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「宇宙留学」(種子島)での1年間の家族移住生活4分類 適応期•満喫期•揺動期•イヤイヤ期

この投稿では、種子島の山村留学「宇宙留学」制度を活用した、家族での1年間の種子島移住生活で気づいたことを記していきます。なるべく詳しく書き綴りたいのですが、まだ元の埼玉に戻って5日、心は種子島にあり。とにかく、概略からでも書き出します。

私は、16年勤めているHRD株式会社で、研修、人事コンサルの仕事で以前と変わらぬ役割を担いながら、種子島からリモートワーク中心の働き方を続けました。コロナ以前は、東京のオフィスに毎日出社していましたが、コロナ以降、リモートワーク中心となっていたため、実現できた生活です。理解してくれた会社、メンバーの皆さんに感謝してもしきれません。

宝の詰まった種子島生活は12ヶ月ありましたが、私自身の捉え方が大きく4つの期間に分かれていたと認識しており、その大分類で書き出してみます。留意点として、2022年4月からなので、まだまだ、コロナ対応で活動制限の強い時期であったという特殊条件付きです。

4つの期間
❶ 適応期(4-6月)
離島での新しい生活に、とにかく慣れていく期間。子どもたちの教育•生活リズム作り、神出鬼没の虫たちとの共同生活、南の島ならではの湿度との戦い、病院や電気ガス水道などのインフラ確認、種子島での友人やご近所との関係作り、趣味(剣道、妻はタヒチアンダンス)等の活動拠点探し、食事や遊び場探検など。この手探り期間に、実は地元の方々からたくさんのご支援をいただいていたことに後から気付くのです。コロナ禍により、飲み方(種子島で飲み会のこと)の機会がほぼなくて、この最初のタイミングで地元の方々と深い交流を持てなかったのが残念です。

❷ 満喫期(7-9月)
大きな蜘蛛が出現しても驚かなくなり、月1で私が東京出張に旅立つ際も、空港でも子どもたちは寂しがらずに涼しい顔で見送られるようになったこの頃、埼玉からも友人や家族が来島してくれました。種子島の魅力を味わってもらいたいと、ようやく覚えたスポットや食事をご案内。私たち家族も楽しみました。しかし、妻がアキレス腱を切ってまだリハビリ段階のため、海のアクティビティにあまり参加できなかったのが残念です。ここで、離島生活の難点も体験。つまり、病院などのインフラが弱いのです。その分、知り合いどころか知らない人まで助けてくれるのですが。

❸ 揺動期(10-12月)
種子島が大好きになった一方、来年どうすんの?問題と向き合う時期。このまま残るのか、埼玉に戻るのか。戻る明確な理由もないけど、家や両親をほっぽらかすのもどうか、子どもたちにはどちらの環境が良いのか、など私たち夫婦の心は大きく揺れ動きました。結果、「一旦帰ろう」という意味のわからない結論に達することに。また、徐々に海と風の様子が変わり、時化の日がふえてきたのでした。埼玉育ちの私が、風の向きや潮の匂いを読み取るなんて、驚きもあり嬉しくもあり。

❹ イヤイヤ期(1-3月)
いよいよ、埼玉に戻ることに向けて準備を始める時期。心は種子島に残りたいと言っていて、準備に気持ちが入りません。そうこうしているうちに3月。ようやくコロナ対応の世相が変わり、最後になって飲み方(飲み会)ラッシュに。もっと早くから!と言っても、仕方がないことでした。連日、2時過ぎまで、焼酎を飲み続けるのでした。盛り上がったとある送別会での出来事。夜中の1時頃、種子島の地元の大先輩が帰宅される時間になりました。その方は、帰ると言いながら、なかなか玄関から離れません。すると、ぼそっと「寂しいな」と私に向かって呟くのです。今思い出しても、涙が止まりません。こんなひとの優しさと愛情に包まれて、幸せな1年間を締めくくりました。

さて、、引っ越しで段ボールに包まれた日々が落ち着いたら、以下のことを軸に、月毎に詳細に書き出してみたいと考えています。(書くとは言ってない)

レポート項目
①ワークスタイル:東京出張の日時と目的、費用
②ライフスタイル:種子島での活動
③離島移住生活のメリット(得たこと)とデメリット
④個人的に印象的な出来事

以上です。

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