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はじめに|志摩の学びほぐし

法社会学者・川島武宜の著書『イデオロギーとしての家族制度』(1957年)[図1]には、阿児町安乗の結婚習俗について書かれた「志摩漁村の寝屋婚・つまどい婚」が収録されています。

図1 川島武宜『イデオロギーとしての家族制度』

当時、定型とみなされていた結婚のあり方=「仲人結婚・よめいり結婚・労働結婚」の真逆をいく「自由結婚・つまどい結婚・非労働結婚」の特徴やその背景を調査・考察したもの。現地調査は1944年から1946年という敗戦をはさんだ数年間に実施されたもので、安乗のほか和具や桃取でも行われたといいます[注1]。

60頁超におよぶこの論考の締めくくりに川島はこう書いています。「自分の属する価値観念の絶対性の信念は、狂信的な性質のものになりやすく、その結果他の民族や文化への排他的軽べつと傲慢な自己満足とにおちいり、自分自身の進歩の途をとざしてしまう。日本民族の歴史はこのことの苦い経験にみちている」と。

ここで川島が言う「苦い経験」とは、「家族主義イデオロギーが政府の公認の最高道徳思想として、『国体』とともに『天壌無窮』として、執拗に説かれた」状況を指しています。たとえば、家族社会学の泰斗・戸田貞三が手がけた『家と家族制度』(1944年)や大政翼賛会のブックレット翼賛壮年叢書『日本の家』(1944年)[図2]、そして文部省戦時家庭教育指導要項解説『家の道』(1942年)などの言説が結果的に戦争協力に至ったことも指すのでしょう。

戸田貞三『日本の家』

二度と愚かな戦争を引き起こさないために、川島は戦時中の狂信的な家族制度イデオロギーを乗り越える道を探りました。そのために採られたアプローチが、あえて志摩漁村=安乗の習俗という「例外」に着目し、「家族」とはなにかを学び直す試みでした。「仲人結婚・よめいり結婚・労働結婚」という「当たり前」を捉え直すために、その真逆をいく「例外」=安乗の寝屋婚・つまどい婚と、そこに内在する観念を読み解いたのです。

川島はこう言います。「経験科学にとっては、或る価値体系を是認するかどうかが問題なのではなく、或る時代或る社会の具体的な価値観念が永遠不変の絶対的なものではなくて変わりゆくものであることを承認しつつこれを冷静に観察し分析することが必要なのである」と。

こり固まった価値観念をときほぐす。「例外」を斬って捨てるのではなく、そこにある価値体系をしっかりみつめること。

こり固まった価値観念のときほぐし。そういえば、教育学者・佐伯胖は学び直しの重要性を「まなびほぐし」という言葉とともに語っています[図3]。

図3 佐伯胖ほか編『まなびを学ぶ』

すでに「学んでしまってきていること」を振り返り、それを「まなびほぐす」こと。そうすることで改めてほんとうの「まなび」とはなんなのかを考え直す[注2]。川島の文脈で言えば「明治政府の儒教的道徳政策」が生み出した「こり」を「ほぐす」ための切り口として、志摩漁村が見出されたのです。

本冊子は、志摩の気候風土と住まいづくりをめぐって「学んでしまってきている」ことの「まなびほぐし」を9つの章に沿って試みるものです。ここでいう「気候風土」とは自然環境だけでなく、そこに生きるひとびとの思想や精神、風俗まで含みます。

「こり」を「ほぐす」ことは、これまでの学びを否定するものではなく、より深化させるものです。古民家も現代住宅も「永遠不変の絶対的なもの」ではありません。川島武宜が「志摩漁村」を手がかりにこれからの社会を構想したように、「志摩の気候風土と住まいづくり」を切り口に、これからの住まいを考える手がかりを得たいと思います。

住まい、志摩、観光、気候風土、古民家を学びほぐす。この冊子が「志摩の住まいを学ぶための」ではなく「考えるための」としたのも、そうした学習観に立つからです。


1 川島武宜はこのほか、『結婚』(岩波書店、1954年)や『結婚の理想と現実』(中央公論社、1956年)といった 一般向けの本も書いている。
2 佐伯胖「まなびほぐしのすすめ」、苅宿俊文・佐伯胖・高木光太郎編『まなびを学ぶ:ワークショップと学び1』、 東京大学出版会、2012年

図版出典
1 川島武宜『イデオロギーとしての家族制度』岩波書店、1968年
2 戸田貞三『日本の家:翼賛壮年叢書37』大日本翼賛壮年団、1944年
3 苅宿俊文・佐伯胖・高木光太郎編『まなびを学ぶ:ワークショップと学び1』東京大学出版会、2012年

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