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こんなnoteでも見つけて読んでスキしてくれる人がいるんだなぁ、と世間の広さを思い知っている。

noteが勝手に自分の読んだキーワードを拾って紹介してくれるからである。

 10年ほどずっと楽しいと続けていたことが今は全く楽しくなくて、いよいよ本当に生きる目的どころか日々生きるためにすることすらも失っているのですが、まだ生きています。
 もちろんなにもしていないのでわざわざ記事にするような話もなく、変化のない日常であるからいちいち文章に起こすほどのこともありません。ただ以前つぶやきにて「そんな代わり映えのない日常も毎日記録していたら何らかのコンテンツになるのではないか?」と書いたことを思い出し、なんの展望もありませんがこうしてnoteを開いている次第です。
 何もしていないというのは本当に何もしていないので、全く興味のないバラエティ番組を流し見ていたり代わり映えのしないソシャゲのイベントを走っていたりただそんな作業じみた時間をだらだらと消費しては合間合間にくだらない夢を見ながら眠っているわけです。
 これをどう文章化しろと?
 改めてやってみるとやっぱり難しいですね。全く意味もない文章を生産するというのはリハビリにしてもお粗末な気がします。

 最近はアトモキセチンをきちんと80mg飲んでいる影響か、脳みそがとても静かです。静かだと何も思い浮かばないため、何もしようと思わないのです。
 この薬は何か作業を効率的に行いたい時などは特に効果的なのかもしれませんが、日々することが何もない人間が服用すると「何もすることが思い浮かばないので何もしないことが加速する」という効果をもたらすようです。本当にすることがない。家事とか生活とかギリギリすることはあるんですが、する気がないのでしていません。する気がある時に一気にやるので本当に辛うじて生活が成り立っているのですが、私の場合は同時に生活の面倒を見てくれる人がいるから成り立っているのです。
 いっそこれらをすべて手放してみれば何か変わるのではないかと思って一人きりで離れにこもったことがあるのですが、襲い来る孤独と無気力からくる生活の停滞ですぐに生命の危機と巨大は不安からくる冷静な判断力の喪失を経験し、尻尾を巻いて戻ってきました。調子にのっている時、例えば今みたいな辛うじて何かができているときにそのことを考えると、今ならもっとできるんじゃないか? と思うのですが、できるはずがないんですね。調子に乗っているだけなので。今日も調子に乗って連日外出をしようとして叶わず、総計12時間以上寝ることとなりました。朝起きれないし夕方も起きてられない。昼もかろうじて縦になっていられない。当然生産的な行動はできないし本を読んだり動画を見たりという消費行動もできません。できないだらけでよく生きているなと改めて驚嘆しますね。総介護状態で一日ただベッドに横になって過ごしている老人のようです。その方々と私の違う点といえば、若い時分に何かを残しているかいないかですが、私は後者になります。つまりいきていて何も生産的なことをしていないのです。悲しいですね。
 悲しいですね。
 悲しいことばかりです。
 そうして〆る程度の人生をだらだらと続けています。それでも生きていけるんですね。
 このぬるま湯で微睡むようなゆるゆると危険で生死の合間で揺蕩うような生き方を続けていくのかと思うと気が遠くなります。
 私が死ぬ時は延命治療などしないでくださいね。

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