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スタディ通信 22年4月号

ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』を初めて読んだのは2020年の1月あたりだったと記憶しています。当時、僕は毎週スカイプで開催されていた(今もされています)バック・トゥー・ベーシックスの輪読ミーティングに出席していました。
そこでビッグブックと触れ合うことになったのですが、そのビッグブックに『宗教的経験の諸相』が出てきます。「第二章 解決はある」(日本語版p.42 第4版原著 p.28)ですね。それで、その本を読んでみようと図書館で借りてきました。
ですが読もうとしても「難しくて読めねえよ」とすぐにほっぽりだしたのを覚えています。「第九講 回心」あたりの回心の事例だけを読んで「この本は事例集なのだろう」と勝手に結論づけておきました。

さて、ここらへんの大まかな流れは旧ブログで書きましたので、ここで改めて書くことはしませんが、手帳を見て確認したところ『諸相』スタディの第1回目は2020年12月19日でした。今から1年と4ヶ月ほど前ということです。
なぜ続けてこられたのかは、様々な理由がありひとつにまとめることはできませんが、つたないスタディでも毎回参加してくださる方々がいてくれることと、自分を超えた力の導きなのだろうと感じています。ありがたいことです。

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1年やってきましたが、今年の5月でやっと『諸相』の内容が全て終わりそうな見込みが立ってきました。途中から「おいおい、これいつ終わるんだよ」と思いながらやってきましたが、やっとひと段落といったところです。なんとか『諸相』を一巡できそうで、ほっとしています。

そして今、1年前にやった上巻部分のスライドを見返してみましたが、今見返すと本当に恥ずかしく「なんにもわかっちゃいない」といった未熟な内容でした。参加してくださったみなさん、どうもすみません。
6月以降は『諸相』スタディも2巡目に入る予定ですが、スライドは新たに作り直し、今の理解の水準で展開していきます。

今後の予定はこんな具合になっています。随時告知ページにて告知しますので、よろしくお願いします。

4月2日 第二十講 結論 3/3
5月7日 後記 1/1
6月4日 特別セッション「『諸相』の中での『祈り』について」
7月2日 イントロダクション「なぜ『諸相』を学ぶ必要があるのか」
8月6日 第一講 宗教と神経学