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このまままっすぐ帰らない


来る日も来る日も残業を繰り返し、気づかぬうちに今日が終わっていて終電車に乗り遅れることが確定すると、新宿高層ビルの43階からエレベーターで急降下して、駅西口バスターミナルにある終バス乗り場と走った。

新宿は12時を過ぎても激しい人通りと人だかりがあり、光と闇のコントラストが目を容赦なく刺しぬき、嬌声と轟音があたりかまわず鳴り響き、重いアルコール臭と薄っぺらい焦燥感がそこかしこに漂い、投げ遣りと諦めがいたるところに染みついていた。
私は若く、外務省外郭団体での国際援助という仕事にやりがいこそ感じていたが、疲れていた。終電に乗れればラッキーと思い、終バスに間に合えばまあまあラッキーだと考え、オフィスのソファーで朝を迎えずに済めば何でもよかった。よいはずなどなかった。よいはずなど、まったくなかったのだ。

巨額の資金援助を重ねても、紛争を阻止できなければすべて灰燼に化すということに気づいたのと、体調を壊し、予期せぬ病気が判ったのはほぼ同時期だった。ふた月ほど悩んで辞表を提出し、僅かな退職金を元手に、留学先の中国に向かった。

ゆくゆくは、平和構築のための学業を積み上げようと思っていた私が、手始めに行き先を中国にしたのには、訳があった。
文化大革命で両親が迫害を受け、流転の人生を余儀なくされた人が、偶然と必然を経て留学生として来日したとき、父は生活場所として自宅を提供した。中国では知らなかった現実を、外国に来て知ることになった彼女の衝撃とそれに伴う変化を、私は目の当たりにしながら暮らすことになる。天安門事件の映像を見て涙を流す彼女や、慰安婦問題や盧溝橋事件についての私の無知に憤る彼女と寝食を共にする日々。いつか私は中国へ行かなくては。中国をこの目でしかと見てこなければ。

中国南部の省都で学生になった私は、最初の癌治療のあとで、かなりやつれていたはずだ。幸いまだ初期で、予後は決して悪くなかったが、5年の激務で損なわれた体力が、順調な回復を阻む。
中医学を勧めてくださったのは、大学の事務方の若い人だったか。彼女は正門の斜め前にある白い建物を指さし、素晴らしい先生だから通ってみたらいい、と言った。

中医学とは、理論と臨床経験に基づいて発展を遂げた、4000年もの歴史を持つ中国の伝統医学のことだ。人体と自然環境のバランスをとる整体観、各自の病気の原因・発症過程を分析し、治療を施す弁証論治、そして予防医学としての未病先防が、その柱となる。

そうして、親切な彼女のお節介な手に引きずられるようにして、私は砂埃の舞う大通りの向こう、中医の構える病院に、はじめて足を踏み入れたのだった。
そこには待合室はなく、あるのは大きなテーブルと椅子が4脚だけだった。勧められて私は、少し傾いだ椅子に腰をおろす。行き場のない視線は、左側の壁を埋める黒い薬箪笥に向かう。ところ狭しとならぶ奇妙な瓶や缶を、一つずつ見詰める。最後に、不可思議な匂いを吸い込みかけて息を止め、目の前に座る人を凝視した。
やや腹の出た痩せ形で、白衣はぴったりすぎのツンツルてん。迷うことを知らない鋭い眼光に恐れをなして、私はそっと視線を外す。
傍らに立つ夫人は物腰柔らく、病気の経過や、今の調子などを話す私の拙い中国語に、そっと頷きながら耳を傾けている。

顔色や目の状態を注意深く観察し、舌を隅々まで検分し、声や呼吸状態を確認すると、王先生は、私の左手首を取って脈診を始めた。それから、飲酒等の嗜好、生活環境、睡眠の質なとを根気強く尋ね、残された疑問点を漏れなく質してから、おもむろに調合を開始した。
日本で北京語を研磨してきた私に、南部の訛りは難しかった。況してや、生薬の名前など知るよしもない。当帰?芍薬?亀板?鹿茸とは?天然の植物のほかに、動物や菌類、鉱物もあるというではないか。

説明は耳に入ってもまるで意味をなさず、寄せられた眉根は不穏のしるしとしか解せず、ときどき見せる笑顔はどうにも不可解だった。親切な大学の事務員さんと、医師の妻が手振り身振りで説明を尽くそうと躍起になっても、飲み込めないのだから腑に落ちようがない。辛うじて理解したのは、渡された大きな薬袋の中身を、水と生姜とともに鍋に入れて、気長に煎じるということ。それを毎日飲みなさい。また来週いらっしゃい。今日は龍の骨を入れました。よく効きますよ。
ドラゴンの、骨?

火気厳禁の学生寮で、水と生姜と薬を大鍋に入れ、夜な夜な煎じ薬を作った。その色、その匂い、その苦さ。良薬口に苦しと巷では言うけれど、これは良薬などと言った代物ではなく、単に苦いだけなのではあるまいか?辟易しながら飲み、飲みながら暗澹とする。疑心暗鬼とはよく言ったもので、同時の私の心は、小鬼の巣窟だったのだろう。

早朝、出涸らしの薬をゴミ捨て場に捨てにいく。鍋の中身を空け、隅の水道の前で腰を屈め、流水できれいに洗う。スミレ色の空を見上げ、流れる雲に憧れ、市場に向かって歩きだす。また生姜を買わなくては。しかもこの鍋いっぱい、山盛りで。

ドラゴンの骨が、タツノオトシゴのことと知る頃には、体調の改善がわかるようになった。食欲が増し、浮腫もとれ、体は軽い。眠りは深く、頭の霧ははれ、気分は明るかった。
王夫妻ともすっかり打ち解け、気の置けない仲となった。診察があろうとなかろうと、大学の授業が終わったあとは寮を背にして通りを横断し、お茶を何杯も飲みながら四方山話に花を咲かせる日々。
調子がいいです、と私が言うと、王先生は調子に乗る。大通りの斜向かいにある小さな建物を指さし、然も嬉しそうに胸を張る。

─ご覧、西洋医学を学んだ娘は、あそこで開業しているんだ。試しに検査してもらうといい。わたしの治療が効を奏していることが立証されるぞ。西洋医学は病気が始まったら治療をするという考え方だが、中医学は病気をし、病気にならない体を作る。未病先防。日本に戻っても続けることだ。困ったり、寂しくなったらまた来なさい。私はずっとここにいる。まあ、歩いてこれる距離ではないがね。

あら、私が日本のあなたに会いに行きますよ、たとえ歩いてでも、と王夫人が微笑む。

病院の前を、華やかな民族衣装に身を包んだ苗族の親子が通り過ぎていく。艶やかな小粒のスモモが背中の籠から見え隠れする。これから市場に売りにいくのだろうか。
王夫妻に別れを告げ、スモモの花が咲き誇る彼女たちの村を想像しながら、市場に向かって私も歩き出す。

生から死に向かう線路の上をひた走るとき、ハンドルの切り方に長け、ブレーキの引き方を知り、停車場所をすでに見つけている人は幸いだ。

辛いことが重なると、遠くはるかな中国の、埃っぽい街道の向こうにある小さな病院に、私の心は向かった。白いコンクリートの建物の前で来訪を告げ、王夫人のにこやかな笑顔に迎えられ、王先生に手招きをされて、あの傾いだ椅子に座るところを想像する。先生は私の手首に長い指をあて、はしばみ色の目を大きく見開く。そうして私の体に向かい、静かに問いかけるのだ。滞っているのは、足りていないものは、鈍っているものはなにか。それから懐かしい薬箪笥を開け閉めして、生薬や鉱物を取り出す。がさがさとダミ声で歌う生成り色の紙袋に、選びぬかれた薬をぜんぶ入れ、これを煎じて飲みなさい、と厳かに言う。去り際に、新鮮な生姜をたっぷり入れるんだよ、言い添えることを忘れない。そうだ、生姜を買うついでに、苗族の親子が村から背負ってくる、滑らかな肌を持つ赤子の手のようなスモモも、いくつか買って帰ろう。

ある夏が終わり、青ざめた柿の実に仄かな赤みが射すようになったとき、単なる日焼けと思っていた娘の頬の、奇妙な赤さが気になり始めた。
柿を食べるのも飽きたころ、確定診断がくだされた。冬が来て、春が来て、血液検査の数値は深刻さを増し、蛋白尿の量も看過できないほどになって、娘は入院した。

17時、職場から走り出て、地下鉄に飛び乗る。コンクリートの街を抜け、エレベーターで上昇し、娘の病室に向かう。21時、娘に別れを告げ、エレベーターで降下する。コンクリートの街を抜け、地下鉄に飛び乗り、吊革を握りしめる。
車窓に映る歪んだ私のシルエットには既視感があった。もう若くはない。そしてあのとき以上に疲れている。王先生の病院に、想像上であれ、通う元気すら残されていなかった。本当に疲れたとき、人は現実のぬかるみに手足を取られて沈み、なすすべもなく溺れてしまう。

退院したものの、免疫の誤作動で、外敵のみならず自らをも破壊してしまう娘の病気は、免疫抑制剤を飲みながら細い綱を渡るような、容易ならざる人生を彼女に課した。免疫活動の抑制は、細菌やウイルスへの抵抗をも抑制する。傷は治りにくく、容易に風邪をひく。結膜炎や指のひょうそも頻発し、アクネ菌の暴走で、皮膚の状態も悪かった。
容貌への自信喪失は、薄い硝子の自尊心を粉々にしていく。毎朝、彼女の枕には疾患による脱毛が残された。鏡の前に立つとなかなか立ち去れなかった。インスタグラムのアカウントを衝動的に消した。外出する直前でキャンセルすることが増えた。そのうち落ち着くだろうと思った。そのうち落ち着くことなど、あるはずがなかったのだ。

中国は私からあまりに遠くなっていたが、小さな漢方薬局は家から驚くほど近かった。ときどきその前を通り過ぎていたはずなのに、どうして気づかなかったのだろう。その場所を求める気持ちがなければ、それは存在しないのかもしれない。そして、求める気持ちが生まれるや否や、それはにわかに存在するものになるのだ。

夜、最寄り駅の階段を降りて、ロータリーの曲線に添って歩く。左に曲がれば、家に向かう道へと続くが、私は右折する。このまままっすぐ帰らない。ときどき街路樹の枝越しに空を見上げ、群青の海原にクラゲのように浮かぶ金の月を確かめる。

店頭でかしこまる、優しい目をしたパンダの置物に見つめられながら、私は反応の鈍い自動扉を抜ける。たいてい誰もいない。こんばんは、とそこにいない人に声をかけると、はい、ただいま、とそこにいない人が答える。私は薬局の真ん中で、長い影を曳いて待つ。
漢方薬の効能を宣伝するポスターが、1センチの傾斜もなく水平に貼りつけられている。耳に朗らかな中国語が、明るいメロディに乗って流れている。カウンターの後ろ、窓ガラスの向こうには、黒い薬箪笥が静かに並んでいる。

漢方医と向かい合って座る。世間話を少しして、この間の娘の様子を報せる。レイノーという、指先の血行不良亢進。免疫抑効果が招く、吹き出物の悪化。関節の痛み、腎臓の不穏、微熱、脱毛、倦怠感。
いまだ根治方法のない彼女の病気に対し、西洋医学は免疫抑制剤などを盾にして立ち向かう。それによる副作用や効果の及ばないものに、漢方は穏やかに効いていく。

状態を飲みこむと、漢方医は調合室に移動する。黒い引き出しを開け閉めして薬を取り出し、散剤にして小袋に分ける様子を、ガラス越しに眺める。薬袋を挟んで再度向かい合い、医師にいくつか質問を投げかける。腑に落ちると会計を済ませ、私は暇を告げる。

この薬ですっかり良くなるわけではないが、不穏な症状は緩和されるだろう。その思いと、手にした薬袋の重みが、私の心を軽くする。中国の時と同じだ。言葉を交わし、心を開き、身体の声を聞くゆるやかな時間。

ミツマタの黄色い花が、思慮深げな目で虚空を見つめている。垣根を越えて咲く沈丁花が、暗がりに香りの粒を撒いている。曲がり角の街灯の下で、雪柳の白い花が小さなあぶくを立てている。次の街灯の下では、スノードロップが細くて長い首を、そっとうつむかせているはずだ。

電信柱を一つ過ぎれば、また次の電信柱まで闇雲に歩くばかりの心許ない日々に、今宵も風が渡っていく。
次に薬を貰いにいく2週間後には、桜が咲き始めるだろうか。

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