あたかも血の気の失せた人のようだ。左手で眠るホースを支え、右手で光るハンドルを緩める。ごぼっと管が咳き込んで、蛇のようにホースがうねる。

放物線を描いて闇に拡がる水が、生気と歓喜を庭に与える。草木は大きく左右に揺れる。水を得た魚のように。葉は優雅に裏返る。袖を翻して舞うダンサーのように。枝は小刻みに身を震わす。リズムを司るメトロノームのように。花は大きくかぶりを振る。泣き止まぬ子をあやす母のように。

土が甘く香り始めるころ、庭は息を吹き返す。右手で全開のハンドルを閉め、両手で弛緩したホースをまとめる。そして、ホースが口から最後の水を吐くのを見つめる。末期の息のように。

涼を取り戻した小路を行く私を、コスモスが背筋を伸ばして見送る。路の行き止まりに立ち尽くす、朽ちかけた棚から園芸鋏を取り出し、エキナセアの細い茎に当てる。パチン、と叫ぶ銀の刃がその固い線を断つとき、世界を覆う夜のドレスの端も、ほんの少し切り落とされる。

誰もいない台所の灯を点け、なみなみと水を張ったシンクに庭の花を放つ。

弱く冷房をつけた室内は静かで、洗った髪をかけた耳の後ろが涼しい。休みなく働く冷蔵庫が、時おりジジッ、と短い不平を述べる。水槽の底で点になっていたメダカが、スイ、と動いて水面に斜線を引く。ガーゼケットの上で横臥していた犬が、脚を搔き寄せて楕円になる。私は両手をシンクの水に浸す。シンクの、深紅の、辛苦の、水。

曖昧な指。指に戯れる花。その柔らかさ。その滑らかさ。

花屋を営んでいた父方の祖父が、白木の棺のような箱から取り出した花を、白熱灯の下で切り揃えている。

持ち手の大きな、鈍色の切狭は重く、一度落として壊してしまってからというもの、二度と触らない、と私は決めている。逞しい祖父の両手が12本の花を束にする。それを抱え上げてフラワーベースに容れると、ゆっくり指を離す。永遠の美しさを約束する、解けない魔法をかけるように。
水を滴らせた花びらが、スポットライトを浴びて七色に輝く。舞台の中心に立つスターのように。祖父がショーケースの扉を閉めると、私は目を閉じる。瞼でその輝きを感じるために。

祖母の夫がミンダナオ島で戦死したあと、彼女とその子供たちを支えていた弟が、祖母と結婚したのは昭和25年のこと、闇市を歩き、手始めに氷を売り、灯油の商売を経て、〈念願の〉と祖父が形容する花屋を開くまでの紆余曲折を聞いたのは、この祖父と番をする店先の、小さな丸椅子に腰かけていたときだった。

どんなに忙しくても、話しかければ手を止めて身を乗り出し、母の料理を食べるたび、きみのお母さんのお味噌汁は世界一だと褒めたたえ、独りで行きたかったであろう鮎釣りにも、私たちきょうだいのせがむままに連れていき、お客さんにはやたらおまけが多く、儲けが少ないと祖母に文句を言われ続けていた祖父が、ふだんの陽気さはどこへやら、静かに語り続ける声が時々くぐもったり、言葉に詰まったりしているその一部始終を、私は息を詰めて見つめていたのだった。
私が、ねえ、話して、とせがまなければ、祖父は自身の半生を語ることはなかっただろう。祖父は己の深淵を、無闇に見せない人だった。微笑みを絶やさず、最後まで誠実にはぐらかす人だった。

肝心な話はほとんど憶えていない。憶えているのは、あらゆる言葉を駆逐する、圧倒的な哀しみだ。心から愛していて、つねに近くにいてくれて、何もかも知っていると信じて疑わなかった人のほとんどを私は知らないのだ、という事実。
それから40年近く経った今も、その思いは残る。難民許可申請をしようとする人の話に、真摯に耳を傾けながら、私はこの人の何を知りえたのだろう、と疑う。そして、つまるところ私は何を理解し、どのように彼/彼女らの苦境を代弁し、然るべき文書を作って決裁権者を説得し、どうやって彼/彼女らを救えることができるのだろうか、と。

滑らかな水から両手を引き揚げると、曖昧な指の線が確かになる。
鋏でエキナセアの茎をもう一度整える。秋を告げる女郎花と、うら若い秋海棠と、泡立つ百日紅の花の裾も、鋭利に切り落とす。水が上がるのを待つあいだ、きれいに洗った不揃いの花瓶たちを、真夜中の水で満たしていく。

瑞々しい人生に餓えた私の乾いた手が、人生という労働に耐えた祖父の静かな手を追いかける。そして、もの思いに耽るときに机の表面をそっと叩くあの荒れた指を、それから、戦地で撃たれた左足をわずかに引きずるあの歩き方を、わけても、笑顔で客人の来訪を迎えにいく背中に宿る濃い翳のようなものを、順繰りに思い出す。
そして、長いあいだ消えなかった疑問が、ふたたび胸を過る ─ 生涯、念願の花屋を営み続けた祖父は、ほんとうに花が好きだったのだろうか?

鋏を置いて、夜の庭から捕った花を花瓶に挿す。心はどこかに向かっても、指は必要な動きを続ける。

大学卒業後に就職した職場の、生け花サークルにふらっと入り、新宿三井ビル47階の、開かない窓と白すぎる壁に四方を囲まれた会議室で花を生けながら私は、その花々がかつて根を下ろしていた土の遠さと、年を重ねるにつれ開いていく私と土との距離を、時どきぼんやり想った。
こんなにも地面から遠いから、人は地に近い花を求めるのだろうか。それとも、これほどまでに自然と離れてしまったから、人は花を生けずにはいられないのだろうか。
─Nさん、いい感じね。
同じ部署の先輩が、私に向かって笑いかける。ほんとうに、と周りの人たちも相槌を打つ。

そんな私たちの手で、不自然な形で花瓶に生けられた花ばなは、数日のあいだ気まぐれに愛でられ、枯れるなり無造作にごみ箱に捨てられた。もとより短い花の命をことさらに切り詰めて、ただ朽ち果てることさえも許さず、私たち人間はそれを袋に詰め、燃え盛る火にくべる。憐憫の欠片もなく。

次は百合を生けましょうか、と先輩が朗らかに言う。それはいいですね、と私は笑顔を返す。

私はなぜ花を生けるのだろうか。どうして祖父は花を売りながら、決して花を生けなかったのか。
花瓶に花を挿しながら、私はその香りに赦されると同時に、微かな罪悪感に焼かれる。花を拘束するのは、私自身の解放のためなのだろうか。失ったあの日々を、取り戻す儀式なのだろうか。生け捕られ、閉じ込められる花ばなは、私たち人間に何を思うのだろう。

それは2003年のこと、ベオグラード在住の詩人、山崎佳代子さんの『そこから青い闇がささやき』を読むうちに私は、祖父の語らなかった言葉を見つける。

籠にあふれる水仙の黄色、菫の花束。オペラ座の石段に花が並ぶ。一九九九年三月二十六日、ベオグラード。NATO空爆がはじまって三日目の朝。花を摘み、手際よく束ね、空が暗いうちから起き出し、村から重い籠を運んできた花売りたち。それは優しい奇跡だった。私は仄かに香る水仙を一束えらんだ。

橋が落とされた。病院も学校も爆撃された。季節がめぐり、新しい花を届けた。その朝は、薄紫のリラの花束を買う。「鈴蘭もいかが?」「あしたにするわ」「きょうの花をお取りなさい。あしたの花はきょうの花ではないのよ」言葉に胸を打たれた。そして私たちは名前を告げあう。花売りの女の人はイェレナ、五年前、戦火のサラエボを逃れてきたと言った。

そして六月十日。空爆停止。七十九日の悪夢が終わる。死んだ者たちは還らなかった。街の初夏の日差しが眩しくて、私は泣きたかった。久しぶりのオペラ座の石段は、薔薇に埋もれていた。「カヨ、無事でよかったわ。あなたの言葉、私ずっと忘れないでいたのよ」イェレナだ。「何か言ったかしら?」「この花が私たちを守ってくれるって言ったのよ」「そんなこと言ったかな?」私は朗らかに笑った。

(山崎佳代子『そこから青い闇がささやき』)

花売りのイェレナ、恐らく、その人こそ祖父なのだ。いつもそこにいて、季節の花を並べる人。花を求めずにはいられない人に、そっと花を差し出す人。傷を隠す人に言葉ではなく、沈黙の花を与える人。生け捕られた花ばなは、その人の中で自由になり、その身を枯らすことなく咲き続ける ─

なにをそんなことを、と祖父なら一笑に付すだろう。
きれいな、きれいな髪だねえ。射干玉のように輝く黒。たっぷりしていて、艶々していて、ほんとうにいい髪だ。大切にするんだよ、と祖父はせがまれるままに私の長い髪を梳きながら優しく、穏やかな声でそう言った。

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