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経済的に破綻した翌月に子供が生まれた夫婦の話し。(その22)十兵衛の父


柳生十兵衛

妻です。
 日々忙しいく母と秘湯を切り盛りしていました。
妊娠した影響で忙しい中でも幸せを感じていました。
私と主人は19歳年が離れていますが、主人はとてもユニークな性格で
普段からお笑い系芸人さんのようなノリで会話をします。
お腹の子供を子供を男の子だと決めつけ
お腹に向かって「十兵衛」と呼びかけます。
 最初ふざけているのかと思いましたが、本気で「十兵衛」という名前にしたい事がわかり、「それはやめて」と言いました。
でも主人は毎日、毎日「十兵衛」「十兵衛ちゃーん」と呼んでいました。
主人曰く 将来子供が海外で活躍する時に「半蔵」「十兵衛」「佐助」「才三」「風馬」など、お侍や忍者の名前ならすぐ友達ができると言ってました。
本当にそのようです。笑

そんな主人が「村下さんの本社に行ってこの鮎の話は断ってくる」と出かけました。
私はこれで終わると思いました。

そもそも今回の鮎小屋金川さんを主人がパクって自分でやるのは無理です。

一応この時の主人は会社を経営おりました。
決して普段から暇を持て余すような事がない人でした。
確かに私が結婚する2年ほど前には、海外で行うイベントの仕事が香港で発生したSARSの影響で中止となってしまい、そのころからは資金的に余裕がなくっていましたが、常に飛躍のチャンスを探しているような人でした。
それが不安と言えば不安な人でした。
この話をチャンスだと言わず、止めると言ってくれて安心しました。

そしてそもそもこの時の主人には、よくよく考えると鮎小屋を出すための
人も、物も、お金も、経験もありません。
もっていません。

だから鮎小屋ができるはずがないのです。
そんなに簡単にできるはずではないのに・・・

会長室

 私の
前に座った村下さんは、眼の付けどころについて話しだしました
「だいたいの人はやる気をもって走り出す」
「でもな状況を正しく解釈しないで、とんちんかんな方向へ走りだす」
「これが今の君や」
「まず君は鮎焼きを職人技という、確かにそうかもしれん。でもは鮎だけ焼ければなんとかできると解釈してみんか?」
「寿司屋はそうはいかん色々な魚切ったり焼いたりあれは修行が大変や」

(私はこの当時は※東京寿司アカデミーさんのように、集中して寿司職人を育てる学校をしりませんでした。もしも知っていたら反撃できたかもしれません)

「でもな、今回は鮎だけや、鮎だけを焼ければいいんやぞ」
「そんなもん毎日鮎やいて、1000匹ぐらい焼けば絶対に上手に焼ける」
「ワシ、前にも言ったやろ、うちのパートさん達の柱の鉋掛け職人級やぞ」「パートさんみんな、毎日毎日な鉋掛けしてたら、どんどん削れるようになってんぞ、鉋やぞ、職人さんみたいに薄ーく削るれんぞ、パートさん達がそれが削れたのは一気に鉋を使う時間に設けたからや」

鉋掛けイメージ


「だからワシは、1000匹焼けば鮎を焼けば、鮎は焼けると約束する」

村下さんはなんとも独特な眼の付け所でしょう。


つづく

※東京寿司アカデミー
https://www.sushiacademy.co.jp/boshu_yoko

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