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踊る おどる 躍る

とある番組で高校生ダンス部の特集をしていた。
画面の中の人は言った。

「ダンスってなんだろうね。
うまく言葉にできないけど、グッとくるものがある」

そう、ダンスって、そうなんだ。
踊るってそういうことなんだよ。

言葉がなくても「何か」が伝わる。
伝わってしまうんだよね。

…と朝歯を磨きながら、元ダンサーは思うのだった。



***


先日、『名前のない女の子』という童話を読み、読書印象文を書いた。

このお話の中には、踊りながら話をする人たちが出てくる。
彼らは踊りながら、自分たちの思いを相手にぶつけていく。

(踊りながら話すなんて、面白いシーンだなぁ)

読みながら、元ダンサーの心も躍った。



私は幼稚園から高校卒業までの14年間、ずっとモダンバレエというジャンルを踊り続けてきた。

いわゆるみんなが思い浮かべるバレエとは違う。
一般的にバレエと呼ばれるのはクラシックバレエのことであって、型や振り付け、演目もある程度決まっている。

モダンバレエは、一言で言えば「自由」だ。
基礎はクラシックバレエにならいながらも、表現したいものを体を自由に動かして表現することができる。手はここまで、足はこの角度、と決まっていない。自由なパフォーマンスがモダンバレエの魅力だ。

引っ込み思案で話すのが苦手だった私にとって、「体を使って表現する」という方法に出会ったのは衝撃的なことだった。

声を出すのが苦手、うまく言葉が出てこない。
でも、体を動かすのは楽しい!

かつて踊ることの魅力に取り憑かれていた私が、童話の中の彼らに興味を持たないはずがない。でも「踊りながら話す」とはどんなだろうか?



童話の中の彼らはリズムに合わせて踊り、大きな声で歌い出した。
私の脳内では、勝手にラップのような音が流れる。
でもどうやら太鼓の音も鳴っているらしい。

踊るといっても、みんなバラバラに。
会話だから言葉メインの表現だろうか?
そう思うと、どうもラップのイメージが拭えなかった。


ところが。
読了後、日が経つごとに「踊る会話」の解釈が変わってきた。

きっかけは、職場でインド映画の話をした時。
私の職場は映画好きな人が多く、割とマイナーな映画に詳しい人もいる。たまたまインド映画が話題になった際、私は「インド映画はみんなで踊っているイメージが強烈だ」と話した。それに対し、同僚は言った。

「インドは細かく分けるとすごく沢山の言語・文化があって、一つの言語・文化で映画を作っても、みんなが共感を得られるように描くのが難しいらしいですよ。だから、踊るんです。映画館でも、みんな総立ちで踊るくらい、盛り上がるみたいですよ。」

なんと、そんな背景があったのか。
しかも総立ちで踊るなんて、まるでライブビューイングじゃないか。

一応気になって調べてみたが、確かにざっくりそんなことが書かれていた。
そうなると、インド映画のイメージも少し変わってくる。
ただの愉快な映画ではないとなると、その手法を取ったのはすごい。

職場での雑談としては、みんなが「へぇ〜面白いですね」というくらいのたわいもない会話だった。でも『名前のない女の子』を読んだばかりの私にとっては、大きな衝撃だった。

そうか、踊ることが共通言語、コミュニケーションツールになっているんだ。

童話の中で「踊る会話」をしていた彼らは決してファンタジーではない。
この世界にも存在したんだ。

思えば日本にも「踊る会話」は昔から存在していた。

日本でも踊り、いや舞という響きの方がいいのだろうか。
神々への祈り、願いのために舞踊り、その想いを伝えてきた。

場をととのえ、美しい衣を身に纏い、祈りを捧げた。
見守る人々も、その舞う人に想いを託した。

それは、一方的な会話のようにも見えるかもしれない。

でも、例えば雨乞いのために舞ったとき。
雨が降っても降らなくても、それが天からの答えであって、時差はあれど、投げかけた願いと、それに対する返答という形が成り立っている。私はこれは対話だと思う。

私たちが忘れているだけで、人は長いこと踊り、体を動かすコミュニケーションというのを続けてきた。

ただ手を動かす、足を動かすのではない。
ちょっとした視線、顔の向き、姿勢の変化、手先への意識、足の運び方…
挙げ始めたらキリはないが、想い・願いをともなった人の動きは、莫大なエネルギーを放つ。

それをみた相手は何も感じずにはいられない。
背筋が伸びるような、胸をギュッと掴まれるような、衝撃を感じる。
これがグッとこさせる何かである。

言葉になんかできない。
だって言葉を使わないコミュニケーションだから。

そんな体のエネルギーを発する「踊り」
気持ちを正確に表す「言葉」
そして言葉に強弱をつけ、より濃い味付けのできる「歌」

その三つが合わさった「踊る会話」は最強じゃないか?

ここまで考えたとき、彼らが踊るシーンは愉快ながらも、言葉だけで話すことに慣れてしまった私たちにコミュニケーションの意味を考え直すきっかけを与えてくれた気もする。

とはいえ、そこにいた全員が真剣に伝えようと踊っていたかはわからない。ただ何となく音楽にのって体が動いちゃってたかもしれない。

でもそれでもいいんだ。
だって、踊るって結局楽しいことだから。




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