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ヒヤシンス

一月の初め、鉢植えのヒヤシンスを三株買った私に向かって、「寒いところに置いておくといいよ。」と花屋の主人は言った。厚手の赤いとっくりセーターが、見るからに暖かそうだ。二月の初め、さらに五株買い足した私に向かい、「日向ぼっこさせるといいよ。」と同じ人が言った。白いビニール製のエプロンに、蝋梅の枝が無造作に差しこまれている。
気の利いた言葉の代わりに、飛び切りの笑顔を返し、ヒヤシンスを手に提げて、私は家に帰る。眠たげな長いマフラーをぐるりとまき直し、綿あめのような白い息を顔の前に浮かべながら。

家に着いたヒヤシンスたちは、緊張のあまり青ざめている。ツンと尖った小さな蕾は、舞台の袖で出番を待つ少女の横顔を思わせる。かわいいなあ、と私は呟く。かわいいね、と日々言われつづけている犬が、ヒョイと耳を立てて私を見る。

身体をこわばらせたまま、ヒヤシンスはときどき庭に連れ出される。それ以外は暖かい部屋の、ひんやりとした窓辺に置かれる。そんな毎日の繰りかえしの中で、ヒヤシンスの緊張はむかし話になる。あとは自由に、気の向くままに、すべての蕾をほどくだけだ。
明るい陽射しに目を細め、厳しい寒さに目をぱちくりさせながら、瞬く星のように咲いていく。窓辺に並ぶヒヤシンスの向こうでは、紅梅が朗らかに咲いている。

深夜、鼻先の冷たさに目が覚めると、最初に香りがやってくる。曖昧な夢の残像を駆逐するような、甘くて透明な香り。それからシルエットが浮かびあがる。暗闇に慣れた目が捉える、くるくるとした巻き毛を持つあどけない顔。不意に悲しみが満ちてくる。それは私の全身を浸し、行き場を失ってあふれ出す。悲しみを胸の奥に押しこみ、瞼をかたく閉じて、私は眠りの海に戻ろうともがく。

嗅覚は、記憶にまっすぐ放たれる矢だ。ヒヤシンスは、祖父の好きな花だった。花屋を誠実に営み、家族を温かく包んだその人の、抱擁を失って久しい私は、過去に向かって目を開く。

花屋の店頭いっぱいに、水耕栽培と鉢植えのヒヤシンスが並ぶ。それは春の到来を告げる、鳥のような花たち。その一株一株に、「風信子」と書いた札が挿してある。それは節くれだった祖父の指が綴る、この世で一番優しい文字。
ヒヤシンスは風信子と書くんだよ、と祖父は繰り返し私に教えた ─ 信子は彼の愛のすべて、ほかでもない祖母の名前だっから。

布団をかき集めながら、寝がえりを打つ。ヒヤシンスの白い花が一輪、音もなく私の背後で落ちる。  

窓辺のヒヤシンスはその香り失い、日ごと鮮やかな色を濁らせていく。さようなら、と私はささやく。さようなら、という言葉の嫌いな犬は、背中を向けたまま微動だにしない。

花茎の付け根を切り落とし、葉が黄色に変わるまで待つ。かつて祖父がそうしていたように。静謐な球根を掘り出し、大きなコンポストに植え替える。日の当たらない場所にコンポストを移し、長くて暑い夏を越えさせる。祖父の丁寧な仕事を思い出しながら。庭に霜柱が立つと、祖父の懐かしい声がする。ヒヤシンスにとって冬の寒さは贈りものなんだ。元気な花芽を育てるからね。そうして育まれた健やかな花芽は、土壌のぬくもりに目覚めるときを知り、去年より少し華奢な体を精一杯伸ばして、あどけない花を咲かせる。

今年もコンポストにヒヤシンスを移し替えた。もはやいつのものかもわからないヒヤシンスと、二年前のヒヤシンスと、昨年のヒヤシンスと、今年のヒヤシンスがところ狭しと眠る、大きなコンポストを置いた庭を、窓から眺める。

ヒヤシンスは来年も咲くだろう。来年咲かないヒヤシンスもあるだろう。
唯一確かなことは、どんなヒヤシンスもいつかかならず土に還るということだ。祖父がそうであったように、落ちてくる命を受け止める、大きな優しい腕となるために。ありふれた日常の繰り返しを、少しずつ前に進ませるための、寡黙な循環として。


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