私の才能
ここは日本で謙遜の国で自己の良の部分を自分で話することをよしとしなくて
誰にも話したことはないけれど私の才能は「優しさ」
スポーツが得意な子、勉強ができる子、ピアノが上手な子、字が綺麗な子、秀でて何かができる子が私の周りには多く、子供の頃は他人の才能が羨ましくて仕方なかった
私もいつか素敵な才能が開花するのではないのかと淡い期待を抱きながら、心の奥底ではわかっていた『私には一芸に秀でた才能がない』のだと
ある時「才能っていうのは誰しもが持って生まれてくる。それはスポーツができたり勉強ができることだけじゃない。例えば『努力家』『行動力』、『誰かを笑顔にする』、『集中力』、そういうものも全て才能」だと知り、私は自分自身に聞いてみた
【私の才能は何?】
私が持って生まれた才能、それは「優しさ」
たぶん私は優しいきっと他の人たちよりも優しさを多く持って生まれてきた
それが私の才能
そんな才能嬉しくない
優しいからなんだって言うんだ
なんの役に立つって言うんだ
誰もが当たり前のように持ってるものを才能として持ったとしてどうやって輝けと言うんだ…
子供の私にはそれが苦しかった
誰にも認められない才能を持って生まれたことが
子供の頃も大人になってからも本当にただ優しさが他人に消費され踏み躙られ削られるだけだった
見返りやいいことなんて何もなかったし優しさのせいで傷ついてばかりだった
傷つかなくていいことにまで傷ついていた
他人の痛みにさえ自分自身が傷ついたのだから
それでも私はやっぱり今も捨てられずにいる
「いいことをしたらいいことが返ってくる、悪いことをしたらいつか自分に返ってくるのよ」
どれだけ自分の優しさが搾取されてると感じても母親の言葉が、教えが、私の中ではどうしたって捨てられない
生き方を変えるなんてできなかった
冷酷に生きることも悪人のように生きることも私には出来なかった
だから私は己の正義に従い生きることを選んだ
全てが勉強 全てが経験
今を生きることは全てが学び
過去の痛みも悲しみもいつか必ず活きる時が来ると信じ孤独に耐え生き抜いた
そして神様は私にご褒美を与えてくれた
優しさを与えれば優しさで返してくれる人と出会い、大切な友人ができ、優しさを、愛情を与えられることの喜びを知った
悲しみも苦しみも全て私にとって必要な経験だった
人は痛みを知らなければ他人に優しくすることはできない
傷ついて初めて人の痛みを知り、人に優しくすることの大切さを、愛情で包まれる喜びを知る
私の才能は今も変わらず自分自身の中に『ある』
優しくすれば相手からも必ず優しさが返ってくるわけではないけれど、私がそうしたいからそうする
世界中の人々に愛情と幸せが降り注げばいいと思うから私は惜しみなく人に愛情を捧げる
与える一方だと心が擦り減って、枯渇してしまうけれど、今は優しさも愛情も与えてくれる人達がいる
だから私はいつでも笑顔で世界に優しさを向けることができる
貴方の才能は見つかった?
まだ知らないだけできっと貴方の中にも眠ってる
わからなかったら自分自身に問いかけてみて
きっとそれが答えだから
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