見出し画像

指を燃やす

明日から新学期という日の夕方、私は横に長い台所で蟹歩きをしながら夕餉の支度をしていた。その先に待っている結果から遡ってみれば、食べることのない3人分の夕食を脇目もふらずに作っていたことになる。
やむを得ない残業で予定より帰宅が遅くなったことが、私の血圧をわずかに上げていた。人見知りの激しい娘は、クラス替えのことを思い煩うあまり鈍い頭痛を訴えており、なにごとにも呑気な下の娘は、新しく買ったばかりの上履きが見当たらないと長閑に笑っている。長女を早くお風呂に入れて、ゆっくり本でも読んであげよう。二女が布団に潜り込む前に、一緒に上履きを探さなければ。
哲学者のような顔つきで台所を歩き回る犬が、空っぽのボールが満たされるときを待っている。明日のドッグフードが足りないかもしれない。川向うのスーパーで売っているだろうか。

春は、慣れた手つきで世界のねじを一つずつ弛めていたが、夜になると神経を尖らせ、弛めたねじをきつく締めなおした。
細くあけた窓から忍び込む風に、首筋が強ばったことを憶えている。七分袖のブラウスから覗く手首が、やけに無防備に感じられたことも。飴色に輝く煮豚に、ふと罪の意識のようなものを感じたことも憶えている。
時計と目が合う。19時。

急いでみそ汁の入った雪平鍋を火にかけた私は、銀色の淵に細かな泡が集まるさまを見ていた。そして、儚い蝶のようなブラウスの袖口に火が点くのを。それから、燃えあがった火がその袖を駆け上がるのを。
そのとき私の頭を稲妻のように過ったのは、夫に火を点けられたある女性が、その火を消そうと浴室へと走る途中で全身焔に包まれ、辛うじて一命は取り留めたものの瀕死の重傷を負った話だった。犬が激しく吠える中、コンロの火を消し、シンクの水道を全開にして、私は燃える半身を流水の下に投げ出した。彼女のしたことをしてはならない。そして、その「しなかったこと」が、私を救った。

燃えたのは、ブラウスと私の上半身だけだった。台所は無傷で、壁は顔色一つ変えなかった。私を襲った恐怖をきれいに覆った安堵が、焼けただれた皮膚の激しい痛みと、大きく脱線した現実のありようを正しく理解させることを妨げる。とにかく娘たちに急いでご飯を食べさせなければと、火災報知機の鳴り響く台所で、袖の焼け落ちた腕を伸ばし、まだ熱い鍋をもう一度火にかけようとする。しかし、機械の渾身の叫び声が、しぶしぶ明日の用意をしている娘たちを二階から引きずり下ろし、近所の人たちを立ち上がらせ我が家に向かって走らせる。私の姿を目の当たりにした娘たちが泣きじゃくる。私を一瞥した隣家の方が救急車を呼ぶ。昂る人びとの傍らで、仕あがり間近の夕食は休息に冷めていく。

腕の部分はⅡ度の熱傷、肩から腰にかけてはⅢ度に近い熱傷、腰の部分はⅢ度の熱傷ですねと、板書を読み上げる教師のように、乾いた声で医師が言う。今や、痛みに耐えることに全神経を集中している私は、その意味を理解しないまま小さく頷く。
処置を手伝う看護師が、困惑の溜め息を漏らす。もう一人の看護師が、移植?と言ったなり言い淀む。背中とは、平時においてさえ自分のものでありながら、その不詳さゆえ他人のそれに近い。私の背中は今、どんな状態なのだろう?

折しも夫は長期入院中で不在だった。自宅治療以外の選択肢はなく、明日受診することを条件に、応急処置のひとまず済んだ体をコートに包み、独りで自宅に戻る。
ほどなく、バックミラー越しに私を盗み見るタクシー運転手面の目が、畏怖と憐憫のあいだを行き来していることに気づく。窓ガラスに映る、焦げて毛先のちりちりになった髪を垂らし季節季節外れのウールのコートを羽織った人が、鋭い目つきで私を見つめ返す。こうした好奇の目に晒されることも、その不審な人物が私であることも、この切り裂くような体の痛みまでもが、誰かが脳内で創りあげた虚構の物語のように思えた。
夜道を歩く猫のようにやわらかく、森山直太朗の「さくら」がラジオから流れてくる。音楽は車内を満たし、やがて細い糸になって消える。そのあとに生まれた清澄な空白を、番組のパーソナリティーが言葉で乱暴に埋めたてる─明日は新学期の方も多いのではないでしょうか。これをお聴きのリスナーの皆さん、準備はもうできていますか?

タクシーは真夜中の国道を滑走し、住宅街を縫ってなお進み、灯の消えた家の前で静かに停車した。そして、お釣りをトレーの上に置いた運転手のそれまで固く閉じていた口から、「お大事に」という言葉がおずおずと差し出された。

玄関は、水を打ったような静けさと、苦い匂いに浸されていた。実家に引きうけてもらった娘たちがようやく眠ったことを電話で確認すると、横たわる背中を失った私は、誰もいないダイニングの椅子に浅く腰を下ろす。そして、容易に忘れることのできないであろうこの夜の空が白み、朝にとって替わるのを待つ。

時が泥水のように流れてもやってこない朝は、どこかで堰きとめられているに違いなかった。痛みは激しさを増し、火の消えた背中はむしろ燃えるようだ。私の背中は今、どんな状態なのだろう?
いったん心の中に熾された疑問は消しても消しても燻りつづける。襖をあけずにはいられなかった夕鶴の与ひょうの心に思いを馳せながら、傷を覆うガーゼを慎重にはがし、合わせ鏡で背中を見る。

そこに広がっているものから、私は目が離せなかった。

そこに広がっていたのは、降りしきる桜吹雪だった。
台東区のとある病院のベッドの上で、清拭を受ける叔父の上半身は見渡すかぎりのピンク色で、肩から背中、両腕にいたるまで、桜の花びらが優美に舞い踊っていた。
新しい病院の掃除の行き届いた個室に、いつも叔父はいた。その頃の叔父の病状がさほど深刻ではなかったことを考えると、騒がしいことを厭う叔父がその部屋を選んだものと思われたが、お世辞でも真っ当には見えない人びとの出入りの激しさに怯えた病院が、にこやかな笑顔でその部屋を彼にあてがったのかもしれなかった。

理由が何であれ、その病室は奇妙に人を魅了するものがあった。私は、訪れるたびに部屋の入り口で足を止め、壁にかかった選りすぐりの絵を鑑賞するかのように、目の前に広がる小さな世界を隅々まで堪能した。
彫りの深い叔父の顔が、窓から差し込む春の淡い光を浴びてのっぺりとしている。刈り込まれた短い髪は、冬の芝生のような静けさを湛えている。ベッドの足元には数枚のキャンバスが立てかけており、角度を変え、場所を変えて描かれた奥入瀬川は、等しく目にも鮮やかな翡翠色に染めあげられている。私はそのうちの一枚に目を凝らす。あの川の水面に浮かぶ桜の花びらは、川の上流から流れてきたものだろうか。
サイドテーブルに置かれた瀬戸物の大きな花瓶には、満開の桜の花が生けられている。うつむく枝が白いシーツの上に花びらを散らすのを眺めながら。なんだかチェーホフの桜の園みたいだ、と思う。私はもう一度、叔父の背中の桜吹雪を見つめ、今度は南向きの大きな窓に視線を移す。桜の梢が見える─こちらも満開だ。

落ち着きのない私の目に何かを感じたのだろう、訊ねられない質問に叔父はすらすらと答える。

─20年前だな、これを彫ってもらったのは。綺麗だろ?腕のいい職人に頼んでね。この肩のあたりの花びらなんか得に。

清拭をする手を動かしながら、若い男性が神妙な面持ちで頷く。叔父のベッドに歩みよる私の足が、花に酔ったようにもつれる。
目の前の白いタオルが叔父の花びらを救い上げてはまた背中に散らす。絵の中の花びらが旋回しながら川を下っていく。花瓶に生けられた桜の枝がはらはらと花びらをこぼす。窓の外の花びらが風に砕けてあたたかな吹雪になる。噎せかえるような春だ。
叔父と私の目が出会う。

─どうして彫ったの?

叔父は目を逸らす。そして、

─姉さんには言うなよ。

と釘を刺す。

10代で心臓弁膜症の診断を受けた叔父は、そのころ心疾患と糖尿に体を蝕まれ、入退院を繰り返していた。高校卒業と同時に故郷を離れ、私の父方の祖父の通夜にふらりと現れるまで、家族にさえその消息は知れなかったが、年の離れた弟だけが唯一、切れそうに細い連絡の糸を握りしめ、その手を離さずにいたのだった。

姉である母のことを慕いながらもその思いを素直に表せない叔父は、ねじれた感情の矛先を姪である私に向けた。
私は訊かない人だった。叔父は訊かれたくない人だった。叔父を脅かすことのない私は、噛みつく牙を持たず無邪気に啄むだけの小鳥のようなものだったのかもしれない。そして、捕りたい魚を捕るには便利な網のようなものでもあったのだろう。
待ち合わせの場所に、いつも叔父は若者を二人引き連れてゆっくりと現れた。ペースメーカを錨のように沈めた体を大儀そうに動かし、指定時間よりほんの少し遅れて。「姉さん、元気か?」と私に訊ね、私が頷くとそれで用は済んだ。天婦羅の昼。土壌鍋の午後。串焼きの夕方。握り寿司の夜。私の胃に食べきれないほどのご馳走を詰め込み、両手に持ちきれないほどのお土産を持たせると、若者を両脇に侍らせながら、またゆっくりと去っていく。

12月初旬の午後、私は浅草寺の裏手で叔父を待っていた。
歯の根が合わないほど寒い日だった。私はマフラーを包帯のようにしっかりと巻きなおし、手袋で覆った両手をポケットに収納する。白い息が私の口から逃れていく。寒いな、遅いな、と口に出して言ってみる。
すべての葉をおとした桜の木が、孤独な骸骨のような姿で立っている。脱兎と見まがう人の長い影が、その木の前を駆けていく。空には雲一つない。寒いな、遅いな、ともう一度、今度は語気を強めて言ってみる。

いつもよりもさらに遅れて、叔父はゆっくりとやってきた。傍らにはいつも若者たちの影もかたちもなかった。
叔父と二人きりで会うのはその時が初めてだった。そして、それが最後になることをその時の私は知らない。
人は、遠く離れた場所でふと振り返ってみたときにようやく知るのだろう─そこにある時間の重さ、その時間に隠された意味を。
乱れた息を整えながら、紫色に変わった私の唇に視線を走らせ、

─ぜんざいでも食いに行こう。

と叔父が言う。

梅むらの店内は熱かった。たび重なる移動でふたたび息の乱れた叔父は、眉を上げることで高すぎる室温への非難を表明しながら、小豆色のセーターの袖を忙しなく捲りあげる。そして、出現した鮮やかな桜吹雪に目を奪われた私を認めると、急いで袖をもとの形に戻し、火照る顔をヒーターの方に向け、熱すぎるよな、と罪のない機械に文句を言う。

私は訊ねなかった。しかし、叔父は答えた。彫ったのは忘れないためだ、と。

─人は忘れてしまう。忘れていいこと、忘れてはならないことの区別もできずにだらしなくどんどん忘れていくんだ。記憶に刻むというけれど、そんなのただの比喩だ。みんな消えてしまうんだ。だから忘れないように体に刻む。見せびらかすもんじゃないんだぜ。ましてや人を脅すためでも。強さの誇示?勇気のあかし?笑わせんなよ。

何を忘れないようにしているの?と、私は訊ねる。
何をかって?叔父は、目の前に置かれた熱々のぜんざいを箸で出鱈目につつく。その箸の一撃があけた小豆餡の穴から、一筋の湯気が勢いよく立ちのぼる。

─言うほどのことじゃない。俺が燃やされるとき、一緒に焼き捨ててかまわない程度のことだ。自分の一大事は他人にとって屑みたいなもんだよ。そうじゃないか、なあ?

やってみようかな、と私は呟く。やめとけ、と叔父は即座にその言葉を裁ち切る。

─忘れちゃならないことが、忘れなくてはならないことになることもあるからな。刻んでしまえば消えない。忘れたくても忘れられなくなる。

ぜんざいが冷えていく。叔父は粘る餅と格闘しながら、熱いうちが上手いんだぞ、と私にも食べることを促す。

二か月後、叔父とともに桜吹雪は燃え尽き、何も語らない白い骨だけが私たちのもとに残された。

そこに広がっていたものから、娘たちはしばらく目を離せなかった。
それから、上の娘は静かに泣き出したが、下の娘はなおも私の背中を見つめつづけた。

翌日から、私の腕と背中のカーゼを交換するのは下の娘の役目になった。大丈夫、病院で頻繁に交換してもらっているし、あとは自分でできるから、と言って拒みつづける私の言葉に耳を傾けず、10歳の少女は毎晩、浴室前で私のシャワーが終わるのを待っていた。怖くて手伝えない長女を詰ることも、謝る私に偉ぶることもなく、ただ淡々と患部をきれいにし、清潔なガーゼを当てがった。広範囲に及ぶ熱傷であり、辛うじて皮膚が再生し移植は免れたもののとりわけ腰の部分は重症で見た目も悪く、多くの時間と忍耐力をふんだんに要求するものだったにもかかわらず、3か月ほどその作業を継続させ、傷が縮小し、私が自分で手当てできるようになったのを冷めた眼で確かめると、いかなる感慨も表さずに、その看護役から退いた。
傷を得てから約7か月、痛みや違和感のため背中をつけて眠れない日々がつづいたが、やがてそれにも終わりが来て、私は熱傷のことを忘れた。実際は、喉元過ぎれば熱さを忘れ─たかのように、忘れたふりをした。

娘は忘れなかった。吊り革をつかむために上げた腕の袖口からケロイドとなって残された傷口がちらりとでも覗くと、袖を引き下げ、強い視線で周囲を見渡し、存在しない好奇の目を予備的に威嚇する。旅の計画を練ると、温泉にはいかない、と候補にあげる前から排除する。ときどき、服の上から背中をそっと触って、痛い?と訊いてくる。もうぜんぜん痛くないよ、と答えると、それは嘘、と私の正直でないことを信じるあまり抑えきれない憤慨に声を荒げる。
火傷の痕を薄くする、という謳い文句の軟膏を買ってきてくれたこともあった。毎晩、私の腕のケロイドに塗り込み、毎朝、その部分の状態を検討する。期待する変化はいつまで経っても訪れなかった。年末年始の慌ただしさに塗るのを忘れたことを契機として、軟膏は薬箱の暗がりに横たわりつづけ、二度とその口を開かれることはなかった。そして、彼女の口から「痛い?」という問いかけがなされることも、二度と。

あの夜、私たちは散歩に出かけた。
夫が逝き、生母に引き取られた長女がいなくなると、かつての4人家族はうっかり落として割れてしまった皿のように、きれいに半分になった。
もうすぐ、家族で過ごした家を去ることになる。もうすぐ、彼女は小学校を卒業する。何もかも目の前なのに、それを直視することが苦しかった。あの日々から遠く離れたいと願いながらも、そこから歩き去るための足はもつれてばかりだった。

季節は弥生も半ばだった。
曲がり角に立つ老いた桜の木には、ピンク色の亀裂を走らせた蕾がたくさんついていた。もうすぐ蕾が割れて、花びらがあふれ出すのだろう。シルクハットの中から羽ばたく白い鳩のように、晴れやかに。
春は世界のねじを弛めていたが、夜になるとそのねじを締めなおした。冷えた夜風が背後から吹き寄せ、不意に首筋の強ばるのを感じる。私は足を止め、闇に溶けはじめたトレンチコートの袖先を見つめる。そして、コートの下に隠された視えない傷の痕を見つめる。

そのとき、私の背中に手を伸ばした娘が、もう痛くないの?と訊ねた。もうぜんぜん痛くないよ、と急いで私は答える。そして、私の中に潜むもう一人の私が、解き放て、と囁く。

─ずっと前に、叔父さんが言ったことをときどき思い出すんだよね。人は忘れてしまう。忘れていいこと、忘れてはならないことの区別なくだらしなくどんどん忘れていくんだって。叔父さんには、絶対に忘れてはならないことがあって、だから体に桜の刺青をしたと言っていた。桜か、桜の季節ににまつわることなのかな。それがなんであるのか言わないまま死んでしまったから、結局わからず仕舞いなのだけれど。私の場合はその反対。どうにかして忘れたいことなのに、こんなにもはっきりと身体に残ってしまっている。
叔父さんは、刻める記憶なんてぜったいにないって言い切っていたけれど、私はそうは思わない。ものごとはときに爪を立てて、記憶をひどく傷つけてから心に刻み込んでしまうこともある。私の体に残った記憶は、いつか私ごと消えてしまうけれど、あたなの心に刻み込まれた記憶はどうしたらいい?忘れていいよ、といっても忘れられないあなたの記憶を、どうしたら消すことができるかな?

なんで忘れなくちゃならないの?と彼女が訊きかえす。

─私は憶えていたい。たしかに、お母さんが燃えたあの日のことはぜんぶ嫌だけど、私はお母さんの傷の手当てをずっとしてきて、そうするうちに、お母さんの傷はよくなって、もう痛くなくなったって。はじめは嘘だ、と思ったけど、何回もしつこく確かめて、そうなのかな、とやっと思えるようになった。ちゃんと進んだこと、あと戻りしなかったこと、すごくよかったと思う。そのことを考えると、落ち着く。何もかもだめにならなくてよかった。最悪だったのに、最悪じゃなくなったっていうことが、すごくよかった。

何を忘れまいとしているの?と、私が訊ねたとき、叔父は、目の前に置かれた熱々のぜんざいを箸でつつきながら言った。忘れたくないことも、自分が死ねばすべて消えてしまう。自分にとって大事なことは、ほかの人には取るに足りないことだ。そんなもんじゃないか、なあ?
叔父の声がする。

─そう。それじゃあ背中の傷のことでもう悩まないことにするよ。

へえ、なんだ悩んでたの?と言って娘がくくくっと笑う。
彼女は歩き出す。歩幅を広げ、どんどん歩くスピードを上げ、調子に乗って手に持つ懐中電灯を勢いよく振りまわす。
前を行くその光が、背後を歩く私の指先を確かに照らしたとき、闇から救いだされたその指は白く輝きながら、先の見えない夜道を照らすように静かに、ぼうっと燃えあがった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?