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スタディ通信 24年1月号

滋賀でもちらほらと雪が降っています。数年前のどか雪ではないので、とても楽です。しかし、どさっと雪が積もった風景はとても好きなので、寂しくもあります。



スタディのふりかえり

先日の『諸相』スタディでは、セッション18を行いました。テーマは「祈り」という宗教的な行為をめぐる「自然主義」と「超自然主義」の本質と違いです。

自然主義と超自然主義とはどのような概念でしょうか。岩波の哲学事典を参照してみましょう。『諸相』スタディではこの意味の広い単語を認識論の文脈で使用していますので、認識論の項を参照します。



自然主義[英]naturalism
2.認識論
超自然的な存在者や超自然的な性質を認めない存在論に対応して,認識のあり方も科学の方法の範囲内で探究されるべきであるとする立場。

(廣松ほか 1998)

つまり、上記記述を押さえるならば『諸相』スタディで使用する「自然主義」という概念は「超自然の存在や性質を認めない立場」と要約することができます。
対して「超自然主義」は「超自然の存在や性質を認める立場」と定義できますね。

ここで考えてみたいことがあります。それは、AAはどちらの立場を採っているのか、という重要な問いです。

AAはビッグブックなどのテキストで何度も「私たちの回復は奇跡なのである」と主張しています。

奇跡の時代は私たちの間ではまだ終わっていはいない。私自身の回復がそれを証明している。

(AA 2003 : 222-223)


つまり、AAの回復はハイヤーパワーという超自然の存在が介入し、人間をはじめとした自然の力では成し遂げられなかったことを超自然の力が成し遂げてくれたのだ、という世界観です。
これは明確にAAは超自然主義に立つ集団であるとの宣言となっています。

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さて、その超自然の存在や性質を認める立場である超自然主義と12ステップはどのように関係しているでしょうか。

その点を理解するにはまず、ジェイムズが考察する「祈り」の議論を概観しなければなりません。ジェイムズは「祈り」という行為が宗教現象の本質であるとし、その内容を以下のように述べます。

宗教現象は、どこであろうと、どの段階においてであろうと、明らかに、個人個人が自分自身と自分自身が関係していると感ずるより高い力との間の交わりについてもつ意識にある。この交わりは、能動的であると同時に相互的である時に、実現されるのである。もしこの交わりが効果をあらわさないなら、もしそれが授受の関係でないなら、もしそれが続いている間に実際に何ごとも成就されないなら、もしその交わりが生じたのに世界が少しも違ったものにならないなら、そのとき祈りは、何事かが成就されつつあるという感じのこの意味を広義に解すると、もちろん何かの錯覚的なものの感情であって、宗教は、全体として、単に妄想的要素を含んでいるばかりでなくーーこのような要素は、もちろんいたるところに存在しているーー、唯物論者や無神論者がつねに言っているように、まったく妄想に根差しているものの部類に入れなければならない。祈りという直接経験が偽りの証人であるとして除外されてしまえば、あとに残るものは、せいぜい、存在の全秩序には何か神的な原因がなければならないという推論的な信念ぐらいのものであろう。

(ジェイムズ 1970 : 308-309)

ここで、ジェイムズは祈りとは、「より高い力」(ハイヤーパワー)と相互に交流する体験である、と述べます。
ジェイムズの言う「交流」とは、人がハイヤーパワーを意識しそこに語りかけ、そしてハイヤーパワーはそれに応答する、といった相互の関係性のことです。
イメージしやすいように、このような図を『諸相』スタディでは使いました。

私たちは自分を超えた偉大な力(🐥)に対して祈ります。それは🐥を意識するということです。すると、🐥は私たちを様々な方法で導いてくれます。それはビッグブックにある第六感を通じてかもしれません、豊かな感情を通じてかもしれません、もしくは他の人を通じてかもしれません。

ここで重要なことは、祈りとは人間から神への一方通行ではないということです。その人が本当に祈れているのならば、そこに神の存在や働きかけを実感します。関係の相互性とはそういうものです。
祈りと黙想において超自然の存在を感じ、触れ合い、またその存在が問題を解決してくれる。それがAAの超自然主義であり「解決」です。

林研先生の『救済のプラグマティズム』では、下記のようにその本質がまとめられています。

回心現象にみられる二つの大きな特徴は、新しい興奮が発現しエネルギーが開放されることと、自己意識の再方向づけがなされることである。ジェイムズは、このエネルギー(すなわち「力」)と方向づけ(すなわち「意味」)の両方を自然的に説明することが出来ないと考えた。潜在意識下の記憶は意味の説明にはなるが、意識内への突入力は説明できない。逆に、生理学的な反応という力の説明は、回心が強烈な意味を伴うことを説明できないのである。

その結果、ジェイムズのモデルでは、潜在意識領域の「向こう側」が未決定の状態に置かれ、そこに「より以上のもの」が想定されることになる。ジェイムズの解釈によれば、「回心」や「祈り」の状態において、「より以上のもの」との交流がなされることが宗教的経験である。「より以上のもの」はいわゆる「神」のような実在とはかぎらないが、「自分自身のより高い部分」と「隣接し連続しているもの」であり、「彼の外部の宇宙で働いているもの」であるとされている[VRE 454]。つまり、宗教的経験のメカニズムを説明する仮説として、外部の力の介入がもっとも合理的だとジェイムズは考えている。超自然的介入については論証できていないため表立って主張されてはいないが、ジェイムズにとってはこの交流体験こそが宗教の核心であって、内心としては超自然主義を認めていたのである。

(林 2021 : 146-147)

ジェイムズをその基礎の一つに持つAAにおいて、祈りとは超自然主義の意味をもっているのです。

※ AAがその解決の理解をジェイムズから学んだことは下記ビル.Wのテキスト参照のこと。



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さて、前回のセッションでは12ステップの祈りと黙想をマインドフルネスとして解釈することは不可能であることも強調しました。
マインドフルネスについては様々な定義がありますが、ここでは有斐閣『現代心理学辞典』を引用し、その定義に従うことにします。

マインドフルネス mindfulness [E]
多くの定義があるが,マインドフルネスを医学に取り入れた先駆者であるカバット = ジン(Kabat-Zinn, J.1994)による「今,この瞬間に,判断を加えずに,意図的に,注意を向けること」がよく知られている。その後,そのように注意を向けることによって培われる「瞬間瞬間の,判断を入れない,アウェアネス(気づき)」(Kabat-Zinn, J.2015)と変更されている。マインドフルネスの状態では,1つひとつの思考や感情や感覚が,そのままに認識され,受け入れられる(Bishop, S. R. et al.2004)。

例えば歩いているとき,これから行うべきことや過去の失敗など,そのとき浮かんだ思考に引っ張られ,今この瞬間の「歩いていること」に意図的に意識が向けられていないのは,マインドフルネスではない。今歩いていることそのもの,その一歩一歩の感覚など,今この瞬間に浮かんでくる感覚・思考・感情に,判断を加えず,ただそれに気づき,受け入れることが,マインドフルネスといえる。

(子安ほか 2021)

ここで重要なことは、マインドフルネスという心理技法において「超自然の存在との交流」という概念は出てこない点です。あくまで心理技法ですので、マインドフルネスは仏教を源流としながらも、自然主義の内にあります。
なので、何か精神的な問題があった時にマインドフルネスにおいては、マインドフルネスの技法を使い、その問題を自分で、もしくは人間の持つ何らかの力によって解決することを目指すものです。

しかしジェイムズの、ひいてはAAの祈りと黙想はその世界観とは決定的に異なります。
それは、祈りと黙想において人間や自然を超えた超自然の力と触れ合い、その力によって自分の問題を解決してもらう超自然主義の世界観であるからです。

なので、12ステップを認知行動療法やマインドフルネスで解釈するのは、本質的に無理があるのです。マインドフルネスにはマインドフルネスの効果が、12ステップには12ステップの効果がそれぞれ別にありますので、混ぜると無茶苦茶になり、どちらもが役に立たなくなります。やめておきましょう。

AA外部の人がそのような解釈をするのは自由ですが、AAメンバーとしては「そうではない」と端的に答えておけばいいのです。ステップ11にはこう書いてあるのですから。

祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。

AA 12のステップ

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さてさて、今回のスタディ通信はいつもより長くなりました。それだけ、私も思い入れが強いセッションとなったということでしょう。
12ステップのマインドフルネス的解釈を聞くたびに「それは違うだろう」と強烈な違和感を感じていましたが、今回やっとジェイムズを使ってそれを説明することができました。AAメンバーとして一つの責務を果たせたようで、ほっとしています。

次回も「その他の特徴」の続きを行います。テーマは引き続き祈りと超自然主義になります。
ジェイムズの、ひいてはAAの超自然主義をさらに深く理解していきましょう。

参考文献

AA (2003) 『アルコホーリクス・アノニマス』 AA日本出版局訳, JSO
子安増生・丹野義彦・箱田裕司 監修(2021)『有斐閣 現代心理学辞典』 有斐閣
林研 (2021) 『救済のプラグマティズム』 春秋社
ジェイムズ, ウィリアム (1970) 『宗教的経験の諸相 (下)』桝田啓三郎訳, 岩波文庫
廣松渉ほか 編 (1998)『岩波 哲学・思想事典』 岩波書店


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