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「8月15日」――二度の敗戦 ~大戦とニクソン・ショック~

 「8月15日」と聞いて日本人がまず頭に浮かべるのは“敗戦の日”ということだろう。私は3歳になったばかりだったので、1945年8月15日の記憶は殆んどない。私にとって戦争の記憶として僅かに残っているのは、アメリカ軍が落とした焼夷弾の残像と、その空爆を避けるため防空壕に母親と一緒に逃げ込んだシーンぐらいだ。戦後になってからは、その焼夷弾が焼け野原となった空地から見つかり、あわてて役所に届け出たら「不発弾かもしれないので爆発の可能性があるかどうか調べ終わるまで近くの安全な所に避難していろ」と言われたことを思い出す。

 私にとって、もうひとつ忘れられない「8月15日」がある。それは、1971年の8月15日だ。アメリカのニクソン大統領が金とドルの交換を停止すると一方的に発表したのだ。それまでは、アメリカ・ドルは金1オンスを35ドルと交換することを公約していた。ドルには金の裏付けがあり、35ドルをもってくれば金1オンスと交換すると約束していたわけで、その公約があったからドルは世界の基軸通貨として流通し、貿易取引などに活用されていたのである。日米の通貨の間では1ドル=360円に固定されており、戦後の貿易取引は1ドル=360円で計算されていた。

 それをニクソン大統領が1971年8月15日から金とドルの交換を停止すると、突然発表した。「今後はドルを持ってきてもアメリカは金との交換はしない」と宣言したのである。ドルが世界の基軸通貨として金の代わりに使われていたのは、ドルを持っていればいつでも金と交換できると世界が認識していたし、アメリカも金とドルの交換を認めていたのでドルが世界の通貨として安心して世界で使われていたのだ。ところがニクソン大統領は、もはやドルと金の交換は「やめる」と一方的に決めたため、ドルは金の裏付けを持たない通貨となってしまったのだ。これをきっかけに、世界のドルと各国通貨の関係は、これまでの1ドル=360円といった固定相場の関係は崩れ、ドルと円の市場の需給関係で決まる変動相場に移ってしまう。各国通貨とドルの関係は固定ではなく、市場の変動によって決まる変動相場制で決まる関係へと移っていったのだ。つまり為替の相場(価格)は、従来の固定されたもの(固定相場制)ではなく、各国通貨は市場の需給関係によって決まる変動相場制へと移っていったのである。円とドルの関係でいえば、市場でドルよりも円の需要が多くなれば需給関係で円の価値が高まり「円高」になるし、逆に円がそれほど必要でないとなれば、市場で円が売られ「円安」になるというわけだ。

 戦後、1ドル=360円で固定されていた固定相場制は、日本の輸出競争力が強まり円の価値が高くなるにつれ、日本は「固定相場制」を維持できなくなった。このため市場の動向によって相場が変わる「変動相場制」へと移行した。円は70年代以降、対米関係ではほぼ一貫して日本の輸出競争力が強かったため、相場もほぼ一貫して「円高・ドル安」が続き、2011年には、遂に1ドル75円32銭の最高値をつけるまでになった。ただ円高で輸出企業は貿易が重荷になってくると、企業は生産拠点を海外に移し国内からの輸出を減らしたし、石油ショックで石油や化石燃料の輸入が増え貿易収支が赤字基調になってくると円安基調が戻ってきたりした。円安になると日本の輸出は促進されるが、円安は輸入コストの上昇が目立つようになる。最近は、円安で輸出促進効果より輸入のコスト上昇の弊害の方が目立つようになったとの声も聴く。日本経済研究センターの調査によると、円安により外貨建てで輸出する商品が増え売上高が膨らむプラス効果と、輸入品が値上がりしコストが増えるマイナス効果を比べると、対ドルで10%の円安になった場合、国内生産額比で0.5%デメリットが上回る――などの結果が出ているともいう。

 アベノミクス以降、日本は政策の重点を円高是正においてきたが、結果として新興国との価格競争にさらされる付加価値の低い産業が延命し、より付加価値の高い産業へのシフトを遅らせる結果を招いた。このため新規産業が生まれないうえ、賃金が上がらず消費が低迷する悪循環を招く結果をもたらしたのではないかという指摘が強い。

 ドルと金の交換停止で日本の為替市場は大混乱に陥った。一時は1ドル=308円の固定相場制に戻り安定するかに見えたが長続きはせず今日の変動相場制に移り、以来円高基調が続いてきたといえるだろう。1ドル=360円時代から数えて日本は2回の大きな8月15日という節目を経験した。1回目は敗戦で、2回目は日本の国際競争力が最も強かった時だった。しかし2回目のニクソン・ショックもよく考えてみれば、アメリカの弱体化、敗北のようにみえるが、実は日本の競争力を殺ぐための深謀遠慮だったのではないか。日本は2回の8月15日で2度の大きな敗戦を喫したといえるかもしれない。 
【TSR情報 2021年8月26日】


■参考情報
ニューヨーク市場の金先物とドル円の終値は以下の通り。9月6日はレイバーデーのため外国為替市場以外は休場。そのため、それぞれの終値にずれが生じています。
・ニューヨーク商品取引所(COMEX)金 1オンス=USD 1,833.70  +22.20(+1.21%)(12月渡し/9月3日)
・ニューヨーク外国為替市場 USDJPY 1ドル=109.86円付近(9月6日終値)

画像:wikimedia commons(Monaneko / 1950年1月からのUSDJPYの為替レートの推移)


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