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薬局夜想曲

色こそ褪せてはいるけれど、小粋なギンガムチェックのハンカチーフを首に巻いた萌黄色のケロちゃんが、黒曜石の瞳を輝かせ、口角の上がった笑顔のまま音のない口笛を吹いている。塗料の剥げかけた鼻先に、華奢なリボンの蝶々をとまらせた柿色のサトちゃんと桃色のサトコちゃんが、未明の空気のように清潔な笑い声をたてている。
透明な硝子扉の向こう側では、白いカウンターが滑らかな曲線を描いている。左右には白い棚がそびえ、赤と青の丸椅子が五つ咲いている。奥に控える小さなフランス窓から、少し疲れた午後の光が差しこんでいる。蒸し暑い外気を連れて入ってきた私を見下ろし、クーラーがぶう、ううん、と唸る。気怠そうに。

いぶし銀、濡れ羽色、ハシバミ色の髪をもつ、老眼鏡、丸眼鏡、ウエリントン型の金縁眼鏡をかけた白衣の薬剤師三名が、調剤室の三文字を背に、目を細めて私を見ている。まっ先にやってくるのはいつも、チェロのようなシルエットの濡れ羽色さんだ。バリトンの声を響かせ、こんにちはと言う人の笑顔は、マスク越しであれ美しい。瘦せぎすのいぶし銀さんの身のこなしは、優美なティーカップを想起させる。うっかり落としたら甲高い音を四方に響かせ、粉々になってしまうだろう。ハシバミ色さんを天気予報風にリポートするなら、「調剤、ときどき瞑想中、気分は概ね安定していますが、夕方から雲がひろがり、嵐になるかもしれません」。

錠剤、軟膏、保湿剤、消毒剤の並び方には秩序こそあるが、強い縛りはなさそうだ。倒れたボトルは倒れたまま、傾いだ箱は傾いだままで、三人の瞳に映っても、六つの眉は上がらない。
広告のたぐいはもとより入室を許されず、待ち時間を潰すための雑誌類も置かれていない。待合室を席巻するのは源氏物語全巻と、葉先まで健やかなオリーブの鉢が二つ、壁には海を描いた油絵が三枚かかっている。訊けば「年末年始限定画家」と自らを茶化すいぶし銀さんの〈なんとなく描けてしまった〉作品なのだという。いずれの海も重たげな暗灰色で、滑らかな水面を傷つける船はおろか、空を切り裂く鳥すらもいない。
滔々と流れる音楽はだいたいドビッシーで、稀に流れるガーシュインはハシバミ色さんの推しなのだろう、スピーカーから Rhapsody in Blue がほとばしるとき、彼女の青白い指先は音の錦糸を操るように動く。薬局の音響はハシバミさんが担っており、場所柄もなくコーヒーでも飲みたくなるのは、その抜群の選曲センスのおかげに違いない。かつてはバイオリンを弾く音大生だった彼女が、薬科大学に入り直し、薬剤師に転向した理由を「いつか話します」と言っていたのは、かれこれ五年以上前のことだったか。
硝子張りのショーケースの上には、モノクロームのポートレイトが一つ。布の端切れで頻繁に拭き清められるので、積もるが仕事の塵ですらその業務を全うできない。塵たちの苛立ちを買っているのは、ほかでもない濡れ羽色さんだ。大きな体を丸め、真冬でも半袖白衣で突き通す彼の右手が、今日も硝子の表面を拭っている。永遠の不動となってしまった薬局長が、くすぐったさに耐えかねて、目尻を下げると信じているかのように。

処方箋が処方薬となったあとも、私は油を売りつづける。品の良いいぶし銀さんの美しい日本語に背筋を伸ばし、博学な濡れ羽色さんのにわか講義を拝聴する。意気投合したハシバミさんとは読んだ本の感想を交わす。もちろん、見るからに忙しいときは身の程をわきまえる。のびあがって調剤室越しに目配せをし、写真に向かってそっと会釈をする。

必要な灯の少し足りない喫茶店と、あかときに飲む舌が痺れるほどに冷えたカルピス牛乳、それから、明日は海、と思いながら目を閉じ眠りに落ちるまでの時間が好きなのと同じくらい、この古い調剤薬局が好きだ。娘と毎月お世話になる大学病院併設の、三十人は下らない薬剤師が忙しく立ち働く薬局も、母のかかりつけ病院の近くにある、かれこれ四十年は通いつづけている長閑な薬局も、それぞれに親しみ、信頼も厚い。だが、第二次世界大戦後の焼け野原に建てられたこの古い調剤薬局には、鳴りやまない音楽と終わらない物語があり、それが私を捉えて離さない。
並べて薬局には記憶と物語がある。そうであるからこそ、薬局は私自身の物語と記憶になる。

薬の受け渡し場所に過ぎなかった調剤薬局が、揺らぎを止めない日々の揺るぎない場所となったのは、娘と暮らしはじめてからのことだ。
生後六ヶ月から保育園でお世話になった娘は、あらゆるウイルスからの洗礼を受けつづけ、平日を保育園で過ごすのと同じくらいの自然さで、週末は小児科に通うのが当然だった。
咳きこみ、鼻水をすすり、高熱にしぼみ、お腹をくだした彼女を、不安に胸を締めつけられた若き母親が、慎重にベビーカーに収めて壊れもののように運び、あるいはバラバラになりそうな体をひしと抱きかかえて歩く、四季を通じて美しい欅街道の、細い横道に逸れた先にある突きあたりに、くだんの小児科はあった。遠い記憶というものはたいがい、三つのうち一つの電球が切れてしまった部屋のように、そこにあるもの全てがぼんやりとしているものなのだが、その小児科に至る道のりだけは、むしろ明度が上がったかと思うほどに鮮明で、今はもうない店の外観、吹く風にはためく暖簾の形状までも、はっきりと覚えているほどだ。

絵本に出てくるような鳩時計が、呑気に時を告げる個人医院の、ビニール張りの白い長椅子に座り、呼びだされるのを今か今かと待つ泥のような時間のあと、彼女の状態を医師の判断に預けると、私の心はようやく軽くなるのだった。ヘルパンギーナ、プール熱、ロタウイルス胃腸炎、インフルエンザ。診断がつき、看護の指導がなされ、快癒の目途が示されたあとは、緊張のほどけた私にもたれかかる娘の身体も柔らかくなっている。

娘は処方箋が好きだった。その用紙に書かれた内容がなんであるかわからなくても、薬局の高いカウンター前で爪先だち、微笑みかける白衣の人に差し出せば、その人を喜ばせることができると学習してしまってからは。

─Yちゃん、こんにちは。お熱が出たの?辛かったわねえ。
─お腹がぐるぐるするの?それはたいへんだっでしょう。
─頭が痛いのね?さっきが十だったら、今はいくつくらい?

そうした事実確認と共感の言葉の種を蒔いたあと、三十代と思しき髪をお団子にまとめた薬剤師は、その麗しい顔に大輪の花を咲かせるのだった。娘のために。娘だけのために。
甘い夢のような桃色の水薬と、ままごと茶碗のようなケースに詰められた塗り薬を、かわいらしい薬袋に収めていくその手さばきを、娘は熱にとろけた目のまま、飽かず眺めていた。そして、最後にシール帳をひろげ、好きなシートを選ばせてもらう瞬間を愛し、頑張ってお薬飲んでね、と声をかけられて薬局をあとにする瞬間を愛していた。そして、次に薬局を訪れるとき、お薬ちゃんと飲めた?と訊ねられれば、うん飲めたよ、と返すそのやりとりがほとんど約束された未来を、心から愛していた。
ときどき、彼女は手紙を書き、保育園からの帰り道にあるその薬局の扉を抜けて、お団子の薬剤師さんに手渡した。もらったシールで慎重に封をした、封筒の中にあるその手紙を、彼女は「秘密」という言葉で封印し、私に見せてくれることは決してなかった。

生まれ育ったその街を四歳で去った娘は、おおむね健やかに成長したが、十三歳の誕生日を目前にして、前触れもなく病を得た。
某大学病院で行った検査の帰り、久しぶりにあの街に行ってみたい、と彼女は言う。いったん大量の薬で鎮火させた病は、再燃を兆していた。その日は熱こそなかったが、手足が鉛になっていた。痛む関節を無意識に擦っては、はっとして目を伏せ、周囲の人に気取られてはいないかと、そっとあたりを伺っていた。
十一月の、匂いたつような黄昏時、琥珀色に染め抜かれたその街を、日傘を並べて私たちは歩いた。どこかを訪ね誰かに会いたいわけでもなくただ歩きたいという、ハンドルの壊れた車のような彼女の気分に乗っかるようにして。発病してからこのかた、紫外線を怖れ、街歩きをすることの絶えてなかった彼女と、かつてこの街を縦横無尽に歩いた記憶が、残酷なまでに蘇ってくる。
紅葉した欅並木は、雑然とした人の営みから離れて超然としている。私も欅も相変わらずだ。何一つ変わらない。

一歳のころから行きつけだったカフェはなくなり、スタッフ全員に可愛がられていた古本屋も消えてしまった道を、彼女は「こんなところだったっけ?」とか、「なにもかも小さく見えるんだけど」などと、驚嘆の目に落胆の色をちらつかせながら歩き、不意に足を止めた。そして、ガラスの自動扉から少し距離をおいて、その扉が開いてしまわないように細心の注意を払いながら、長い時間、扉の向こうにあった、今もあるかもしれないものを見つけようとしていた。花のような薬剤師さんと、その人に恋をしていた幼い自分の面影を。病気が日常の剥奪ではなく、日常の芳醇でもあった日々の残滓を。
親子連れが彼女を一瞥し、眉間をよせて扉を通りぬけていく。中で薬の処方を待つ人たちの、訝しげな視線が容赦なく彼女に向けられる。それでも娘は動かなかった。他者の侮蔑や好奇の目の集中は、彼女の夢中に何の効力を持たなかった。
ようやく娘は踵を返し、手をのべて私の肘にそっと触れる。言葉は要らない。彼女の薬局は、もう彼女のものではなかった。

夫の残した大量の薬は、破棄するほか選択肢はなかったのに、私はしばらくそうすることができなかった。薬は、生前彼が買った籠のケースに長くとどまり、その途方もない量を以て、速やかに捨てることを要請しつづけたが、私はそれをクローゼットに押こみ、視界に入らないようにした。目にしなければあるものすべてをなかったことにできる、とでもいうように。

それらのほとんどは、彼が通った心療内科で処方されたものだ。夫は、与えられた服薬方法を守らなかった。思慮深い人であるのに、病との戦い方は聞きわけのない子どものようだった。主治医の説明には、神妙な顔で頷く。にもかかわらず、自らを言い含めるような口調で「調子がいい」を繰りかえし、飲む量を極端に減らす。不安定になれば、いつ果てるともわからない沈黙を突き通し、咄嗟に過剰摂取をする。

私が薬を管理するほかなかった。毎晩、薬を仕分け、ピルケースに収納する。傷病休暇中の彼にそれを渡し、定時にきちんと飲むようほとんど懇願する。毎晩、その努力と祈りが反故にされた現実に向きあう。そして、また薬を仕分け、ピルケースに納める。

思いあまって、かかりつけの薬局に足を運び、相談に乗っていただくこともあった。主治医は露のようにひんやりとしていたが、薬剤師は陽だまりのようにあたたかかった。忙しい時間を割いて、知恵を絞り、あれこれ提案してくださったのも一度や二度のことではない。
それは、繁華街の中心に位置し、商品や広告、貼り紙やリーフレットがさながら洪水のように溢れ、大型テレビから駄々洩れするワイドショー番組が神経を逆なでするような、有り体に言えば落ち着かない種類の調剤薬局だった。しかし、若い薬剤師の誠実に触れたあとは、涸れた心が潤うのを感じた。薬は、と彼が口を開く。薬は、Tさんにとって、自分が病気であることを証しする存在なのかもしれませんね。だから、反発と屈服を繰り返してしまうのかもしれません。上手に頼り、必要がなくなればきっぱりと別れればいいのですよ。私からも話してみましょう。
有言実行のその人は、夫が薬局に寄るたび親しげに声をかけ、話を聞こうとしていた。だが、夫はそうした服薬指導を喜ぶどころか、嫌悪すらしていた。ふざけんな。己惚れるなよ。何もわかっていない癖に。
そんなこと言わないで、と彼を諫めようとした私も、何もわかっていなかったのだろう。一度は断薬まで辿りついたのに、震災のストレスと職場のパワハラにより元の木阿弥になってしまった彼の、文字どおり焦げつくような焦燥と当惑を。

半年の入院のあと、薬の調整に失敗した彼は再び入院した。主治医の方針に背き、社会復帰を強く促すきょうだいからのプレッシャーに喘ぐようにして、種類と量の削減に急いていた。どうして減らせないんだ?と彼は自らに向かって悪態をつく。そして、急坂を転がり落ちるスピードで不安定になり、ブレーキを失った車の勢いで衝動を抑えられなくなっていく。結局、大量の薬で心身を管理され、それを飲むばかりの日々に戻っていった。

彼が死んだあと、その調剤薬局の前を通りかかった。挨拶の必要性を感じたが、どうしてもその扉の前に立つことはできなかった。指一本動かさずとも、するすると開く扉が怖かった。
あれほどまでに親しく思え、いっときは私にとって砂漠のオアシスだったその薬局は、燃え尽きた家のようになって燻り、私を威圧する。有能な薬剤師さんだった。みなさんにも親切にしていただいた。それなのに、見つかることを怖れるように早足で通り過ぎることを、無意識のうちに行うようになる。

ある日私は足を止める。その薬局がドラッグストアになっている。心臓が早鐘を打つ。背筋が凍りつく。この動揺はいったいどこからくるのだろう。私の中でひろがるこの感情は?薬局の消滅を喜んでいるのか悲しんでいるのか、その区別さえできなかった。
店頭に立ちつくし、足もとにひしめく洗剤の値段を確かめるふりをする私の目に、源の知れない涙が水位をあげていく。

古い調剤薬局の急峻な階段を伝って、白い棺が降りてくる。通りの向こうからそれを認めた私は、無造作に折り畳まれた鞄の中の処方箋を、今日はこのまま眠らせようと思う。
亡くなったのはあの人だろう。なぜなら、喪服を着た男性の先導で、白衣の濡れ羽色さんとハシバミさんが棺の前後を担ぎ、同じく白衣のいぶし銀さんが、そのあとを護っているのだから。
薬局の待合室で方角を変え、苦労してガラスの自動扉を抜けると、待っていた黒い車にその棺は飲みこまれる。車を囲む人たちは、近所の佃煮屋さんのご夫妻や、眼鏡屋さんやお寿司屋さん、スーパーの従業員の方々だ。それから、就学前の子ども、中学や高校生と思しき制服姿子どもたちも見える。感染症の蔓延で、人の集う場面はないに等しかった当時、その人波の意味に説明はいらなかった。私は横断歩道を渡り、薬局から少し離れた角に佇む。
フォーレの『夜想曲』が流れ、ショパンの『夜想曲 第20番嬰ハ短調』が流れ、幾筋もの涙が流される。ドビュッシーの『夜想曲』に包まれながら、とうとう亡骸は発つ。いぶし銀さんを乗せた車を従え、加速していく黒い車は、たちまち都会の濁流に飲み込まれ、ほかの車と見分けがつかなくなる。

みごとな白髪を優雅に波打せたその人を、最後に薬局で見たのはいつのことだったか。
調剤室の硝子越しに見える姿は温厚を気配にしたような穏やかさで、ゆっくりと錠剤を切りわけたり、ていねいに軟膏薬を作りながら、ときどき辺りを見わたす二つの目は新緑のように柔らかかった。私の辞書には怒りも哀しみもない、況してや憎しみなど、とでもいうように。戦後まもなくここを開局したのは、枯れてもなおみみずみずしいこの人だろう。鷹揚でありながら高潔そうな彼の、人生そのものである薬局。

一度だけ、この紳士のような薬剤師に調剤をしていただいたことがある。
夫の死後、おおよそ物事が片づくと、にわかに眠れなくなった。やむにやまれずかかりつけの内科に事情を話し、出してもらった処方箋を、その日もまっ先にやってきた濡れ羽色さんに手渡す。空っぽの身体を丸椅子に乗せて待っていると、薬を調合したその人が、銀のトレーにそれを乗せて現れる。柔和な二つ目の上に、ぼた雪のような眉がかかっている。少し大きめの耳は、どんな小さな声の小石も、ひとつ残らず拾い上げそうだった。

─眠れないですか?
─はい、なかなか寝つけません。それでとうとう。
─薬が合うといいですね。
─はい。
─きっとね、合いますよ。
─はい。
─薬が効いて、眠れるようになりますよ。すこしずつ元気になって、食事も摂れるようになりますよ。
─はい。
─わたしもね、しょっちゅう眠れんのですよ。そんなときね、こうして眠れなくて、天井を穴が開くほど見つめている人たくさんいるんだろうなあ、と思ったりね。その人たちの辛い胸のうち、想像したりするんです。生きていると、しんどいことが、たくさんありますね。
─ええ。
─お薬、飲んでみてください。困ったことがあってもなくても、話にきてくださいね。わたしね、鉄観音茶を煎れるのが滅法うまいんですよ。飛びっきりのお茶があるんです。次にいらっしゃるとき、どうですか?

調剤室から出てきたハシバミさんが、白髪さんの傍に立つ。ではレジを頼みますね、と言いながら立ち去ろうとする白髪さんの背中に、いやだもう、またナンパですか?と冷やかしの言葉の水をバサッとかけて振りかえった彼女の顔には、その軽口に似合わない静けさが広がっていた。

─薬局長が処方する薬は、ほんとうによく効くんです。眠れるようになりますよ。
─そうですか。
─そうなんです。ほんとうにそうなんです。

囁くようにそう言ったあと、彼女は軽く頭をさげる。それから目を細めて私を見つめ、見えないはずの私の未来を、じっと見つめた。


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